第42話
季節は巡り、グレンツェに、再び春が訪れた。
領が、最も美しく彩られる季節。村はずれの斜面では、あの花が、今年も一面に咲き誇っていた。
かつて、毒草と恐れられた花。今や、グレンツェ・ブルーの源として、領の誇りとなった花。その青紫の波が、春風に揺れる様は、息を呑むほど美しい。
アリシアは、その花畑に立ち、満開の景色を、愛おしげに眺めていた。
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この日、グレンツェでは、特別な催しが開かれていた。
領をあげての、感謝祭である。
一年の実りと、平和な暮らしに感謝し、皆で喜びを分かち合う。それは、アリシアが、領に新しく根づかせた、行事の一つだった。
広場には、領中の人々が集まっていた。古くからの村人、難民として迎えた人々、そして、新たに移り住んできた者たち。誰もが、隔てなく、笑顔で交わっている。
「領主様、今年も豊かな実りに、感謝でございます」
「皆さんの働きのおかげです。本当に、ありがとう」
アリシアは、一人一人と、温かく言葉を交わした。
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祭りの輪の中に、見知った顔が、次々と見える。
老家令のオットーは、相変わらず矍鑠として、若い者たちに、領の歴史を語り聞かせている。
技師のフェリクスは、すっかり領の中心人物となり、新たな水車の設計を、誇らしげに披露していた。
商人のハンナは、各地から集まった商人たちと、賑やかに商談を交わしている。グレンツェ・ブルーは、今や、王国を越えて、他国にまで知られる名品となっていた。
そして、ディートハルトは、子どもたちに剣の稽古をつけながら、時折、アリシアへと、優しい眼差しを向けていた。
皆が、それぞれの場所で、生き生きと輝いている。
その光景を眺めながら、アリシアの胸は、温かな幸福で、満たされていった。
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ふと、一人の少女が、アリシアに駆け寄ってきた。
難民として、母と共にこの地へ来た、幼い少女だった。彼女は、はにかみながら、手にした小さな花束を、差し出した。
「領主様。これ、あの青いお花で作ったの。いつも、ありがとう」
花束は、グレンツェ・ブルーの源たる、あの花で編まれていた。素朴で、けれど、心のこもった贈り物だった。
「まあ……ありがとう。とても、嬉しいわ」
アリシアは、膝を折り、少女と目線を合わせて、花束を受け取った。
その小さな手と、無邪気な笑顔に、彼女は、改めて思う。
(この子たちの未来を、守れてよかった)
かつて、行き場をなくし、この地へ流れ着いた人々。その子どもたちが、今、こうして安心して笑い、未来を夢見ている。それこそが、彼女の成し遂げたことの、何よりの証だった。土地を富ませることよりも、地位を得ることよりも、この無邪気な笑顔を守れたことこそ、彼女にとって、最も誇らしいことだった。
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夕暮れ、感謝祭が、最高潮を迎える。
篝火が灯され、人々の歌と笑い声が、グレンツェの空に、響き渡る。
その輪の中心で、アリシアは、心から笑っていた。
婚約を破棄され、すべてを失い、たった一人で辺境へ追われた、あの日。あのときは、想像もできなかった、温かく満ち足りた日々が、今、確かに、ここにある。
「家柄しか取り柄がない、退屈な女……か」
元婚約者の言葉を、彼女は、もう一度、口の中で呟いた。
そして、静かに微笑む。その言葉は今や、痛みでも、皮肉でもなく、ただ、ここまでの道のりを思い起こさせる、懐かしい響きでしかなかった。
追放された令嬢が掴んだ、本当の幸福。それは、何ものにも代えがたい、確かな輝きを放っていた。




