ドラゴンの道(その2)
テーブルの下でハヅキが水をこぼしていると、部屋の扉が開く音がした。
ハヅキは慌てて椅子に座り直して、空の器をテーブルに戻した。
「水は飲みましたかな」
「ええ」
アツシは器が空になっているのを見た後、ハヅキのマスクを見た。
「ハヅキ様は、マスクのまま水を飲まれるのですか?」
「いえ、外しました」
「飲み干して、そしてまたマスクをつけなさった、と」
「ええ」
アツシは僅かに首を傾げたが、それ以上詮索しなかった。
「今日はハヅキ様のために豪華な食事にしましょう」
「……それより、さっきの女性ですが」
「もちろん、あの娘も同じ豪華な食事を召し上がっていただきます」
「そうではなくて、彼女は病気なのですか」
アツシは目を細めた。
視線が左右に動き、止まった。
「説明していませんでしたね。私は医者なのです」
「お医者様」
「そして、あの娘は私の患者です。あの娘の病気は、このような山で、水や空気が澄んだところでしか治療ができない特殊な病なのです」
彼女の肌は異常に赤くなり、乾燥したようにひび割れている。
病気のせいなのだろうか。
「そんなことはいいとして、ハヅキ様はどのような目的でこのような僻地へおこしになったのですか?」
「言えません」
アツシは目を丸くした。
「そんな重要ごとを任されているのですか…… それはそれは」
この男に余計な情報を与えてしまったことになる。
はぐらかす方法を間違えた、とハヅキは悔やんだ。
アツシが、別の部屋から食事を運んできた。
ハヅキの座っているテーブルにアツシが配膳していく。
全ての皿がテーブルに置かれると、病気の娘も端に座った。
アツシはハヅキの正面に座った。
「では食事を始めましょうか」
ハヅキはマスクを外した。
アツシはハヅキがマスクを外す様子をじっと見ていた。
「思った通り、美しいお顔をしている」
アツシはそう言うと奇妙な笑みを浮かべていて、ハヅキは気味が悪くなった。
ハヅキは食事を眺めた。
スープ、焼いた肉を切り分けたもの、煮た野菜の付け合わせ。
パン、そして酒が注がれた器があった。
だが、ここに入って最初に出された水を飲んで、ネズミが死んでいるのだ。
同じものがアツシのところにも並んでいるとはいえ、信用できない。
ハヅキは少量ずつ口に運び、味や食感に何か問題がないかを確認していった。
幸い、どの料理も普通の味と食感で、問題はなさそうだった。
だがハヅキはゆっくりと食事を進め、全部を腹に入れないで残すことに決めた。
アツシが食べ終わる前にハヅキは食事を切り上げる。
「どうしました。お口にあいませんでしたかな?」
「普段から、あまり量を食べないものですから」
見ると、病気の女性も食事をやめていた。
アツシは言った。
「お前まで何だ。こんな豪華な食事は滅多に食べれないのだぞ」
「……」
女性は立ち上がると口を手で押さえた。
そのまま彼女が咳をすると、口から鮮血がテーブルに散る。
「大丈夫か!?」
アツシは病気の女性に駆け寄った。
静かに椅子に座らせると、奥の部屋に声をかけた。
奥から仕えている中年の女性が二人やってきて、彼女を支えながら連れ帰った。
「大丈夫なのですか?」
「たまにあることなので、心配はいりません。以前より頻度は下がっています」
ハヅキは彼女が連れて行かれた方向を見たまま、言う。
「一体、どんな病気なのですか?」
「赤肌症候群と私は呼んでいますが、実際はどんな病気かはっきりとはわかっていません。様々な対応をして治す方法を模索しているような状態です」
アツシはそう言うと、酒の器を持って飲み干した。
「ではハヅキ様に使っていただくお部屋を案内いたしましょう」
「あの女性に付き添わないでも良いのですか?」
「先ほども言ったとおり、何度かあったことなので心配はいりません」
ハヅキは木製のマスクをつけ、剣を手に取ってアツシの後を歩き始めた。
案内されたのは部屋を出て、廊下の突き当たりにある部屋だった。
ベッドと小さいテーブル、椅子が置いてあって、窓はなかった。
アツシが部屋に灯りをつけると、言った。
「用を足すのなら、外に出て馬小屋の手前の部屋で」
ハヅキは頷いた。
「窓がないから、朝になっても分からないのでは?」
「では、朝になったら呼びに参ります」
「お願いします」
そのようなやり取りの間も、ハヅキは剣を部屋に置かなかった。
「それでは」
アツシが出ていくと、ようやく剣をベッドに置いた。
マスクを外し、グラスも合わせてテーブルに置くと、ハヅキはベッドに横になった。
医者が患者に毒を盛っている。
見たままの事実から判断すると、そうとしか考えられなかった。
健康な患者に毒を盛って、病気の状態を作っているのかもしれない。
だとしたら、彼女の家族はいくら治療費を払っているのだろう。
ハヅキは考えた。
無限に治療費を払い続けることは無理だ。たとえ王家であってもだ。
与えられた水は飲まなかったが、食べ物にも毒を盛っていたかもしれない。
そう考えて、食事は必要最小限の量に留めたが、対応として正しかったかはわからない。
私にも病気になるよう毒を盛って、スズミヤ家から治療費を取るつもりだとしたら、明日は食事を取らずに早々に立ち去った方がいい。
だが、彼女はどうする。
このままここにいたら、治る病気も治らない。
私が連れ出そう。ハヅキはそう考えた。
だが、あの男が毒を盛っていないのに連れ出したら彼女の病状が悪化するかもしれない。
何か、確証を得なければ……
ハヅキは、この家を調べてみることを考えた。
生かさず殺さずと言うことであれば、必ず何か分量の調整が必要になるはずだ。
何も書き残さずにそれを成し遂げるとは思えない。
医者を名乗るなら、きっと書き残している。
ハヅキはそんなことを考えながら、寝てしまった。
アツシは壁に開いた小さな穴から、ハヅキの部屋の様子を見ていた。
「寝たな」
ニヤリと笑うと、用意していた縄を手に取った。
そのまま廊下に出ると、ハヅキの部屋の扉をゆっくりと開けた。
中に入ると、持っていた灯りをテーブルに置いた。
ベッドで寝ているハヅキの顔を確認する。
「美しい。良家の子女に相応しい顔立ちだ」
上掛けを手で、ゆっくりとめくっていく。
「体もメリハリがあって美しい。久々に味わう女としては、最高のものを引き当てたな」
足の先まであらわになったところで、アツシは足を縛ろうと縄を取りだした。
その時、ハヅキの腕が動いた。
「剣!」
今の今まで、アツシはベッドに剣が置いてあることに気づかなかった。
あっという間に剣が抜かれ、喉元に突きつけられていた。
「ノックもせずに部屋に入り、足を縛ろうと縄を取り出す。どういうことですか?」
アツシは抵抗しません、と言わんばかりに両手を肩の上まで上げていた。
「あなたは、私が寝てしまったらしばらく起きない、という確証があって部屋に入ったのでしょう? 私に出した水に何か混ぜましたね?」
アツシは表情を変えず、声も出さない。
ハヅキはアツシの腹を蹴った。
「ウッ!」
腹を抑えて下がったアツシを見て、ハヅキはベッドから立ち上がった。
素早くグラスをつけ、再び剣を彼の喉元に突き立てると、言った。
「はっきり答えなさい」
アツシは触れてしまいそうな剣を無視して、体を起こそうとした。
ハヅキは傷つけることを恐れて剣を引く。
すると、アツシはそのまま立ち上がってしまった。
「所詮、女だな」
両手を前に伸ばして、アツシは強引にハヅキを抱きしめた。
「なめるな!」
柄を両手で強く握って、アツシを押し戻した。
彼は押し負け、壁に強く頭をぶつけた。
壁に背を預けて、腰を床につけたアツシに、ハヅキは剣を水平に構えた。
すぐに刃を水平にして、振り込む。
「!」
アツシが目を閉じたところで、刃を垂直に立てると、その勢いのまま頬を強く叩く。
唾と汗が弾けた。
アツシは恐怖と痛みで混乱し、直後、気を失っていた。




