50話 届かぬ愛
「えっ、リオン・エルファルド?」
「何でこのクラスに」
(リオン様?)
長期休暇が終わり、魔術学園の授業が再開されました。
授業が全て終わった後、リオン様が私のクラスにやってきました。もしかしてまたカイトさんに用があるのかと思われましたが、彼はまっすぐ私のもとまで来ました。
「レイラ」
「何でしょうか、リオン様」
「お前に話がある」
「そうですか。では場所を移しましょう」
「いや、ここでいい」
皆の前では何ですからと提案したのですが、教室で問題ないようです。
何の話でしょうか……生徒達がいる所でならそれほど重要な話ではないと思いますが。
「分かりました。それで話というのは何でしょう」
聞きましたが、リオン様は黙り込んでしまいます。
まるで、これから告げる言葉を惜しむように。
「リオン様……?」
「レイラ・ベルンツベルン」
「はい」
リオン様が真っ直ぐ私の目を見つめ、名前を呼んできました。
彼のただならぬ雰囲気に、私は直観で気付いてしまいました。
――ああ、ついにこの日が来てしまったのですね。
実は期待していたんです。
口付けによって、リオン様が私を愛していることは証明されました。
ならば、もう脅える必要はないのだと。
「俺は……」
「はい……」
ですが、それは私の願望で、都合の良い幻想でしかありませんでした。
それなら受け入れましょう。それがリオン様の望みというのなら。
覚悟を終えた私に、リオン様はあの言葉を告げたのです。
「お前との婚約を破棄する」
ああ、とうとう……とうとう言われてしまいましたか。
泣いては駄目。そんな女々しい女にだけはなりたくない。
「理由を……リオン様が私との婚約を破棄する理由を教えていただいてもよろしいでしょうか」
「理由か。俺はこの婚約について不服だと思っているからだ」
「何が、不服なのでしょうか」
「俺はお前を好いていない。そして――」
リオン様は一拍置いて、続けて口を開いた。
「俺には他に好きな女がいる」
「っ……!?」
分かっていました。リオン様に好きな人がいることは。
それでも私は、あの口付けが嘘だったなんて思いたくありません。
(ダメ、泣いちゃダメ。ダメなのに……!)
心では思っていても、身体は素直です。
彼の前で情けなく泣きたくなかったのに、勝手に涙が溢れ出てしまいます。それほどリオン様に振られたことに傷ついてしまったのでしょう。
泣くな、口を動かせ、レイラ・ベルンツベルン。
最後までリオン様の足枷になるのだけは避けなければなりません。
私は重い唇をぐっと開き、彼に告げました。
「分かり……ました」
「……」
「婚約の破棄を、受け入れます」
「そうか。正式な申請は追って連絡する。話しは以上だ」
そう言って、リオン様は私に背を向けて一片の名残惜しさも見せず去っていきました。
「うっ……」
悲しさで心が押し潰されそうになった私は、立っていられずその場に座り込んでしまいます。
「レイラ、大丈夫!?」
「レイラさん!」
一部始終を見ていたクラスの生徒たちが、泣いている私に次々と声をかけてくれます。
「リオンの野郎、どういうつもりだ!」
「皆の前ですることかよ!」
「信じられないわ!」
「泣かないで、レイラさん! あんな奴と結婚する必要なんてないわよ!」
皆がリオン様を怒り、私を励ましてくれました。
違うのです。リオン様は悪くありません、私が悪いのです。
そう弁明したいのに、私は赤子のように泣きじゃくるだけで口を開けませんでした。
「私、ちょっとリオンをとっちめてくるわ! カイト、レイラのことお願い!」
「分かった! 泣くなよレイラ、皆レイラの仲間だからさ」
「そうだぜ!」
「うんうん!」
カイトさんが私の肩に手を置き、必死に励まそうとしてくれました。彼だけでなく、ガイさんやディックさん、他の皆も。
けど、今の私には誰の声も届きません。
リオン様との繋がりがなくなったことが、私が想像していたよりずっと胸が痛く、死ぬほど悲しかったからです。
◇◆◇
「どう、少しは落ち着いた?」
「はい、ご心配をおかけして申し訳ございません」
「気にしなくていいわ」
その日の夜、学生寮の自室のベッドで横になっていると、ルームメイトのユイさんが声をかけてくれました。
起き上がろうとする私に、ユイさんが「そのままでいいから」と続けて、
「正直驚いたわ。レイラがリオンのことをあんなに好きだったなんてね」
「……」
「あんな人前で泣きじゃくるくらい好きだったんでしょう?」
「……はい」
私も泣くとは思いませんでした。リオン様に情けない姿を見せたくなくて必死に我慢していたのですが、身体が勝手に反応してしまったのです。
今も喪失感が押し寄せてきて、心にぽっかり穴が空いてしまった感じがします。
「気にするなってのは無理だと思うけど、あんな最低な奴のことなんて忘れなさい」
「ユイさんは、リオン様と何かお話しされたのですか?」
「えっ!? いや、別に、何もなかったわよ!」
「そう、ですか」
彼女の反応から察するに、リオン様と何かあったのでしょう。私に話せないことを考えると、リオン様はユイさんに想いを告げたのかもしれません。
友達の婚約相手に告白されたなんて言えませんからね。ユイさんは私に気を遣ってくれたのでしょう。
「ユイさんは、リオン様のことをどう思っていますか?」
「えっ私!? あんな奴のことなんてどうも思っていないわよ。いや、違うわね。今日のことであいつの評価はマイナスにカンストしたわ」
「リオン様と結婚は考えていませんか?」
「冗談やめてよ、誰があんな奴と。例え告は……ううん、とにかくあり得ないわ」
「そう、ですか」
せめてリオン様の想いが成就するよう手助けできないか考えたのですが、ユイさんに可能性はないようです。
それを聞いて安心する自分に嫌気がさす。もう私とリオン様の仲は終わったのに。
「今は辛いだろうけど、できるだけ早く忘れなさい」
「……」
返事をできないでいると、コンコンと扉がノックされます。ユイさんが「こんな時間に誰かしら」と首を傾げながら扉を開ければ、そこにはクラスメイトがいました。
「あんた……」
「ユイはん、ちょいとレイラはんを借りてもええか?」
訊ねてきたのはクラスメイトのナナさんでした。本名のナナリーと呼ぶと嫌がるので、皆ナナさんと呼んでいます。
「ちょいと顔貸して~や」と言われた私はナナさんにお風呂に連れて行かれました。特に理由は言ってくれず、本人は身体を洗いながら鼻歌を口ずさんでいます。
「うひょ~! レイラはんの身体は陶器のように美しいやんな~! ちょっとだけ触らせてもらってもええ?」
「ダメです」
指を不気味に動かしながら近寄ってくるナナさんが余りにも怖くて断らせていただきました。すると彼女は「ちぇ」と呟きながら、
「冗談やがな。がっはっは! ふぃ~、やっぱ風呂は気持ちええな~!」
(ナナさんか……)
同じクラスではありますが、彼女と二人きりで話したことは一度もありません。知っていることはナナさんが商人の娘であることと、リオン様と仲が良いこと。
あのリオン様が平民の方と仲が良いのは驚きました。そしてリオン様に気さくに話しかけられる彼女のことが羨ましくもあったのです。
「ナナさん。何か私にお話しがあるのでは?」
私の横に入ってきて、気持ち良さそうな声を出すナナさんに尋ねる。彼女が何の用もなく私をお風呂に誘うとは思いませんでした。
「話なんてあらへんよ……て言ったら嘘になるな~。まぁ分かってると思うやろけど、リオンはんのことや」
「……」
「あの時わてもあの場に居たんや。盗み見るつもりはなかったんやけどな、皆もいたし勘弁して~な」
「はい」
「にしても驚いたやんな~。まさかリオンはんがレイラはんとの婚約を破棄するとは露にも思うてへんかったよ」
足で湯をバシャバシャしながら意外そうに言うナナさんに、私は湯に映る自分の顔を見つめながらこう返します。
「私は……いつかこの日が来るのではないかと思っていました」
「えっ!? 何でなん!?」
「リオン様には……他にお慕いしている人がいると知っていたので」
「それってユイはんのことか?」
「えっ……ナナさんも気付いていたのですか?」
驚く私に彼女は「まぁな~」と言い続けて、
「せやけどそれ、違うと思うねん」
「違う……とは?」
「いやな、わても最初はリオンはんがユイはんのことを好きだと思ってたんよ。せやからカイトはんにもちょっかいかけとるってな」
私も同意見です。リオン様がカイトさんを目の敵にするのは、幼馴染のユイさんと仲が良いからだと。
「でもな、違ったんよ。レイラはん、リオンはんが好きなのは確実にあんたや」
「そんなっ……あり得ません!」
「何でそんな否定するんや」
「だって、それなら、どうして、リオン様は私との婚約を破棄するんですか!?」
言ってしまった。胸に留めていた想いを口に出してしまった。
一度口にしてしまったら最後、濁流の如く止まることはなかった。
「私だって、リオン様が私を好きでいてくれていると思っていました! 何度も命を救ってくれた! 何度も優しくしてくれた! 真に愛する者の口付けでしか解けない魔術を解いてくれた! なら期待してもいいじゃないですか!」
「……」
「でも結局、リオン様は私ではなくユイさんを選んだんです。だから私との婚約も破棄した……それが全てです」
思わず立ち上がって反論する私に、ナナさんは冷静に遠くを見ながら口を開きました。
「レイラはんが連れ去られた時な、リオンはんがビックリするほど取り乱したんよ。そら~もう大慌てで、レイラはどこだ! ってわての肩をガシーと掴んでな」
「そんな事が……」
「そんでレイラはんを助けに一人で森に入るっちゅうねん。危ないからやめとけやって言ったんやけど、全然言うこと聞かず一人で行ってしもうたわ」
(森……私が悪魔に攫われた時か)
そんな事があったなんて知らなかったと驚いていると、ナナさんはニヤリと笑みを浮かべて、
「そんでここからが面白いねんけどな、実は同じ時間にユイはんも連れ去られてたんや」
「えっ?」
ユイさんが連れ去られた? 私と同じ時間に?
そんなこと……初めて聞きました。
「そんでリオンはんに聞いたんや。「ユイはんを助けに行かなくてもええんか?」てな。そしたらリオンはんは何て言ったと思う?」
「分かりません……いえ、まさか……」
「お察しの通りや。「平民なら必ず助けるだろう」って言って、ユイはんの救出はカイトはんに任せたんや。おかしな話やと思わへんか?」
「何が……おかしいのですか」
「ユイはんのことは自分で助けに行かず嫌いなカイトはんに任せて、レイラはんの時は一目散に助けに行った。それってつまり、ユイはんよりレイラはんのことを大切にしているってことやろ」
「っ!」
確かに、彼女の話が本当であればリオン様はユイさんと私を天秤にかけた上で私を選んだことになります。ならばリオン様の気持ちはユイ様ではなく私にあるというのですか?
ぐるぐると考えていると、ナナさんが私の思考を斬るように話を続けました。
「なぁレイラはん。リオンはんがあんたとの婚約を破棄したのは事実や。せやけど事実だけが全てではないとわては思うんよ」
「どういう意味でしょうか」
「レイラはんは理解っていると思うやろけど、リオンはんはあ~見えて秘密主義なところがあるやろ?」
「はい」
リオン様が何か隠していることは薄々感じていました。私に言ってくれないことが寂しくて、頼りない自分が嫌でした。
「きっとリオンはんは、レイラはんとの婚約破棄をしなければならない理由があったと思うんよ。だってそうじゃなきゃ、あんだけレイラはん大好きなリオンはんが婚約破棄するとは思われへん」
「理由……ですか」
「そうやで。ま~ぐだぐだ言ったけど、リオンはんがあんたのことを好きなのは間違いあらへん。商人の娘として断言したるわ。後はレイラはんがどうするかやで」
「どう……とは?」
「リオンはんのこと、まだ好きなんやろ?」
「はい」
ナナさんの問いに即答した。
私はリオン様を愛しています。婚約破棄されたことは悲しくてショックでしたが、リオン様に対する気持ちは一生変わることはありません。
「なら諦めなければええんとちゃう」
「諦め、ない?」
「婚約を破棄されたならまた婚約すればええやん。リオンはんが抱えている秘密やら事情を解決して、互いに好き合ってる同士でくっついたらええねん。それともレイラはんは、リオンはんとくっつくことを諦めたんか?」
彼女に聞かれた私は、首を横に振りました。
「いえ、諦めません。諦めたくありません」
「はっ、やっとええ顔になったの。その意気や」
私の答えを聞いて満足そうに笑うナナさんは、湯舟から出て私に背を向けました。そんな彼女に頭を下げてお礼を伝える。
「ナナさん、ありがとうございます!」
「貸し一つやで。頑張りなはれや、レイラはん」
ありがとうございます、ナナさん。
私は間違っていました。自分のことばかりで、リオン様の気持ちを何一つ考えていませんでした。
リオン様は私を愛しているけど婚約破棄しなければならない事情を抱えている。そんな考えは思いもつかず、ナナさんに言われなかったら気付けなかったでしょう。
「リオン様……私、諦めません」
迷いは晴れました。
もう泣きません。もう俯きません。
リオン様と共に歩める道を見つけるまで絶対に諦めないと誓います。
「待っていてください、リオン様」




