表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
退屈な女と嗤われて  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/13

第9話

 あの紫の花のことが、アリシアの頭から離れなかった。


 毒草と恐れられ、誰も近寄らぬ花。けれど、彼女の記憶の奥には、確かな引っかかりがあった。


 ある朝、アリシアは古い書物を抱え、村はずれの斜面へと向かった。あの花が群れ咲く、青紫の一帯へ。


「お嬢様、本当に触れて大丈夫なんで……?」


 付き従う村人が、不安そうに声をかける。


「ええ。少し、確かめてみたいことがあるの」


 アリシアは膝を折り、花の一輪に顔を近づけた。手袋越しに、そっと花弁に触れ、茎を折り、葉の裏を検める。色、形、香り、汁の質。ひとつひとつを、抱えてきた書物と丹念に照らし合わせていく。


 そして──彼女の目が、見開かれた。


「やはり、そうだわ」


「な、何がでございますか?」


「これは、毒草ではありません」


 アリシアは、折り取った花を掲げてみせた。


「正しくは、毒もある花。けれど、その本当の価値は別にあります。茎と花弁を、正しい手順で煮出して灰汁を加えれば──二つとない、鮮やかな染料になる。それも、極めて上質な」


 村人は、ぽかんと口を開けた。


「染料……? この、呪われた花が?」


「呪われてなどいません。ただ、扱い方が忘れられていただけ」


 アリシアは、書物の一節を指でなぞった。古い記録には、かつてこの地で、この花から染料を作っていたという記述が残っていた。


「昔は、ここでこの花を加工していたのでしょう。けれど、人が減り、村が寂れるうちに、その手間のかかる加工法が、誰にも受け継がれなくなった。だから、ただの毒草として恐れられるようになったのです」


 失われた技術。忘れられた価値。


 誰も気づかぬまま、宝は荒れ地に咲き乱れ、ただ恐れられていたのだ。


 *


 その日の夜、アリシアは灯りのもとで、思索を深めていた。


 もし、あの花を染料として蘇らせることができれば。


 この領には、他にない特産品が生まれる。荒れ地に厄介者として咲く花が、現金収入の源に変わる。痩せた土地でも育つということは、むしろこの地に最も適した産業になりうる。肥沃な平野を持つ他領には、決して真似のできない強みだ。


(加工法を再現する。販路を見つける。そうすれば──)


 頭の中で、構想が次々と繋がっていく。雇用が生まれ、村に活気が戻り、人が集まる。一輪の花から、領全体の再建へと、道筋が一本に伸びていく。それは、ただの思いつきではなかった。書物の裏付けと、土地の特性と、彼女自身の知識が、すべて指し示す確かな道だった。


 アリシアは、机に広げた花を見つめ、静かに微笑んだ。


「あなたが、この領を救う鍵になるのね」


 厄介者と蔑まれてきた花。それは、まるで──「家柄しか取り柄がない」と捨てられた、かつての自分のようだった。


 価値がないと決めつけられ、見向きもされず、それでも、ただ咲き続けていた。


 けれど、本当は違う。見る目さえあれば、正しく扱う術さえあれば、何にも代えがたい輝きを放つのだ。誰かに認められるためではなく、ただ自らの内に、確かな価値を秘めている。それは、揺るがない。


「待っていてちょうだい。あなたの本当の色を、世に示してみせるから」


 窓の外では、月明かりに照らされて、斜面の花々が静かに揺れていた。


 まだ誰も知らない。この一輪の花が、やがてグレンツェの名を、王国中に轟かせることになるとは。そして、かつてこの花を恐れていた村人たちが、いつの日かこの花に誇りを抱くようになることも。


 再建の青写真が、今、確かな一歩を踏み出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ