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退屈な女と嗤われて  作者: 小林翼


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第32話

 証拠集めは、慎重に進められた。


 ハンナは、王都の商人や、下級役人たちの間に、情報網を張り巡らせた。金の流れには、必ず痕跡が残る。それを、一つずつ、たぐり寄せていく。


 ディートハルトは、かつての騎士仲間を頼り、軍部や徴税関連の情報を探った。


 そしてアリシアは、ローゼンベルク侯爵夫人の伝手で、社交界へと、静かに足を踏み入れていった。


 *


 ある貴族の夜会。


 アリシアは、夫人に伴われ、その場に姿を現した。


 彼女が纏っていたのは、最も上質なグレンツェ・ブルーのドレスだった。深く、澄んだ青紫。それは、夜会の灯りの下で、息を呑むほど美しく輝いた。


 会場が、ざわめいた。


「あの色は……グレンツェ・ブルー!」


「まあ、なんて見事な。あれほどの発色、見たことがないわ」


 貴婦人たちの視線が、いっせいにアリシアに集まる。


 誰もが慕う流行の色を、これほど完璧に纏った令嬢。その正体が、色の生みの親たるグレンツェ領主だと知れ渡ると、ざわめきは、感嘆へと変わっていった。


 かつて、婚約を破棄され、嗤われ、王都を追われた令嬢。けれど今、彼女は、社交界の頂きを彩る色を従え、堂々と、その中心に立っていた。同じ大広間で、かつては憐れみと嘲笑の的だった自分が、今は羨望の中心にいる。その対比に、けれどアリシアは、勝ち誇る素振りひとつ見せなかった。


「お初にお目にかかります。グレンツェ領主、アリシアと申します」


 優美に微笑む彼女の周りに、人々が集まってくる。かつて彼女を見下した者たちさえ、今は、その色を、その存在を、羨望の眼差しで見つめていた。


 *


 アリシアは、社交の場を、巧みに活用した。


 夫人の教え通り、彼女は「見えない糸」を、丁寧に紡いでいった。グレンツェ・ブルーを慕う貴婦人たちと、和やかに言葉を交わし、信頼を築いていく。


 それは、単なる社交ではなかった。


 いざというとき、自分の側に立ってくれる味方を、一人、また一人と、増やしていく作業だった。表向きは華やかな歓談の裏で、アリシアは、着実に、自らの陣営を固めていた。


「お見事ですわ、アリシア殿」


 夜会の片隅で、夫人が、満足げに囁いた。


「皆、すっかりあなたに魅了されています。これだけの支持があれば、いざというとき、大きな力になりましょう」


「夫人のお導きのおかげです」


「いいえ。あなた自身の、人を惹きつける力ですよ」


 *


 そんな中、アリシアは、ある重要な人物と接触する機会を得た。


 財務評議会に名を連ねる、若い官吏だった。彼は、ファルケンラート伯爵の強引なやり方に、密かに不満を抱いているという。


「グレンツェの課税の件……あれは、明らかに異常でした」


 官吏は、声を潜めて語った。


「私は、伯爵のやり方に、ずっと疑問を感じております。けれど、あの方の権力は絶大で、誰も逆らえない。本当に、正しいことが行われているのか……」


 その言葉に、アリシアは、確かな手応えを感じた。


 伯爵の専横に、不満を抱く者は、内部にもいる。彼らを味方につけられれば、不正を暴く際の、強力な証言者となるだろう。


「あなたのお気持ち、よくわかります」


 アリシアは、官吏に、静かに語りかけた。


「正しいことが、正しく行われる。そんな当たり前が、通る世であってほしい。わたくしも、心から、そう願っています」


 誠実な言葉が、官吏の心を動かしていく。


 こうして、アリシアは、王都の中に、少しずつ、自らの足場を築いていった。華やかな社交の裏で、巨悪を討つための布石が、着実に、打たれていく。


 知略の戦いは、静かに、けれど確実に、進んでいた。


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