第28話
王都行きの準備を進める中、グレンツェに、新たな転機が訪れた。
収穫の秋である。
用水路の整備と、寒さに強い品種の導入が実を結び、その年の作物は、かつてないほどの豊作となった。畑は黄金色に輝き、倉は穀物で満ちていく。
グレンツェの大地が、ついに、本来の実りを取り戻したのだ。
*
豊作を祝い、村では収穫祭が開かれることになった。
広場には櫓が組まれ、色とりどりの布が飾られた。むろん、その布の多くは、誇り高きグレンツェ・ブルーで染められている。村人たちは、手作りの料理を持ち寄り、楽器を鳴らし、歌い、踊った。
かつて、覇気を失い、沈みきっていた村。それが今、これほどの笑顔と活気に満ちている。その光景は、奇跡のようだった。痩せた土地に立ち尽くした、あの到着の日。冷ややかな視線に迎えられた、あの寂れた集落。そのすべてが、今の賑わいからは、もう想像もつかなかった。
「領主様! さあ、こちらへ!」
村人たちに手を引かれ、アリシアも、祭りの輪に加わった。
慣れない手つきで踊る彼女を、皆が温かく笑って迎える。難民として来た者も、古くからの村人も、身分の隔てなく、共に手を取り合い、喜びを分かち合っていた。
*
祭りの喧騒から少し離れ、アリシアは、火を囲む人々を眺めていた。
その隣に、ディートハルトが、そっと腰を下ろした。
「……いい祭りだ」
「ええ。本当に」
二人は、しばし、賑わいを見つめた。
「思えば、遠くまで来たものだ」
ディートハルトが、しみじみと言った。
「俺がこの領に来た頃は、祭りなんて、考えられなかった。皆、その日を生きるので、精一杯だった。それが、今は……」
彼の声には、深い感慨がこもっていた。
かつて、何かに絶望し、心を閉ざしていた騎士。その彼が、今、こうして人々の幸せそうな姿に、目を細めている。アリシアは、その変化を、嬉しく思った。
「あなたも、変わりましたね、団長」
「……そうか?」
「ええ。初めてお会いした頃は、もっと、刺々しかったですもの」
アリシアが微笑むと、ディートハルトは、決まり悪そうに頭をかいた。
「あんたのせいだ。あんたが来てから、何もかも変わった。この領も……俺も」
その言葉に、ふと、二人の間に、特別な空気が流れた。
炎に照らされた互いの顔を、見つめ合う。賑やかな祭りの音が、なぜか遠く感じられた。
「アリシア殿」
ディートハルトが、何かを言いかけた、そのとき。
「領主さまー! 団長さまー! 一緒に踊ろうよ!」
子どもたちが、無邪気に駆け寄ってきた。
張り詰めかけた空気が、ふっと解ける。二人は、顔を見合わせて、思わず笑った。
「ふふ。呼ばれていますわ」
「……ああ、そうだな」
立ち上がり、子どもたちの輪へと戻っていく。けれど、今しがた芽生えかけた想いの余韻は、確かに、二人の胸に残っていた。
*
夜が更けても、祭りは続いた。
篝火が夜空を焦がし、人々の笑い声が、星々まで届くようだった。
アリシアは、その輪の中心で、心から笑っていた。
追放されたあの日、こんな未来が待っているとは、思いもしなかった。けれど今、彼女は確かに、ここで、幸せを掴んでいる。誰かに与えられたものではない。自らの手で、仲間と共に、一から築き上げた幸せだった。
来る王都での戦いの前の、つかの間の、けれど何より大切な、温かなひととき。それは、彼女がこれから守り抜くべきものの、まぎれもない姿だった。この笑顔を、この賑わいを、誰にも奪わせはしない。炎を見つめながら、アリシアは、静かにそう誓った。




