28.正野英雄
正野英雄は地元で有名な不良であり、一部ではカリスマ的存在だった。彼を恐れる生徒もいれば、かっこいいとも言われた。高校生どころか大学生と間違えてしまいそうな大人びた彼の雰囲気が人を惹きつけた。
英雄は子供の頃から住んでいる団地のガキ大将で、同じ団地に住む子供たちのリーダーだった。
ぼくから見た目線で彼を言い表すなら、容赦しない男だ。どんなに周囲の大人から怒られようと動じない。言葉ではなく行動で示す。おもに暴力で。相手の胸倉を掴んで吊るし上げて、地面に叩き落とすやり方で容赦なく暴力を振るう。教師だろうと関係がない。
ぼくと英雄が言い争いになった、東中の暴行事件と呼ばれるようになった日。
英雄はタガが外れている。彼と千茅の喧嘩を止めようとしたことが逆鱗に触れ、学校も看過できないほどの暴力沙汰になった。
英雄は一か月の停学処分になり、ぼくは学校へ通うことはなくなった。以降、ぼくたちは会っていない。
もう二度と顔を見ないはずだった。まさかエクスアーツのプレイヤーになっていたなんて思いもよらなかった。
ひたいの傷がうずく。彼に頭を割られたときの傷だ。
スマートフォンを手放した。配信の続きを見る気にはなれなかった。
「ひどい冗談だ」
まるで一年前の事件が続いているようだった。忘れようとしていた記憶は蘇り、後ろから襲いかかってくる。
逃げたい。
気持ちが漏れた。
ぼくにとってエクスアーツは現実逃避の手段だった。辛い現実を忘れて、身体と心を自由にできる、理想の現実逃避。なのに今はむしろ現実を直視するよう仕向けられた罰に思えた。
もう終わったことだ。
気を晴らすために洗面所へ行って顔を洗う。冷水を何度もかけた。
鏡に映る自分自身と目が合う。
前髪をあげて、ひたいの傷が露出する。
忘れよう。一年前の出来事をいつまでも引きずるつまりか。
逃げればいい。当時そうしたように。
そしていつか忘れる。なんてことなかったみたいになる。
「忘れるのか」
そうやって千茅さんのことも忘れたように。
「どうしろっていうんだよ」
ぼくは洗面所を出て、部屋に戻ろうとしたら姉ちゃんがいた。
「晴。みんなにお菓子買ってきたら食べない? 家族分あるよ」
「……ジョギングの後に食べる」
「今から? 遅いからやめておきな」
「少しだけだよ」
姉ちゃんの横を通り過ぎようとする。
「はいダメー」
腕を掴まれた。強い力で振りほどけない。
「なんだよ。今日は突っかかるな」
「もう一回洗面所で鏡見てきたら? しょぼくれてるよ。ガキは甘いもの食べて元気出してな」
姉ちゃんに腕を引っ張られてリビングへ行く。姉ちゃんは鼻歌をうたいながら冷蔵庫からケーキを取り出す。ぼくは皿とフォークを用意した。
リビングの机でケーキを食べる。
「この店、知ってるよ。アップルパイも美味いところ」
「数量限定のヤツね。朝から並ばないと食べれないんだよね」
スポンジとクリームを頬張って、さっきよりは落ち着いてきた。
「美味しかった、ありがとう」
「どういたしまして。そうそう、あと話があるんだけど、いい?」
「……そのためにケーキを用意したんだろ」
姉ちゃんから頼み事があるときは、大抵甘いもので釣る。わかっていた。
「今度友達を家に泊めるから。うるさくなると思うから先手のお詫び。いいでしょう?」
「その程度、かまわないけどさ」
「ありがとう。じゃあそういうことで、よろしくー」
いちごを食べようとしたら姉ちゃんのフォークが刺さって、いちごは姉ちゃんの口の中へ入った。
「いちご込みのお詫びじゃないの」
「知りませーん」
「太るよ」
「太ってませーん」
姉ちゃんは口についたクリームを舐め取って寝っ転がる。
「晴はどう? アルバイトで痩せた?」
「別に……」
ゲームのテスターのアルバイトについては家族に話した。もちろんタイトルは伏せているけど。運動系のXRゲームという情報だけは知っている。
「テンション低いのはいいけどさー。心配させるくらいなら話したほうがいいよ。そんな顔じゃお母さんにも聞かれるよ。暗い顔して面倒くさいから話してよ」
親切なのか傷つけているかわからない言い回しをされた。
普段からほゆ先輩に見透かされたようなことを言われたり、ぼくってわかりやすい人間なんだろうな。
「放っておいてくれ。ひとりでなんとかなる」
姉ちゃんは目を細めた。
「ふーん……。いいけどね。話は終わり。歯磨いて寝なー。ついでに皿洗ってなー」
そう言って姉ちゃんは部屋に戻った。




