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退屈な女と嗤われて  作者: 小林翼


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第27話

 ローゼンベルク侯爵夫人が領を去る日が、来た。


 短い滞在だったが、彼女がもたらしたものは、計り知れなかった。アリシアは、馬車に乗り込む夫人を、丁重に見送った。


「夫人。本当に、ありがとうございました。授けていただいたこと、決して無駄にはいたしません」


「ふふ。楽しみにしていますよ、アリシア殿」


 夫人は、優雅に微笑むと、最後に一つ、こう告げた。


「あなたは、もう一人ではない。困ったときは、わたくしの名を頼りなさい。社交界のどこかで、必ず力になりましょう」


 その言葉を残し、馬車は静かに走り去っていった。


 *


 夫人を見送ったアリシアの胸には、新たな決意が芽生えていた。


 いずれ、王都へ赴く。社交界という戦場に、自ら踏み込む。そのための準備を、今から進めねばならない。


 その夜、彼女は、ディートハルトとハンナ、そして主だった者たちを集めた。


「皆に、話があります」


 アリシアは、これまでの経緯と、判明した黒幕の正体を、皆に語った。ファルケンラート伯爵という、王国の影。そして、いずれ王都へ乗り込む、自らの覚悟を。


 一同の表情が、引き締まる。


「相手は、王国一の権力者。生半可な戦いではありません。けれど──わたくしは、退きません。この領を、皆との暮らしを守るために」


「当然だ」


 真っ先に応えたのは、ディートハルトだった。


「あんたが行くなら、俺も行く。剣が必要な場面も、あるだろう。それに──あんた一人を、危険な場所へやれるものか」


 ぶっきらぼうな言葉の端に、隠しきれない想いが滲んでいた。


「あたしも、王都の伝手なら任せときな。情報も、商売の縁も、いくらでも繋いでみせるよ」


 ハンナも、力強く頷いた。


 フェリクスや、オットーや、村の代表たちも、次々と決意を口にした。誰一人、臆する者はいなかった。皆、この領と、その領主のために、共に戦うことを誓った。難民として迎えられた者も、長くこの地に暮らしてきた者も、今は一つの想いで結ばれている。


 アリシアは、集まった仲間たちを見渡し、胸を熱くした。


(一年前、わたくしは、たった一人だった)


 婚約を破棄され、家を追われ、誰にも見送られず辺境へ来た、あの日。けれど今、彼女の隣には、これほど多くの、頼もしい仲間がいる。血の繋がりも、家の格も関係ない。ただ、同じ志のもとに集った者たちが。


 共に汗を流し、苦難を越え、信頼を育んできた、かけがえのない人々が。


「ありがとう、みんな」


 アリシアの声が、わずかに震えた。


「わたくしは、幸せ者です。皆と出会えたことが、何よりの財産だわ」


 *


 会議が終わり、皆が去った後。


 アリシアは、一人、夜空を見上げた。


 あの夜会の夜、王宮の大広間で、侮辱に耐えながら、ただ静かに歩き出した自分。あのとき胸に灯った、まだ形にならない小さな決意は、今、確かな炎となって燃えている。


「家柄しか取り柄がない、退屈な女……」


 元婚約者の言葉を、彼女は静かに呟いた。


 けれど、もう、その言葉に痛みはない。むしろ、感謝すら覚える。あの言葉が、あの婚約破棄が、彼女をこの地へ導き、本当の自分と、本当の仲間に、出会わせてくれたのだから。もしあのまま王都に留まっていたら、決して知ることのなかった幸せが、今ここにある。


 第二部の戦いは、ここから、新たな段階へと進んでいく。


 守るべきものを得た領主の戦いは、より大きく、より熱く、燃え上がろうとしていた。失うものなど何もなかったあの頃とは違う。今の彼女には、守りたいものが、はっきりと見えていた。


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