第19話
領が豊かになるにつれ、新たな悩みが生まれていた。
人手不足である。
染料の生産、畑の耕作、用水路の維持。やるべきことは山積みなのに、グレンツェの人口は、依然として少ないままだった。長年の荒廃で、多くの民が領を去ってしまっていたのだ。
「人が、要るわ……」
帳面を前に、アリシアは思案していた。
産業を広げるには、働き手がいる。けれど、今いる村人だけでは、とても手が回らない。かつて逃げ出した者たちを、どうにか呼び戻せないものか。
*
そのとき、ハンナが、ある報せを持ってきた。
「領主様。隣の領で、難民が出てるって話だよ」
「難民?」
「ああ。フェルダー領のさらに南、ある領で重い税に耐えかねた連中が、土地を捨てて流れ出してる。行く当てもなく、街道をさまよってるそうだ」
アリシアの目が、鋭くなった。
土地を追われ、行き場をなくした人々。それは、痛ましい話だった。けれど同時に──彼女の頭の中で、ある考えが、素早く形を結んでいく。
(行き場のない人々。そして、人手を求める領)
二つの困りごとが、まるでパズルのように、噛み合った。
「ハンナ。その人たちを、グレンツェに迎え入れましょう」
「迎え入れる? あんな素性も知れない連中を?」
ハンナは、驚いたように目を見張った。難民の受け入れは、領にとって負担も大きい。住まいも、食料も、用意してやらねばならない。
「ええ。彼らには、行く場所が必要。わたくしたちには、人手が必要。互いに、求めるものを与え合えるはずです」
アリシアの瞳には、確信があった。
「それに……」
彼女は、言葉を続けた。
「行き場をなくして、すべてを失った気持ちは、わたくしにもわかります。あのとき、誰かが手を差し伸べてくれたら、どれほど救われたか」
その言葉に、ハンナは、はっと口をつぐんだ。
かつて婚約を破棄され、家を追われ、辺境へ流れ着いたアリシア自身。彼女の言葉には、机上の理屈ではない、痛みを知る者ならではの実感がこもっていた。
*
だが、村人たちの中には、難色を示す者もいた。
「よそ者を、そんなに受け入れて大丈夫なんで?」
「ただでさえ、暮らしは楽じゃねえのに……」
不安の声は、もっともだった。アリシアは、村の広場に皆を集め、丁寧に語りかけた。
「皆さんの不安は、わかります。けれど、思い出してください。この領も、かつては見捨てられた土地でした。誰も見向きもしなかった、わたくしたちを」
村人たちが、静かに耳を傾ける。
「彼らも、同じです。今は何も持たない。けれど、手を取り合えば、共にこの領を、もっと豊かにする仲間になれる。わたくしは、そう信じています」
誠実な言葉が、人々の心に、ゆっくりと染み込んでいく。
やがて、一人の老人が、ぽつりと言った。
「……領主様の言う通りだ。おらたちも、見捨てられたところを、拾ってもらった身だもんな」
その一言が、潮目を変えた。村人たちの表情から、頑なさが解けていく。
「そうだな。困ったときは、お互い様だ」
「受け入れよう。みんなで、やってみよう」
反対の声は、いつしか、温かな賛同へと変わっていた。
アリシアは、村人たちの優しさに、胸を熱くした。
苦難を知る者は、他者の苦難に寄り添える。グレンツェの人々は、自らが救われた経験を通じて、今度は誰かを救う側に立とうとしていた。かつて手を差し伸べられた温もりが、こうして次の誰かへと巡っていく。それは、領が本当の意味で豊かになった証でもあった。
「ありがとう、皆さん。さあ、新しい仲間を、迎えに行きましょう」
アリシアの声に、村は、温かな決意で満たされた。




