第25話
黒幕の正体を探るには、王都へ赴く必要があった。
けれど、領を長く空けるわけにはいかない。アリシアは、信頼できるハンナを王都へ送り、自身は領に残って、情報を待つことにした。
そんな折、思いがけぬ来客が、グレンツェを訪れた。
*
一台の上品な馬車が、領主館の前に止まった。
降り立ったのは、優雅な物腰の老婦人だった。豊かな白髪を結い上げ、深い知性を湛えた瞳をしている。ただ者ではない気配が、その全身から漂っていた。
「お初にお目にかかります。アーデルハイト・フォン・ローゼンベルクと申します」
その名に、アリシアは息を呑んだ。
ローゼンベルク侯爵夫人。社交界の重鎮であり、その慧眼と気骨で、多くの貴族から一目置かれる、伝説的な女性だった。すでに表舞台からは退いているはずの彼女が、なぜ、こんな辺境に。
「ローゼンベルク侯爵夫人……! このような場所まで、いったい何のご用で」
「ふふ。そう警戒なさらないで」
夫人は、上品に微笑んだ。
「噂を聞いてね。荒れ果てた辺境を、見事に蘇らせた若き女領主がいる、と。この老いた身に、最後にもう一度、面白いものを見せてくれる人がいるのではと、興味が湧いたのですよ。だから、こうして遠路はるばる、足を運んでみたのです」
*
アリシアは、夫人を館に迎え入れ、領を案内した。
潤った畑、活気ある工房、生き生きと働く人々。難民を受け入れ、皆が手を取り合う、温かな共同体。夫人は、その一つ一つを、鋭い目で観察していった。
「これを、すべて一年で……」
夫人は、感嘆の溜息を漏らした。
「見事なものです。あなたは、ただ土地を富ませただけではない。人の心を、束ねてみせた。それこそが、最も難しく、最も尊いこと」
「もったいないお言葉です」
「いいえ、世辞ではありません。わたくしは、長く社交界を見てきました。爵位や財に驕る愚か者を、数えきれぬほど。けれど、あなたのような領主は、ついぞ見たことがない」
夫人の言葉には、確かな実感がこもっていた。
そして、彼女は、声を落として続けた。
「アリシア殿。一つ、忠告をさせてください。あなたは今、王都で、ある人物の注目を集めています」
アリシアの表情が、引き締まった。
「……ファルケンラート伯爵、でしょうか」
「あら。気づいていらしたのね」
夫人は、わずかに目を見張った。
「ええ。その通りです。あの方は、王国の影。表に出ず、けれど、あらゆる糸を握る、真の権力者。あなたが相手取っているのは、それほどの大物なのですよ」
夫人の声は、静かだったが、その内容は重かった。王や宰相の名は、誰もが知っている。けれど、その背後で実際に国を動かしているのは、表に出ない者たちだ。ファルケンラート伯爵は、まさにその筆頭だという。
ついに、敵の名が、はっきりと告げられた。
アリシアは、静かにその名を、胸に刻んだ。ファルケンラート伯爵。あの夜会の片隅で、自分を見つめていたかもしれない、見えざる支配者。
「夫人は、なぜ、それをわたくしに?」
「さあ、なぜでしょうね」
夫人は、悪戯っぽく微笑んだ。
「ただ──面白い人には、少し肩入れしたくなる。それだけのこと。年寄りの、気まぐれと思ってくださいな」
その瞳の奥には、けれど、確かな何かが宿っていた。単なる気まぐれではない。長く権力の世界を見てきた者として、何か期するものがあるのかもしれない。けれど夫人は、それ以上を語ろうとはしなかった。
強大な敵の正体と、思わぬ協力者の出現。物語は、大きく動き出そうとしていた。




