想い出よりもなお甘く
前回からの続きです。
「ゴドラン様、奥様がお呼びです」
そういわれて、正規の登庁時に着る公務用の白い上衣を渡された。
今日はもう役所に行く気はないのだが、と思いつつ奥方のところに出向くと、圧のある笑顔で迎えられた。
「彼女を迎賓館まで送ってちょうだい。くれぐれも失礼がないようにね。私の大切なお客様なの」
上品で丁寧な発音の一音節ずつに、"事情があるのは把握しているから、話す機会は与えてやるが、迂闊に手を出したり粗略に扱ったら絞め殺す"の意図が込められている。
ついでに命令の仕方が使用人に対するそれで、名前を呼ばれなかった辺りから察すると、"あなたは正規に帰還した手続きが完了していない身分なのだから、そのあたりわきまえて行動してちょうだい"と、釘も刺されているのだろう。
あらためてそんな当たり前のことを注意されるほど信用がなくなっているあたりが、逆になかなか趣深く思えてきて、思わず口の端が上がった。
「承知いたしました」
調子を合わせて、あえて使用人が主人に対して言うような丁寧な言葉遣いで返す。
こちらの声音から面白がっている様子を感じ取ったのだろう。奥方は呆れた顔をした。
客人にはわからない程度に、こちらにだけニュアンスを伝えてくる表情のさじ加減が上手いものだと変なところに感心しながら、ゴドランは銀髪の客人に向かって、護衛役の案内人がする軽い礼をして見せた。
「ご案内いたします。どうぞこちらへ」
「はい。あの……」
「同行の皆さんのことでしたらご心配なく。港の宿に使いを送って、先に迎賓館に行くように伝えてありますわ」
奥方は(これは含みのない笑顔で)客人に告げた。
今日のところは簡単な挨拶だけだったが、薬関連については本格的に情報交換と技術提携をしたいので、まずは落ち着けるところで十分に休養して旅の疲れを取って欲しいと、奥方が説明しているところを見ると客は長逗留らしい。案内する先は迎賓館のホールや宴会場ではなく、奥の来客向け長期宿泊施設だなと、ゴドランはあたりを付けた。
落ち着いてもらうのが目的なら、あのこけおどしが過ぎるホールや宴会場は通らないほうが良かろう。
どの経路で案内するかを軽く考えながら、使用人が持ってきてくれた剣を腰に佩く。
儀礼的な挨拶を館の女主人と交わし終わった客人を護衛する形で、ゴドランは客間を退出した。
§§§
オルウェイの最奥にある領主邸から、緩やかに下る白い小道を並んで歩く。
レオリオルの大薬方院の総院主といういかめしい肩書の若い娘は、少女の面影が残る頬をかすかに上気させ、小声でわびの言葉を口にした。
「先ほどは、大変失礼をいたしました」
「あれは、さすがにいささか驚かされた」
軍人らしい足取りで颯爽と歩きながら、愉快気な笑みをわずかに口元に上らせたゴドランの隣で、銀髪の娘は恥ずかし気に身を縮めた。ゴドランは彼女に合わせて歩調を緩めた。
「気にせずともよい」
「お会いできて、嬉しかったのです」
「俺もだ」
弾かれたように顔を上げた彼女に、ゴドランはいつもは他人に見せぬ優しい眼差しを返した。
「大きくなったな。見違えたぞ」
「……でも、一目見て名を呼んでいただきました」
「それは……俺がつけた名だからな」
サハル・セレスタ
ゴドランは、黎明の輝きを示すその名を口の中で反芻した。
名の由来でもあるその美しい紫色の目を輝かせて、サハルはゴドランを見つめた。
「この名に恥じぬよう、黎明として世を照らす一助にならんと生きてまいりました」
「気負わせてしまったか」
「いいえ。貴方様の強さと光を分けていただきました」
ゴドランは穏やかな眼差しを少しだけ細めて陰らせた。
が、彼はすぐ前方に開けたオルウェイの街並みに目を向けた。領主邸のある内苑は市街より一段高い。内苑の端にあたるここは、内壁の上なので市街が良く見える。
「その強さと輝きはお前の内から湧き出た資質だろう。大薬方院の総院主を務めているといったな。立派なものだ」
「貴方様が名と共に与えてくださった地位です。周りの優秀な皆が力添えして盛り立ててくれるから務まっております」
「優秀な者というのは、なんの輝きもない者を盛り立てて力添えしようなどとはせんものだ」
「下心があれば別だが」と言い添えたゴドランに、サハルは即座に「皆には下心などありません!」と言い返した。
「ああ、お前は大事にされているのだな」
肉親の裏切りで故国を失い、虜囚として獄死しかけたことのある男は「それは良い」と独り言ちた。
迎賓館は市街の先だ。この内壁沿いに少し行って、急な階段か長いスロープを降りて内門を通る必要がある。ゴドランはいつもは使わないスロープの方に歩き出した。
「ここには薬草の仕事で来たのか」
「はい。新しい医薬や食用のハーブの栽培について、やはりこちらで試験的に栽培されたものを実地に見せていただきたかったのと、後は窯ですね」
「窯?」
「器を焼く窯です。最近、皿や椀の絵付けに使う釉薬の開発を手掛けているのですが、やはりどんな窯でどのように焼いているのか実際に見学させていただいて、一度は現場で試験に立ち会っておいた方が開発に役立つ発想が出やすくなりますから」
オルウェイの焼成技術は、"温度管理"と"熱効率"で世界の最先端なんですよと説明されて、ゴドランは寝不足の頭の隅がじんわり痛くなった。
まただ。オルウェイのあの奥方の影響下にある人と物は、明らかにこの世界の中で異質な概念を取り込んで妙な発展を遂げていく。
「あー……その、ここのご領主とは懇意なのか?」
「はい、昔から大変よくしていただいております。お会いしたのは初めてですが、素晴らしいお方ですね」
それに続く無邪気なほどの賞賛の言葉にゴドランは苦笑気味に相槌を打った。
サハルが語る薬草や鉱物の話にうなずきながら、ゴドランはゆるゆるとつづら折りの坂を下りてきた。門番に軽く手をあげて内門を抜けたところで彼は、博識な娘の口元に指を一本立てて、その話を止めさせた。彼女の専門知識の話題は、市街で話すには重要すぎる内容ばかりだったのだ。
「仕事の話も良いが、俺はお前がどのように暮らしてきたかが知りたい」
急なことで足を止めきれず、うっかり踏み出してしまったせいで、ゴドランが立てた指に唇がついてしまったサハルは、あわてて身を引いて両手で口を覆った。
「ご、ごめんなさいっ」
赤面してうろたえるサハルに、ゴドランは愉快そうに「これは失敬」と、片眉を上げた。
「これは、お詫びに口直しを提供せねばならんな」
「え? 口直しって……え??」
「おいで」
ゴドランは、どぎまぎして足が止まっているサハルの手を取って、ぐいっと引いた。
その大きくてごつごつした手は、サハルは子供の時に感じたのと同じように力強く温かかった。
サハルは初めて神殿から連れ出されたときと同じぐらい胸がドキドキするのを感じた。
「あ……」
足がもつれかけた彼女の身体を支えるように一歩身を寄せたゴドランは、彼女の手を取ったまま歩き始めた。
「焼き栗は好きか? ちょうどこの先に今、焼き栗売りがいる」
オルウェイは美味いものが多くて、物珍しい食も多いので、そういうものを馳走しても良いのだが、それはこの先、色々出されるだろうから。と前置きして、ゴドランはサハルに片目をつぶって見せた。
「焼きたての栗は、軍のカチカチの糧食と違って甘いぞ」
サハルはふいにゴドランに出会ったばかりの頃のことを思い出した。
当時は知らなかったが、サハルがゴドランの庇護下にいたのは、戦争直後で補給船もまだ入港していないタイミングだった。大隊長相当の役職にあったゴドランは、サハルを飢えさせることはしなかったが、だからと言って潤沢に食料があるというわけではなかった。彼は自分の割り当ての糧食の一部を分けてくれたのだが、丈夫な軍人向けのそれは、硬くて食べにくくて、子供のサハル向きとは言い難かった。
あれは神殿を出て二日目の夜だっただろうか。乾燥してカチカチの栗に歯が立たなくて苦戦していたサハルを見かねて、ゴドランは栗を水に浸けてくれた。栗が多少柔らかくなるのを待つ間、彼はサハルに異国の不思議な物語を語ってくれたのだった。
オルウェイ市旗とアストリアス領旗がたなびく正門前広場から一本奥に入った、市庁舎の裏手に焼き栗売りはいた。小さな台を置いて栗を売っている男は「アツアツだ」といって、乾燥させた紙葦の茎を編んだ籠に一盛り、焦げて殻が爆ぜた栗を入れてくれた。
「いささか行儀が悪いが、こういうものはすぐに食べた方が旨い」
そう言ってゴドランは、器用に栗の殻を半分剝いて、サハルに差し出した。
湯気の上がる黄色い栗はとても良い香りがした。
「熱いぞ。持てるか?」
「熱っ……」
「持っていてやろうか?」
サハルは少し迷って、それでも小さくうなずいた。
オルウェイの焼き栗は、熱くて……とても甘かった。
あつあつ、あまあま。




