第6話
領主館は、村のはずれの小高い丘に建っていた。
石造りの古い館は、前の領主だった大叔母が晩年は領を離れており、長く主を欠いていたせいで、あちこちが傷んでいた。それでも、雨風をしのぐには十分だった。アリシアは荷を運び入れ、ひとまずの拠点を整える。
その翌日、彼女のもとに、一人の男が訪れた。
背の高い、無骨な体躯の男だった。年の頃は二十代の半ばだろうか。色褪せた騎士の装束を身にまとい、腰には剣を佩いている。けれど何より目を引いたのは、その鋭い眼差しと、どこか張り詰めた空気だった。
「騎士団長の、ディートハルト・クラインだ」
男は名乗ったきり、それ以上は何も言わなかった。礼の一つもなく、ただ値踏みするように、アリシアを見据えている。
「アリシア・フォン・ヴェルフェンハイムです。この領の、新しい領主を務めます。よろしくお願いします、団長」
アリシアが丁寧に頭を下げても、ディートハルトの表情は動かなかった。
むしろ、その目に浮かんだのは、あからさまな侮りの色だった。
「……令嬢に、何ができる」
低く、ぶっきらぼうな声だった。
「失礼を承知で申し上げる。あなたのような方が、この地で何をしようというのか。畑を耕したこともなければ、寒さに耐えたこともない。どうせ、すぐに音を上げて逃げ出すのが関の山だ」
「団長」
「これまで何人もの役人が来ては、去っていった。皆、口先ばかりだった。あなたも、同じでしょう」
突き放すような言葉に、従者が気色ばんだ。
「無礼な! 領主様に向かって──」
「いいのです」
アリシアは、片手で従者を制した。
そして、まっすぐにディートハルトを見返す。怒りでも、媚びでもない、ただ静かな眼差しで。
「あなたの言うことは、もっともです。わたくしは確かに、畑を耕したことも、飢えを知ったこともありません。その点で、わたくしは無力でしょう」
ディートハルトの眉が、わずかに動いた。
「ですが──だからといって、何もできないわけではない。耕したことがなくとも、土の性質は学べます。飢えを知らずとも、人を飢えさせない方法は考えられます。わたくしは、それを学んできました」
澄んだ声が、男の侮りをまっすぐに受け止め、返していく。
「逃げ出すかどうかは、わたくしの行いで判断してください。言葉ではなく」
しばし、沈黙が落ちた。
ディートハルトは、探るようにアリシアの顔を見つめた。これまで見てきた、口先だけの貴族とは、どこか違う。けれど、それを認めるには、彼の中の傷はあまりに深かった。
「……勝手にすればいい」
彼は短くそう言い捨て、踵を返した。
最初の対面は、冷たい衝突に終わった。
*
去っていく広い背中を、アリシアはじっと見送った。
無愛想で、頑なな男。けれど、彼女は気づいていた。あの侮りの奥に、何か別のものが潜んでいることに。
(あの目……ただ偉そうなのではない。あれは、深く傷ついた者の目だわ)
理不尽な何かに裏切られ、信じることをやめてしまった者の目。アリシアには、それがわかった。なぜなら、自分もまた、似た痛みを知っていたから。衆人の前で切り捨てられ、信じていたものに背を向けられた、あの夜のことを。
「ディートハルト・クライン……」
その名を、彼女はそっと口の中で繰り返す。
まだ知らなかった。この無愛想な騎士団長との出会いが、やがて自分の運命を、大きく変えていくことになるとは。そしてあの男の抱える傷の正体が、自分の戦いと一本に繋がっていくことも、今はまだ、知る由もなかった。
長い物語の、ほんの始まりだった。




