98話 君の声
ここはどこだ?
俺は何をしている?
俺?
俺って、誰だっけ。
「おい●●! 何ボーっとしてんだ! さっさと仕事に取り掛かれ!」
「は、はい!」
そ、そうだ。俺は会社員だったんだ。
それもとんでもないブラック企業の……。
「また人が辞めたんだってよ」
「ちっ、勘弁して欲しいぜ。こっちに皺寄せが来るんだからよ」
「おい、まだ終わってねぇのか!?」
「はい! 今すぐ!」
明らかな人数不足。
定時では絶対に帰れず、終わりが見えない仕事。
罵詈雑言を浴びせてくる上司。
終電ギリギリまで仕事して、やっと家に帰ってもご飯を食べる気力すらなく眠りにつく。
起きたら始発で会社に向かい、コンビニのおにぎりや栄養ゼリーを食べてまた仕事。
地獄のような毎日をひたすら繰り返す。
これで本当に生きているというのか?
(リ――様!)
「えっ」
今、誰かが俺の名前を呼んだ気がする。
とても大切な人の声のような気がするのに、誰なのか分からない。
「●●、手を止めてんじゃね~よ! まだまだ余裕そうだな!」
「いえ、そんな事ないです!」
「だったら早く終わらせろや!」
駄目だ駄目だ、集中しろ。
この仕事は終わらせないと今日は帰れないぞ。
はぁ……何でこんな事になってしまったんだろう。
こんな、今生きているのか分からないような……。
もうここ数年、大好きなラノベも読んでいない。
最後にラノベを読んだ時っていつだったんだっけ。
(リオン様!)
まただ。
誰かが俺を呼んでいる。
俺の名前ではないのに、その名前が俺であることが分かる。
(リオン様!)
リオン。リオンって誰だっけ。
ああ、そうだ。思い出したぞ。
俺が大好きなラノベ、「魔術学園の無能力」に登場する悪役貴族のリオン・エルファルドのことだ。
でも、何で俺がリオンと呼ばれているんだ?
俺は●●だっていうのに。
(返事をしてください、リオン様!)
「レイ……ラ?」
そうだ、思い出した。
この声はレイラの声だ。
レイラ・ベルンツベルン。
リオンの婚約者で、大貴族の娘で、めちゃくちゃ可愛くて、優しくて、ちょっと嫉妬深いところがあって、何があっても俺を信じ続けてくれた。
“俺の大切な人で、愛しい人だ”。
「そうだ、そうじゃないか」
ありがとう、レイラ。
君のお蔭で、君の声のお蔭で全部思い出すことができたよ。
俺は●●だけど、今は違う。
俺の名は――、
「おい、まだ終わらねーのか!? いい加減にしねーとぶっ殺すぞ!」
「黙れ」
「あっ? 今なんつった? 俺の聞き間違いじゃねぶぎゃ!?」
上司の顔面をおもいっきり殴り飛ばす。
はは、すんげ~顔してんな。ざま~みやがれ。
あ~あ、生きている時も一発ぐらいこうやってぶん殴ってやれば良かった。
「●●、何しやがる!? ぶっ殺されてぇのか!?」
「俺は●●ではない」
「ああ!? 何言ってんだ!?」
「俺の名は、リオン・エルファルドだ」
「リオ……えっ?」
「消えろ残像。ジャッジメント・ボルテックス」
「ぎゃあああああ!」
雷魔術で上司を焼き尽くす。
これで俺は、過去と決別することができた。
ありがとうレイラ。
今迎えに行くぞ。
◇◆◇
「何故上位魔術を使わないのだエルファルド!? さっきまでの威勢はどうした!」
「五月蠅いぞ! 僕に構わず奴を倒せ! 帝国の王女がそんな事もできんのか!?」
「貴様如きが私に命令するな!」
「あのガキ、さっきまでと性格が違うじゃねぇか。どうやら二重人格ってのも強ち間違いじゃなさそうだな」
本物のリオンは過去の英傑に手も足も出ない。
特に【魔術師殺し】のギンガナムに対しては一発でもまともに攻撃を喰らえばアウト。キャリーサを煽って奴の相手をさせ、とにかく眠りについている相棒を待つしかない。
「そろそろ諦めたらどうだ、お嬢ちゃん。いい加減飽きちまったぜ」
「はぁ、はぁ……この!」
だが、キャリーサを持ってしもギンガナムには歯が立たない。【王族防護】の魔術のお蔭で致命傷は避けられているが、地力の差が段違いだった。
「ホーミングサンダー」
「ちっ、うざってぇな」
遠くからキャリーサの援護をすることで、ギリギリ生き残られている状況。今のままでは打開策もなくどうしようもない。
それに加えて、
「ぐっ」
「くくく、もう諦めたらどうですか?」
さっきからスネルがナイフを投げてくる。
姿が見えないので反撃のしようがないし、例え反撃したところで実体ではないので意味がない。リオンの身体には無数の斬り傷が生まれていた。
(まだか! もう持ち堪えられないぞ!)
未だに目覚めない相棒に呼びかけるも、やはり反応がない。
悔しいが、自分では英傑たちを倒すことができない。相棒の力が必要なのだ。
「が、ぁ……」
「ふぅ、やっと大人しくなったか」
ついにキャリーサが力尽き、ギンガナムに首を鷲掴みされてしまう。頼みの綱だったキャリーサが倒されたことで、ついに絶体絶命の状況に追い込まれてしまった。
「さ~て、ようやくメインディッシュにありつけそうだぜ」
「ギンガナムさん。その前にリオンを倒しちゃってくださいよ」
「バ~カ、味方の前で犯すのが屈服の醍醐味ってもんだろ~が」
「がっ!」
「やれやれ、困ったものですね」
首を絞める力をさらに強めると、キャリーサが呻き声を上げる。
このまま終わってしまうのか?
相棒が目覚めるのを待つことすらできないのか。
本物のリオンが悔し気に拳を強く握った、その時だった。
(ありがとう、リオン。俺と変わってくれ)
「来たか!」
待ちに待っていた瞬間がやってきた。
雷属性を身体に付与する“リオン”は、光の如く地を駆ける。そして、キャリーサの首を絞めているギンガナムの横っ面を殴り飛ばした。
「生きているか」
「ごほ、がは……はぁ、はぁ……死んでたまるものか」
「そうか」
(こいつ、また雰囲気が変わったか)
解放されて呼吸を整えるキャリーサは、眼前にいるリオンを見上げる。
さっきまでとはまるで違う。いや、“出会った時と同じ”と言えばよいだろうか。兎に角、目の前にいる怨敵は何故か頼れるように感じられた。
(全く、遅いぞ)
(悪かったよ相棒。あと、ありがとう。お前が助けてくれなかったら死んでいたよ)
頭の中で会話する二人。
既に身体の支配権はリオンと入れ替わっており、本物のリオンは辛うじて意識が保たれていた。
(悪いが、後は任せたぞ。力を使い過ぎたようだ)
(えっ、大丈夫なのか?)
(心配するな、眠るだけで消えはしない)
(そっか……後は俺に任せて、ゆっくり休んでくれ)
(ああ、そうさせてもらおう)
その言葉を最後に、本物のリオンの反応は途絶えてしまう。
どうやら言っていた通り再び眠りについたようだ。
(ありがとう、リオン)
今まで自分の代わりに戦ってくれた相棒にお礼を言う。彼が居なかったら、大切な人たちを守れず殺されてしまっていただろう。
感謝してもしきれない。
「おい、どうなってんだスネル。あのガキ戻ったようじゃねぇか」
「そんな馬鹿な!? 私の幻術が破られるなんてあり得ません! どうなっているんです!?」
「はは! まぁいいじゃねぇかよ。まだまだ遊べるってことだよなぁ!」
破られることがない魔術を破られ慌てふためくスネルとは逆に、ギンガナムは野獣のような笑みを浮かべてリオンに驀進する。
しかし、放たれた正拳がリオンの身体に触れることはできなかった。
「悪いが、もう遊びはお終いだ」
「何がどうなってやがるッ」
ギンガナムが放った正拳は届かない。
いや、正確には大きな手のようなものに防がれてしまっていた。リオンは莫大な魔力を注ぎ込み、魔術を詠唱する。
「エルファルド・ウル・ボルテックス」
――リオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
砲声を上げて現れたのは、破壊の雷神だった。
リオンが開発した究極の雷魔術は、自身を中心に巨人の雷神を顕現させる。存在自体が強力な雷で、どんな攻撃をも通さない無敵の鎧。
一つの術が最強の矛であり、最強の盾でもある。
極東の島国アズマで八岐大蛇から大和の町を守る時はまだ不完全だったが、魔術大会の時には既に完成させていた。
「で、でけぇな……」
「何ですかあの魔術は……」
雷神を見上げる英傑たちはただ驚愕するしかない。
あんな莫大な魔力を留められているなんて狂気の沙汰ではない。
「はは、面白くなってきやがったぜ! 戦いってのはこうでなくっちゃなぁ!」
ギンガナムの身体から膨大な魔力が迸る。
彼は魔術が使えず、身体強化しか使えない。だが、身体強化も身体に負荷がかかるので制限がある。
その制限を底上げるために死に物狂いで身体を鍛えた。戦士というより野獣のような肉体を手に入れ、敵対する魔術師が魔術を発動する前に瞬殺することから【魔術師殺し】と怖れられたのだ。
そんなギンガナムが、限界を越える身体強化をしてリオンに襲いかかる。
「行くぜ!」
ドパンッと大気が爆ぜ、目で負えない速度で雷神へと突っ込む。渾身の一打を放つも、雷神の鎧にはヒビすら入らなかった。
「マジかよ……」
「終わりだ」
「がぁああああああああ!!」
雷神に触れている箇所から雷を流し込み、ギンガナムの肉体を焼き尽くす。彼の肉体は塵となって霧散した。
「後一人」
「ふ、ふふ……無駄ですよ! この空間にいる限り、私が負けることはありません!」
「この空間が魔術であるなら、貴様の魔力を上回る魔力をぶつければ破れるはずだ」
「やれるものならやってみろぉ!」
確かに魔術の原理で言えばリオンの言葉は正しい。
しかし、練りに練り上げたこの魔術が破られることなど絶対にあり得ない。そんな【奇術師】の自信は直後に破られた。
「雷神の剣」
雷神の右手に雷剣が顕現する。雷剣を振り抜くと、空間が真っ二つに斬り裂かれ、元の帝都の町並みに戻る。
すると目の前にスネルを発見した。術を破った今、奴は実体で間違いだろう。
「ば、馬鹿な……!?」
「見つけたぞ」
「ちょっ、待っ――」
命乞いをする間もなく、スネルは雷剣によって押し潰された。リオンが魔術を解いて着地すると、背後から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
「リオン様!」
「レイラ!」
愛しい彼女をぎゅっと抱き締める。
レイラは心配そうな瞳でリオンを見つめ、
「ご無事でしたか?」
「ああ、レイラのお蔭だ。この指輪を通してレイラが呼びかけてくれなかったら危なかった」
リオンは左手に嵌めてある婚約指輪を見ながらお礼を伝える。
スネルの幻術にかかっていた時、レイラの声が聞こえた。それは指輪を通したレイラの声だった。
レイラが呼び続けてくれたから幻術を破れることができたんだ。
「ありがとう、レイラ。君の声のお蔭で闇の魔術師を倒すことができた」
「リオン様……」
心から感謝を伝えるリオンは、もう一度レイラを抱き締める。
愛しい人が無事でいてくれて良かったと、レイラもリオンを抱き締めた。
「レイラ、今の状況を教えてくれ」
「はい。リオン様が結界の中に閉じ込められてからすぐ、帝都中で爆発が起きました。恐らく他の闇の魔術師も来ているはずです」
「そうか。では今すぐ助けに行く」
「そんなお身体で、ですか?」
リオンの身体には無数の斬り傷があった。顔色から疲労も感じられるし、とても救援に行ける状態ではない。
本当なら止めたい。それでも、彼が助けに行くだろうとレイラは確信していた。
ならば……。
「ああ、帝国を守る為に来たんだからな」
「分かりました。でしたら私も行きます。少しでも負傷者を治療魔術で治します」
レイラの瞳から覚悟を感じたリオンは、静かに首を縦に振る。
「分かった。一緒に行こう」
「はい!」
リオンはレイラを抱えると、戦場へと向かう。
その一部始終を見ていたキャリーサは、酷く戸惑っていた。
「何故、敵であるエルファルドが帝国を守るのだ……」




