第43話
平和な日々の中で、アリシアとディートハルトの関係は、自然と、次の段階へと進んでいった。
ある穏やかな午後のことだった。
二人は、いつもの丘の上で、並んで領を眺めていた。春の陽が、緑なす畑を、暖かく照らしている。
「アリシア」
ディートハルトが、いつになく、緊張した面持ちで口を開いた。
「俺は、口下手だ。気の利いたことも、言えん。だが──これだけは、はっきり言いたい」
彼は、アリシアに向き直り、まっすぐに、その瞳を見つめた。
「これからの人生を、あんたと共に歩みたい。アリシア。俺と、結婚してくれないか」
飾り気のない、けれど、心の底からの言葉だった。
アリシアの目に、じわりと、涙が滲んだ。喜びの涙だった。
「……はい。喜んで」
彼女は、迷うことなく、頷いた。
「わたくしも、あなたと共に、生きていきたい。これからも、ずっと」
二人は、そっと、手を取り合った。
長い道のりだった。冷たい衝突から始まった二人が、共に困難を越え、信頼を育み、そして今、生涯を共にする約束を、交わした。
春風が、寄り添う二人を、優しく包んでいた。
*
二人の婚約の報せは、領中を、喜びで沸かせた。
「領主様が、ご結婚を!」
「団長と! ああ、なんておめでたい!」
村人たちは、我がことのように喜び、祝福した。アリシアとディートハルトが、どれほど領のために尽くしてきたか、皆が知っている。その二人が結ばれることは、領全体の、幸福でもあった。
*
婚礼の準備は、領をあげて、進められた。
誰もが、自ら進んで、手を貸した。女たちは、最高のグレンツェ・ブルーで、花嫁衣装を仕立てた。男たちは、会場となる広場を、美しく飾り立てた。子どもたちは、花を摘み、道に敷き詰めた。
それは、豪奢な王都の婚礼とは、まるで違っていた。
けれど、そこには、何ものにも代えがたい、温かさがあった。心からの祝福と、手作りの真心。領のみんなが、二人の門出を、全力で祝おうとしていた。きらびやかさはなくとも、一つ一つに、皆の想いが込められている。それは、お金では決して買えない、最も豊かな婚礼だった。
「ふふ。なんだか、夢のようだわ」
花嫁衣装の試着をしながら、アリシアは、しみじみと呟いた。
傍らで手伝うハンナが、にやりと笑う。
「夢じゃないさ。あんたが、自分の手で掴んだ、本物の幸せだよ」
「ハンナ……」
「いやあ、めでたいねえ。あたしも、鼻が高いよ」
ハンナは、目を細めて、アリシアを見つめた。
行商人として出会った日から、共に駆け抜けてきた仲間。その彼女の幸せな門出を、ハンナもまた、心から喜んでいた。
*
婚礼を前に、アリシアは、一人、夜空を見上げた。
星々が、優しく瞬いている。
追放されたあの日、こんな未来が待っているとは、夢にも思わなかった。婚約を破棄され、家を追われ、すべてを失ったと思った。
けれど、それは、終わりではなかった。むしろ、本当の人生の、始まりだった。
(あのとき、捨てられて……よかったのかもしれないわね)
アリシアは、静かに微笑んだ。胸に湧くのは、もう恨みでも、悔しさでもない。ただ、巡り合わせへの、穏やかな感謝だけだった。
あの婚約破棄がなければ、この地に来ることも、かけがえのない仲間と出会うことも、本当の自分を見つけることも、そして──愛する人と結ばれることも、なかったのだから。
すべての道のりが、今日この幸福へと、繋がっていた。
明日、彼女は、愛する人と、生涯を共にする。穏やかで、温かな、新しい日々が、もうすぐそこまで来ていた。




