第5話
長い旅路の果てに、ようやく馬車はグレンツェ領へと辿り着いた。
車輪が止まり、アリシアは扉を開けて地に降り立つ。そして、目の前に広がる光景に、思わず立ち尽くした。
想像していた以上の、惨状だった。
ひび割れた畑が、見渡す限り続いている。作物の影もなく、乾いた土がむき出しのまま、力なく横たわっていた。
集落に並ぶ家々は、半ば朽ちかけている。傾いだ屋根、外れた戸板、崩れた塀。かつては多くの人が暮らしていたであろう村が、今は半分以上、空き家になっていた。
まばらに姿を見せる領民たちも、ひどく痩せ、目には覇気がなかった。新しい領主を迎える喜びなど、そこには微塵もない。むしろ、また厄介者が来た、とでも言いたげな、冷ややかな視線が向けられる。
「これが……グレンツェ」
従者の一人が、青ざめた顔で呟いた。
「お嬢様、やはり引き返した方が……。ここはあまりにも──」
「いいえ」
アリシアは、静かに首を振った。
彼女の瞳は、しかし、絶望を映してはいなかった。荒れた畑を、朽ちた家々を、彼女はまるで宝の地図でも読むように、じっと見つめていた。
(土地が痩せているのは、長く手が入っていないから。畑がひび割れているのは、水が引かれていないから。家が朽ちているのは、人がいなくなったから)
すべての荒廃に、原因がある。原因があるということは──手の打ちようがある、ということだ。
「絶望する理由は、ひとつもないわ」
アリシアは膝を折り、乾いた土を一握り、手のひらに掬い上げた。
指の間でほろほろと崩れる土を、彼女はじっと観察する。色、粒の細かさ、わずかに残る湿り気。長年の知識が、その土の性質を読み解いていく。
(やせてはいる。けれど、死んではいない。灌漑と、休ませる時間さえあれば、この土はまだ作物を育てられる)
頭の中で、再建の青写真が、少しずつ形を結び始めた。あの川から水を引く。傾斜地には果樹を。村の入り口には市を立てて、人の流れを呼び戻す。一度に全部は無理でも、順番にひとつずつ。優先すべきは、まず水と、食べるものだ。
立ち上がったアリシアの顔つきは、もう旅の疲れを忘れていた。やるべきことが見えた今、胸の内はむしろ高鳴っている。
*
ふと、村はずれの斜面に、目を奪われた。
そこだけ、鮮やかだった。
荒れ果てた灰色の風景の中で、その一帯には、青みがかった紫の花が、びっしりと群れ咲いていたのだ。風に揺れる花の波は、不思議なほど美しかった。
「あれは……?」
アリシアが指さすと、近くにいた老婆が、忌々しげに顔をしかめた。
「ああ、あれですかい。触っちゃなりませんよ、お嬢さん。あれは毒草だ。昔から、誰も近寄らねえ呪われた花でね」
「毒草……」
アリシアは目を細め、その花をじっと見つめた。
毒草と恐れられ、誰にも触れられず、ただ咲き乱れている花。村人たちは、それを荒廃のしるしとしか見ていない。
けれど、彼女の記憶の奥で、何かが小さく引っかかった。あの花の色、あの葉の形──どこかで、読んだことがあるような。
(毒草……本当に、そうかしら)
確信はなかった。けれど、捨て置けない何かを、彼女はその花から感じ取っていた。
風が吹き、紫の花がいっせいに波打つ。
アリシアは立ち上がり、荒れ果てた領全体を、もう一度ゆっくりと見渡した。
「ここを、必ず蘇らせる」
誰に告げるでもなく、彼女は静かに誓った。
その横顔は、もはや追放された令嬢のものではない。一領を背負う、新しい領主の顔だった。




