第12話
染料が現金を生み始めても、アリシアの視線は、その先を見据えていた。
一つの産業だけに頼っていては、領は脆い。根本にある、痩せた畑そのものを蘇らせなければならない。そのために必要なのは──水だった。
*
領内を流れる川から、畑へ水を引く。
アリシアは、用水路の整備計画を立てた。地形を測り、勾配を計算し、最も効率よく水を行き渡らせる経路を、帳面に幾度も描き直す。
計画は、緻密だった。だが、いざ実行となると、壁にぶつかった。
「人手が、足りないわ……」
用水路を掘るには、多くの働き手がいる。けれど、村に残った人口は限られ、染料の生産にも人を割いている。このままでは、計画は絵に描いた餅で終わってしまう。
思案するアリシアのもとへ、意外な人物が現れた。
「……話は聞いた」
騎士団長、ディートハルトだった。
彼は相変わらず無愛想な顔で、しかし、こう続けた。
「人手が足りんのだろう。騎士団を出す。警備の合間なら、動かせる」
アリシアは、思わず目を見開いた。
「団長が……? なぜ」
「勘違いするな。領が潤えば、警備もしやすくなる。それだけのことだ」
ぶっきらぼうに言い捨てるが、その申し出は、アリシアにとって何よりの助けだった。
「……ありがとうございます。助かります」
ディートハルトは、ふいと顔を背けた。けれど、その耳が、わずかに赤らんでいたことに、アリシアは気づかなかった。
*
翌日から、用水路の工事が始まった。
騎士団の屈強な男たちが加わり、作業は一気に進んだ。村人も、染料で得た希望を胸に、力を合わせる。
そして、その先頭に立っていたのは、他ならぬアリシア自身だった。
彼女は、相変わらず泥にまみれて働いた。スコップを握り、土を運び、勾配を確かめては指示を出す。令嬢らしからぬその姿は、もはや村ではすっかり見慣れたものになっていた。
ディートハルトは、そんな彼女を間近で見ていた。
工事の指揮を執る、その的確さ。疲れを見せず働き続ける、その粘り強さ。村人と笑い合い、共に汗を流す、その自然な姿。
(……本当に、妙な女だ)
令嬢が、ここまでやるとは。彼の中の評価が、もう揺らぎようもなく、変わっていく。
昼の休憩、アリシアが泥だらけの手で水を飲んでいると、ディートハルトがぶっきらぼうに布を差し出した。
「……顔が、汚れている」
「あら。ふふ、団長もですよ」
アリシアが微笑むと、ディートハルトは気まずそうに目をそらした。けれど、その口元が、ほんのわずかに緩んだのを、今度は彼女も見逃さなかった。
差し出された布を、アリシアはありがたく受け取った。粗末な布だったが、不思議と温かく感じられた。無愛想な男なりの、不器用な気遣い。それが、可笑しくもあり、嬉しくもあった。
*
幾日もの労働の末、用水路は完成した。
川から引かれた水が、乾いた畑へと、さらさらと流れ込んでいく。ひび割れていた大地が、久方ぶりに潤いを取り戻していった。
その光景を、アリシアとディートハルトは、並んで見つめた。
「これで、来年の作付けが変わります。畑が、息を吹き返す」
「……ああ」
短い相槌。けれど、そこに込められた響きは、初対面の時の冷たさとは、まるで違っていた。
二人の間にあった、頑なな壁。それは、共に泥にまみれ、汗を流すうちに、少しずつ、確かに崩れ始めていた。出会った頃の冷たい衝突が、まるで遠い昔のことのようだった。
流れる水音が、二人の沈黙を、優しく満たしていた。




