第37話
追い詰められたファルケンラート伯爵は、しかし、容易には屈しなかった。
「陛下。これは、とんだ茶番でございます」
彼は、落ち着き払って、進み出た。
「辺境の小娘が、偽の文書を弄して、忠臣たるこの私を陥れようとしている。すべては、領の経営に行き詰まり、その責を、誰かに転嫁せんとする、苦し紛れの讒言でございましょう」
巧みな弁舌だった。長年、権力の座にあった者の、淀みない反撃。
伯爵は、なおも続けた。
「そもそも、その文書とやらが、本物である証は、どこにございます? 偽造など、いくらでも可能。証拠と称するものの、出所すら、定かではありますまい」
会場のざわめきが、わずかに、伯爵へと傾いた。
なるほど、文書だけでは、偽造の疑いを、完全には拭えない。長年の重臣たる伯爵の言には、確かに、人を惑わす力があった。
*
けれど、アリシアは、動じなかった。
この反論は、予測の内だった。だからこそ、彼女は、最後の切り札を、用意していたのだ。
「伯爵。文書の真偽を、お疑いですか」
アリシアは、静かに微笑んだ。
「ならば、生きた証言を、お聞きいただきましょう」
彼女が合図すると、会場の扉が開き、数名の人物が、進み出てきた。
一人は、かつてグレンツェで、中間搾取の実務を担わされていた、元徴税吏。一人は、伯爵の指示で、文書の隠蔽に関わった、元書記官。そして──伯爵の不正に長年加担し、良心の呵責に耐えかねた、内部の協力者たち。
彼らは、ローゼンベルク侯爵夫人とハンナが、危険を冒して探し出し、説得してきた、生きた証人だった。
「私は、伯爵の命令で、グレンツェの税を、不正に抜き取っておりました」
「私は、鉱脈の文書を、隠蔽するよう、命じられました」
証人たちが、次々と、真実を語り始める。
その証言は、文書の内容と、寸分違わず一致した。もはや、偽造などという言い逃れは、通用しない。動かぬ物証と、生きた証言が、伯爵の罪を、完全に裏付けたのだ。
*
ファルケンラート伯爵の顔から、ついに、余裕が消えた。
「貴様ら……裏切るのか」
低く、絞り出すような声だった。長年、絶対的な権力で人を従えてきた男の、はじめて見せる、動揺だった。
「裏切りではございません」
元徴税吏の一人が、毅然と答えた。
「ただ、正しいことを、申し上げているだけでございます」
その言葉に、伯爵は、言葉を失った。
絶対のはずだった支配が、足元から、崩れていく。恐怖で縛りつけてきた者たちが、勇気を出して、真実の側へと回った。それは、アリシアが、王都で築き上げてきた、信頼の力だった。力で人を従えることはできても、心まで縛ることはできない。伯爵が見落としていたのは、まさにその一点だった。
「陛下」
アリシアは、改めて、国王陛下に向き直った。
「文書、そして証言。これだけの証拠が、揃いましてございます。ファルケンラート伯爵の不正は、もはや、疑いの余地もございません」
国王陛下は、深く頷いた。
その表情には、もはや、いささかの迷いもなかった。長く信を置いてきた重臣の、隠された素顔を知った驚きと、それを暴いた若き領主への、確かな信頼が、その面に浮かんでいた。
「……見事である、グレンツェの領主よ」
陛下の声が、厳かに、大広間に響いた。
巨悪の鉄壁は、ついに、打ち破られた。アリシアの知略と、彼女が紡いだ信頼の糸が、王国の影さえも、白日のもとへと、引きずり出したのだった。剣を一度も抜くことなく、ただ正しさと、人と人との繋がりだけで。それは、夫人が説いた「見えない力」が、最も大きな力に勝った瞬間でもあった。




