表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
退屈な女と嗤われて  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/15

第12話

 染料が現金を生み始めても、アリシアの視線は、その先を見据えていた。


 一つの産業だけに頼っていては、領は脆い。根本にある、痩せた畑そのものを蘇らせなければならない。そのために必要なのは──水だった。


 *


 領内を流れる川から、畑へ水を引く。


 アリシアは、用水路の整備計画を立てた。地形を測り、勾配を計算し、最も効率よく水を行き渡らせる経路を、帳面に幾度も描き直す。


 計画は、緻密だった。だが、いざ実行となると、壁にぶつかった。


「人手が、足りないわ……」


 用水路を掘るには、多くの働き手がいる。けれど、村に残った人口は限られ、染料の生産にも人を割いている。このままでは、計画は絵に描いた餅で終わってしまう。


 思案するアリシアのもとへ、意外な人物が現れた。


「……話は聞いた」


 騎士団長、ディートハルトだった。


 彼は相変わらず無愛想な顔で、しかし、こう続けた。


「人手が足りんのだろう。騎士団を出す。警備の合間なら、動かせる」


 アリシアは、思わず目を見開いた。


「団長が……? なぜ」


「勘違いするな。領が潤えば、警備もしやすくなる。それだけのことだ」


 ぶっきらぼうに言い捨てるが、その申し出は、アリシアにとって何よりの助けだった。


「……ありがとうございます。助かります」


 ディートハルトは、ふいと顔を背けた。けれど、その耳が、わずかに赤らんでいたことに、アリシアは気づかなかった。


 *


 翌日から、用水路の工事が始まった。


 騎士団の屈強な男たちが加わり、作業は一気に進んだ。村人も、染料で得た希望を胸に、力を合わせる。


 そして、その先頭に立っていたのは、他ならぬアリシア自身だった。


 彼女は、相変わらず泥にまみれて働いた。スコップを握り、土を運び、勾配を確かめては指示を出す。令嬢らしからぬその姿は、もはや村ではすっかり見慣れたものになっていた。


 ディートハルトは、そんな彼女を間近で見ていた。


 工事の指揮を執る、その的確さ。疲れを見せず働き続ける、その粘り強さ。村人と笑い合い、共に汗を流す、その自然な姿。


(……本当に、妙な女だ)


 令嬢が、ここまでやるとは。彼の中の評価が、もう揺らぎようもなく、変わっていく。


 昼の休憩、アリシアが泥だらけの手で水を飲んでいると、ディートハルトがぶっきらぼうに布を差し出した。


「……顔が、汚れている」


「あら。ふふ、団長もですよ」


 アリシアが微笑むと、ディートハルトは気まずそうに目をそらした。けれど、その口元が、ほんのわずかに緩んだのを、今度は彼女も見逃さなかった。


 差し出された布を、アリシアはありがたく受け取った。粗末な布だったが、不思議と温かく感じられた。無愛想な男なりの、不器用な気遣い。それが、可笑しくもあり、嬉しくもあった。


 *


 幾日もの労働の末、用水路は完成した。


 川から引かれた水が、乾いた畑へと、さらさらと流れ込んでいく。ひび割れていた大地が、久方ぶりに潤いを取り戻していった。


 その光景を、アリシアとディートハルトは、並んで見つめた。


「これで、来年の作付けが変わります。畑が、息を吹き返す」


「……ああ」


 短い相槌。けれど、そこに込められた響きは、初対面の時の冷たさとは、まるで違っていた。


 二人の間にあった、頑なな壁。それは、共に泥にまみれ、汗を流すうちに、少しずつ、確かに崩れ始めていた。出会った頃の冷たい衝突が、まるで遠い昔のことのようだった。


 流れる水音が、二人の沈黙を、優しく満たしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ