第35話
王宮の式典の日が、訪れた。
壮麗な大広間に、王国中の貴族や要人が集っていた。煌びやかな装い、華やかな調べ、そして、頂きには、国王陛下の御座がある。一年余り前、アリシアが婚約を破棄された、まさにその場所だった。
アリシアは、ローゼンベルク侯爵夫人に伴われ、その場に姿を現した。
纏うのは、最も気高いグレンツェ・ブルーのドレス。深く澄んだその色は、王宮の灯りの下で、凜と輝いていた。
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会場に、ファルケンラート伯爵の姿もあった。
温厚そうな初老の紳士。けれど、その双眸の奥には、底知れぬ冷たさが宿っている。彼は、アリシアの姿を認めると、わずかに目を細めた。
二人の視線が、はじめて、正面から交わった。
伯爵は、優雅に近づいてくると、慇懃に頭を下げた。
「これはこれは、噂のグレンツェ領主殿。お初に、お目にかかる」
「ファルケンラート伯爵。お会いできて、光栄ですわ」
アリシアも、優美に応じる。けれど、その内心では、静かな緊張が、張り詰めていた。
「辺境の領を、見事に蘇らせたとか。たいしたものだ」
伯爵は、穏やかに微笑んだ。
「だが──若いうちは、身の丈を知ることも、肝要ですぞ。背伸びをしすぎれば、足元をすくわれることもある」
言葉の裏に、明確な警告が滲んでいた。これ以上、深入りするな、と。
「ご忠告、痛み入ります」
アリシアは、臆さず微笑み返した。一年余り前、この同じ大広間で投げつけられた侮辱の言葉が、ふと胸をよぎる。けれど、もう何も怖くはなかった。
「けれど、わたくしは、身の丈に合ったことしか、いたしません。ただ──守るべきものを、守るだけですわ」
その毅然とした返しに、伯爵の笑みが、ほんのわずか、揺らいだ。
この小娘は、わかっていて、なお退かぬつもりか。彼の目に、はじめて、本物の警戒の色が宿った。
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やがて、式典が、厳かに始まった。
国王陛下が臨席し、儀礼が、滞りなく進んでいく。アリシアは、その時を、静かに待った。告発を切り出す、最良の瞬間を。
(落ち着いて。一度きりの好機を、逃してはならない)
胸の鼓動が、速くなる。けれど、頭は、氷のように冷静だった。
ディートハルトは、会場の警備に紛れ、いざというときに備えている。ハンナは、証拠の最終確認を済ませ、合図を待つ。夫人は、すぐ傍らで、心強い後ろ盾となってくれている。みな、それぞれの持ち場で、この一瞬のために力を尽くしてきた。
すべての準備は、整った。
あとは──アリシアが、一歩を踏み出すだけ。
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儀礼が一段落し、歓談の時となった、その瞬間。
アリシアは、すっと前へ進み出た。
「恐れながら、陛下に、申し上げたき儀がございます」
澄んだ声が、大広間に、よく通った。
ざわめきが、ぴたりと止む。すべての視線が、グレンツェ・ブルーを纏った女領主へと、集まった。
国王陛下が、訝しげに、彼女に目を向ける。そして、ファルケンラート伯爵の顔から、すっと、表情が消えた。
「グレンツェ領主、アリシアと申します。この国で、長年にわたり行われてきた、ある重大な不正について──陛下に、直々に、お訴え申し上げます」
その言葉に、会場が、どよめいた。
一年余り前、この同じ場所で、侮辱に耐え、ただ静かに去った令嬢。その彼女が今、衆人環視の中心で、国王陛下に向かって、堂々と声を上げている。あのとき、彼女を嗤った者たちも、見下した者たちも、今は固唾を呑んで、その姿を見つめていた。同じ大広間、同じ視線。けれど、立っている彼女は、もう、あの日の彼女ではなかった。
運命の対決の、火蓋が、切られた。




