第33話
社交界での足場を固める一方、影での調査も、着実に進んでいた。
ある夜、ハンナが、興奮を抑えきれぬ様子で、宿に戻ってきた。
「領主様! 見つけたよ。決定的なやつを!」
「決定的な?」
「ああ。例の鉱脈の調査記録、その大元だ。ファルケンラート伯爵が、何十年も前から、グレンツェの鉱脈を把握してた証拠さ」
*
ハンナが差し出したのは、巧妙に隠匿されていた、古い文書の写しだった。
それは、ファルケンラート家が、密かに行わせた、グレンツェ領の地質調査の報告書だった。日付は、数十年前。そこには、地下に眠る稀少な鉱脈の存在と、その莫大な価値が、はっきりと記されていた。
さらに、別の書付には、その鉱脈を独占するための、長期的な計画の断片までもが、残されていた。領を計画的に困窮させ、価値を貶め、いずれ手に入れる。──冷酷な、けれど緻密な青写真。数十年という時をかけて、一つの領をじわじわと枯らしていく。その執念深さに、アリシアは背筋が冷えるのを覚えた。
「これは……動かぬ証拠だわ」
アリシアの声が、緊張に震えた。
これまでの、状況証拠ではない。ファルケンラート伯爵が、明確な意図をもって、グレンツェを陥れてきたことを示す、決定的な物証だった。
「よく、これを手に入れてくれました、ハンナ」
「いやあ、危ない橋を渡ったよ。けど、これでようやく、あの狸を追い詰められる」
ハンナは、額の汗を拭った。その表情には、達成感と、まだ消えぬ緊張が、入り混じっていた。
*
だが、喜んでばかりはいられなかった。
調査が核心に近づいたことは、裏を返せば、相手に気取られる危険も、高まったということだ。
その懸念は、的中した。
翌日、宿に戻ったアリシアは、部屋の様子が、わずかに変わっていることに気づいた。誰かが、留守中に侵入し、何かを探した形跡があったのだ。
「……気づかれたわね」
アリシアの表情が、引き締まる。
幸い、重要な証拠は、夫人の屋敷に厳重に保管してあった。けれど、相手が、こちらの動きを察知し、警戒を強めたことは、間違いない。
「ディートハルト。警戒を、厳重に。ハンナも、しばらく単独行動は控えて」
「ああ。わかっている」
「了解だよ。けど、ここまで来たんだ。引くわけにはいかないよね」
三人は、顔を見合わせ、頷き合った。
敵の本拠地で、巨悪の尻尾を掴んだ。けれど、それは同時に、最も危険な領域へと、足を踏み入れたことを意味していた。
*
その夜、アリシアは、ディートハルトから贈られた短剣を、そっと握りしめた。
冷たい刃の感触が、不思議と、心を落ち着かせる。遠く離れた領で、自分を待つ仲間たちの顔が、脳裏に浮かんだ。ディートハルトの不器用な気遣いも、村人たちの温かな見送りも、すべてが、この刃に込められているようだった。
(あと、少し)
決定的な証拠は、手の中にある。あとは、これを、しかるべき場で公にし、伯爵の不正を、白日のもとに晒すだけだ。
けれど、その最後の一歩こそが、最も困難で、最も危険なものになるだろう。相手は、追い詰められれば、なりふり構わぬ反撃に出るはずだ。長年築いてきた権力のすべてを使って、こちらを潰しにかかるに違いない。それでも、ここで退けば、グレンツェの未来はない。
「それでも、退かない」
アリシアは、窓の外の夜空を見上げ、静かに呟いた。
決戦の時は、刻一刻と、近づいていた。彼女の知略と覚悟が、真に試される瞬間が、すぐそこまで迫っている。
追放令嬢の戦いは、いよいよ、最終局面へと突入しようとしていた。




