第26話
ローゼンベルク侯爵夫人の滞在は、アリシアに、多くのものをもたらした。
夫人は、社交界の重鎮として培ってきた、貴族社会の機微や、権力の力学を、惜しみなくアリシアに授けた。それは、辺境にこもっていては、決して得られぬ知見だった。
「いいですか、アリシア殿。力には、二種類あります」
ある夜、お茶を囲みながら、夫人は語った。
「一つは、爵位や財のように、目に見える力。もう一つは──人と人との繋がり。誰が、誰を信じ、誰と結びついているか。社交界とは、その見えない糸の、織物なのですよ」
「見えない糸……」
「ファルケンラート伯爵が、なぜ強大か。彼は、その糸を、誰よりも多く握っている。だからこそ、表に出ずとも、国を動かせる。彼に対抗するには、あなたも、自分の糸を、紡がねばなりません」
アリシアは、夫人の言葉を、深く心に刻んだ。
*
夫人は、さらに、具体的な助言も与えた。
「グレンツェ・ブルーは、よい武器です。あの色は、もはや王都の貴婦人たちの、心を掴んでいる。それは、ただの商品ではない。あなたと、社交界とを結ぶ、糸になりうるのです」
「と、おっしゃいますと?」
「あの色を慕う者たちは、いわば、あなたの潜在的な味方。彼女たちの支持を、目に見える力に変えるのです。例えば──そう。あなた自身が、もう一度、社交界に姿を見せるとか。最も鮮やかな形で」
アリシアは、はっとした。
追放され、辺境に追いやられた自分。けれど、自らが生み出した「グレンツェ・ブルー」は、すでに社交界の頂きを彩っている。その色を纏い、堂々と王都に立てば──状況は、大きく変わるかもしれない。捨てられた令嬢ではなく、一つの色を王国に広めた領主として。立場そのものを、塗り替えることができる。
「面白い、と思いません?」
夫人は、悪戯っぽく目を細めた。
「かつてあなたを嗤った者たちの前に、あなたが作った色を纏って、領主として現れる。これほど鮮やかな返礼は、ありますまい」
「ふふ……夫人は、人が悪いですわ」
アリシアも、思わず微笑んだ。
*
夫人との語らいは、アリシアの視野を、大きく広げた。
これまで彼女は、領の中だけで戦ってきた。けれど、敵が王都の権力者である以上、いずれは、その舞台にも踏み込まねばならない。社交界という、見えない糸の織りなす世界に。
そして、夫人は、その世界への、心強い導き手となってくれた。
「夫人。なぜ、ここまでしてくださるのですか」
アリシアが問うと、夫人は、しばし窓の外を見つめ、静かに答えた。
「わたくしも、若い頃、理不尽に潰されかけたことがあってね。あのとき、手を差し伸べてくれた人がいたから、今のわたくしがある。その恩を、巡らせているだけですよ」
その言葉に、アリシアは、胸を打たれた。
受けた恩を、次の誰かへ。それは、グレンツェの村人たちが、難民を受け入れたときと、同じ心だった。立場も、時代も違う。けれど、人を救おうとする想いは、同じ温度で繋がっている。アリシアは、そのことに、深く胸を打たれていた。
「いつか、わたくしも……」
「ええ。あなたなら、きっとそうするでしょう」
夫人は、慈愛のこもった目で、アリシアを見つめた。
世代を超えて受け継がれる、優しさの連鎖。その温かさの中で、アリシアの戦う力は、また一つ、確かなものになっていった。新たな知見と、心強い導き手と、そして受け継いだ温もり。それらすべてが、これから始まる王都での戦いへの、確かな備えとなっていく。




