第18話
フェルダー領との交易が始まり、グレンツェの染料は、いよいよ王都へと流れ込んでいった。
その鮮やかな青紫は、たちまち王都の貴婦人たちを魅了した。これまでにない発色、上品な深み。誰もが、その布を求めた。
「グレンツェ・ブルー」
いつしか、その色には、そんな名がつけられていた。辺境の領の名が、最も洗練された色の代名詞として、社交界に広まっていく。
*
その評判は、当然、モルゲンシュテルン家にも届いた。
ある日の午後。マリーベルは、仕立て屋から届いた新作のドレスを前に、上機嫌だった。
「見て、レオン様! 今、王都で一番人気の色ですって。グレンツェ・ブルーというのよ」
「グレンツェ……?」
その名に、レオンハルトは、わずかに眉をひそめた。どこかで聞いた覚えがある。
「ええ。なんでも、北の辺境で作られている、珍しい染料だとか。これを身につけていないと、舞踏会で恥をかくくらいの流行りなんですって」
マリーベルは、得意げにドレスを広げてみせる。その美しい青紫を、うっとりと眺めながら。
彼女は、知らなかった。
その色が、誰の手によって生み出されたものなのかを。自分が今、何より欲しがっているその色こそ、かつて嘲笑い、辺境へ追いやった、あの「退屈な女」の作品であることを。
レオンハルトもまた、結びつけることができなかった。彼の中で、グレンツェとアリシアは、まだ繋がっていない。「終わった女」のことなど、とうに記憶の隅に追いやっていたのだ。
「ふん、辺境の染料か。まあ、お前が気に入ったなら、好きにするといい」
「ありがとう、レオン様!」
二人は、その色の出自に思い至ることもなく、無邪気に流行を享受する。
皮肉な構図だった。自分たちが見下し、捨て去った相手の成果を、知らぬまま、ありがたがって身にまとう。けれど、それに気づく日が来ることなど、彼らは想像もしていなかった。
*
一方、グレンツェでは。
アリシアのもとに、ハンナが王都の様子を伝えていた。
「領主様、聞いておくれよ。『グレンツェ・ブルー』、王都じゃもう大変な人気だ。貴族の奥方連中が、こぞって買い求めてるってさ」
「まあ……それは、嬉しいこと」
アリシアは、穏やかに微笑んだ。
自分が生み出した領の色が、かつて自分を追い出した社交界で、もてはやされている。その事実に、彼女はささやかな感慨を覚えた。
けれど、そこに、声高な復讐心はなかった。
(嗤われた退屈な女が、今や王都の流行の源……ふふ、人生はわからないものね)
胸に浮かんだのは、勝ち誇る思いよりも、むしろ静かな満足だった。見返してやろうと力んだわけではない。ただ、目の前のことに真摯に取り組んだ結果が、巡り巡って、こうして形になっただけ。
最良の意趣返しとは、相手を打ち負かすことではない。相手の存在すら忘れて、自分の道を堂々と歩むことなのかもしれない。憎しみに囚われている間は、結局その相手に心を縛られたままだ。けれど、ただ前を向いて歩いていれば、いつしか相手は、振り返る価値もない過去になっていく。
「さあ、ハンナ。浮かれてはいられないわ。人気があるうちに、次の手を打ちましょう」
「違いないね! まったく、あんたは抜け目がない」
二人は、顔を見合わせて笑った。
辺境から生まれた一つの色が、王都の頂きを静かに彩っていく。それは、剣も声も用いない、追放された令嬢の、何よりも雄弁な反撃の証だった。誰を傷つけるでもなく、ただ自らの価値で世界を塗り替えていく。それこそが、彼女の選んだ戦い方だった。




