26.アップルパイ
駅前に設置された、大きな壁掛け時計の針は一時を指している。見上げると空は青く、日差しが顔に当たった。
ぼくは駅前でカヤさんと会う約束をしていた。テスターとしての経過報告するためもであり、お互いに朝方から別々に対戦の予定が入っていて、長くても対戦は午前十二時に終わるので、昼過ぎの一時半に集まることに決めていた。
片手にはカヤさんへの贈り物が入ったケースを持ちながら、以前と同じく、モニュメントの待ち合わせする。予定より早く来て、カヤさんはまだ現れていない。
最近は学業とテスターのアルバイトで忙しく、カヤさんと会うのも久しぶりだった。
カヤさんに救われたあの夜から、ぼくの人生は動き出した。一時はどうなるかと思ったが、カヤさんのサポートのおかげで、ピンチはチャンスに変わった。
贈り物ひとつで、返せる恩ではないけど、感謝の気持ちをちゃんと伝えたい。
おもむろに額の傷を触る。最近、痛みはほとんど出ていなかった。
カヤさんを待ち続ける。時間が過ぎていき、駅の時計の針が回っていく。
時計の針が約束の時間を指し示した。カヤさんはまだ来ていない。
珍しかった。いつもならぼくよりも先に来ていることが多いのに姿が見えない。
胸騒ぎがした。もしかして事故とか? 体調が悪くなったとか?
スマートフォンから視線を外して、駅の出入り口を見ていると駆け足がこちらに来る人影がいた。カヤさんだった。
手を振るとぼくに気づいて、駆け寄ってきた。
「ごめんなさい! 遅れてしまって、ごめんなさい」
「いえ、全然です! まったく待ってないです!」
カヤさんは普段来ているスポーツウェアではなかた。オーバーサイズのチャック付きのパーカーを着ていて、前のチャックをしめて上から下まですっぽり身体が隠れていた。
「カヤさん、どうかしましたか?」
カヤさんの様子がおかしかった。マスクをつけていて表情が読みづらいけど、ぼくから目線をそらして気まずそうにしていた。
「何でもありません。失礼しました」
「は、はい。行きましょうか」
ぼくは気持ちを切り替えて、予定のプランどおりに進めることにした。
向かった先は商業施設の屋上だった。屋上はデッキになっていて飲食自由のスペースがあり、食べ物も持ち込みもできる。ぼくとカヤさんは青空の下、テーブルを挟んで向き合って椅子に座った。
ぼくは持ってきた贈り物をテーブルに置いた。
「アップルパイです。好きだって前に言っていたので」
ほゆ先輩から話を聞いてもらい、オススメされた洋菓子店で買ってきたものだ。
カヤさんは驚いていて、くすりと笑った。
「ありがとうございます」
「このくらいさせてください。カヤさんには本当、感謝しているんで!」
プラスチックのフォークでアップルパイを切り、口に入れる。
「美味しい……」
「美味いですね! すごい!」
カヤさんがくすりと笑う。
「天川も食べたことなかったんですか?」
「え、あ、はい! お世話になっている先輩のオススメで、まだ食べたことありませんでした」
「いい先輩がいるんですね。……よかった」
カヤさんは少しずつ緊張がほどけたようで、いつもの様子に変わってきた。
杞憂だったかな。
「そういえば、エクスアーツの大会始まりますね」
食べながらぼくが話題を振った。
ほゆ先輩とも話したエクスアーツの大会。今夜対戦カードが発表されて、ユーザーはみんな楽しみにしていた。多分、カヤさんは出場するプレイヤーのひとりだと思っている。
あ、だとしたら話題を振ったのは間違いだったか? 守秘義務で言えないだろうから、失敗したかな……。
ちらりとカヤさんの様子を探ろうとした。するとフォークを掴んだまま動かなくなっていた。
「カヤさん? どうかしました——」
「私、エクスアーツやめます」
屋上は静寂に包まれた。
時間が静止したようだった。
言っている意味がわからなかった。
「冗談、ですよね」
「本気です。テスターも辞退します」
「訳わからないですよ、そんなの。信じられるわけないじゃないですか。カヤさんは最高のプレイヤーです。ファンの人もたくさんいます。応援している人たちがたくさん! な、何でも言ってください! ぼくにできることなら、何でもします! もしやめなければいけない理由があったら、解決するために協力します! だから、そんなこと言わないでください!」
「天川さんは冗談みたいに良い人ですね。昔からずっと」
カヤさんが立ち上がった。
「カヤさん?」
黙ってぼくに近づく。
パーカーに指をかけて、チャックを開けようとする。
カヤさんはじっとぼくを見ていた。
チャックを開いていく。
カヤさんは制服を着ていた。セーラー服だった。
制服は見覚えがあった。
「東中の制服?」
東中はぼくの母校だった。カヤさんは後輩だったのか。
カヤさんはおもむろにマスクを外した。
素顔を見たのは、初めて会った日以来だった。あのときは暗がりでよく見えなかった。
ひたいの傷が痛くなる。脈打つように何度も痛みが襲いかかってきた。
カヤさんの姿を見て、痛みが脈打つたび、ぼくの頭の中にひとつの光景が浮かび上がった。
一度しか見ていない、あの女の子のことを。
「まさか……」
そう呟くとカヤさんは目を見開いた。
「覚えててくれたんですね」
忘れるわけがない。
だって、あの事件は……。
「わかりましたよね。私は他人のフリして、天川さんを騙してたんです。見て見ぬふりできればよかったのに、蝶子が変なことするから、いつの間にか、こんな、こんなにウソを続けた」
カヤさんは……千茅さんは拳をつくり、強く握りしめた。
「天川さん、何でも言うこと聞いてくれるんですよね」
「は、はい!」
「ならテスターをやめてください」
「……どうしてそんなお願いをするか、理由を聞いていいですか?」
「簡単な話です。気づいたからです」
「気づいた?」
千茅さんは呟いた。
「リアルから逃れられないって」
千茅さんの瞳は曇っていた。




