それは支度をしてくれた人がいるということ
レオリオルの大薬方院からの重要な客人が来ているからと知らされて出向いてみたら、中庭でゴドランがその客人と情熱的な抱擁を交わして見つめ合っていた。
かなり予想外の展開だ。
いや、直前にエリオスから聞かされた話から、客人である女性側にゴドランへの思い入れがあるかもという予想はしていたが、まさかゴドランの方が積極的だとは思わなかった。
なんとなく硬派なイメージがあったのだが、それは先入観で、実は意外と手の早い人なのだろうか?
……そういえば思い当たることはある。
思わずまじまじと見つめてしまったら、ゴドランはばつが悪そうに顔をしかめて、腕の中の美人さんをそっと解放した。
「それで、奥方。俺に用とはなんだ」
「その件なら、もういいわ」
あっさり返すと、ゴドランは何か言いかけて、私の隣を見てぐっと言葉を詰まらせた。
見るとエリオスからゴドランに「お前、よくもそう何事もなかったかのように話ができるな」という視線が飛んでいた。私は「エリオス。あとお願いね」と彼に目配せしてから、客人に軽く一礼した。
可哀想に。可憐な美人は顔を真っ赤にしてどぎまぎしている。
ここはゴドランのやり方に倣って、何食わぬ顔でビジネス方向にもっていってやった方がいいだろう。
「ようこそ。オルウェイへお越しくださいました。私がアストリアス領主です」
「お初にお目にかかります。レオリオル大薬方院の総院主にございます」
「まぁ、あなたが? これは驚きました。これほど若くて可愛らしいお方だとは。さあ、あちらへどうぞ。長旅でお疲れでしょう。何か飲むものでもご用意させましょう」
にこやかに応対し、恐縮しきりの彼女を、家宰のイリューシオに客間へと案内させた。
自分も一緒に客間に向かいながら、ゴドランの脇を通り際にちらりと視線を向けて、彼の上から下まで一通り見た挙句に目を細めてやる。
聡い男は「あなた、身なりを整えていらっしゃい」の信号を敏感に察知した。
「失礼する」といって、彼は寝室ではなく浴場のある棟の方に足早に去っていった。
§§§
まいった。
ゴドランは、面白がってついてきたエリオスを追い返し、冷水浴室で水を被って頭を冷やした。
何とかあの場は最低限取り繕ったが、あの奥方やエリオスの目を見る限りどう思われているかわかったものではない。ゴドラン自身への誤解ならまだよいが(全然よくはないけれども!)彼女にあらぬ噂が立つと申し訳ない。
大きくなったものだな。
昔、縁あって世話をした子供の成長ぶりを、ゴドランはしみじみと思い出した。
出会ったのは、10年とはいわぬまでも、かれこれ7,8年は前になるだろうか。小さな子供だった彼女は、今ではすっかり一人前の女性になっていた。
昔から可愛らしい子供だとは思っていたが、また大した美人に育ったものだ。
純粋な喜びに煌めいて、まっすぐに飛び込んできた、曙色の紫の瞳を思い出す。
それは、己を内に隠すことにばかり気を使っていた子供の頃の彼女が、どれほど解放されたのかをはっきりと示す力強い輝きを放っていて、それでいながら野に咲く菫のように可憐で貞淑な誠実さも湛えていた。
美しい銀の髪をアトーラの女性らしく綺麗に結い上げた若い娘が、己の腕の中で恥じらいに頬を染めた時の感触を思い出して、ゴドランはもう一杯水を被った。
「ゴドラン様、一つさっぱりして行きやせんか?」
冷水浴室を出たところで、理髪師のフィガロに声をかけられた。
「なにやら、良いお話があるそうじゃないですか」
「ちょっと待て。どんな勢いで噂が広まっているんだ」
「はっはっは。よい理髪師というのは耳が良いものなんですよ」
「先ほどエリオス様からお伺いしました」と、ニコニコしているフィガロに、整髪室の椅子に座らされたゴドランは、エリオスを後で絞めようと心に誓った。
「旦那は男ぶりがいいから、整えがいがあります」
「そういう世辞はエリオスのような美男に言え」
「あー、あの方はいい男すぎて世辞が世辞でなくなるので」
「というと、やはり俺へのは世辞か」
「ひどいや。とんだ仕掛け罠じゃないですか」
口の上手い理髪師のオヤジと、他愛のない話をしているうちに、ゴドランはリラックスしてきた。
「あごは綺麗にあたっておきますね。むさくるしいのは若い女性には受けが悪いですから」
「ふむ……」
ゴドランはボーっと天井を見た。そういえば、エリオスがそれで絶世の美姫とやらにふられて命拾いしたことがあった。アトーラや中央平原あたりでは身分の良い若い男は髭を剃る傾向がある。
「口髭も剃った方がさっぱりして見えるだろうか」
「なんて恐ろしいことをおっしゃるんですか!」
フィガロは大げさに目を見張って、ぶるぶるとわざとらしく震えて見せた。
「ゴドラン様の口髭を剃り落としたら、あっしが奥様に首を落とされちまいます」
「だから、その俺の口髭に関するこだわりは一体何なのだ?」
何はともあれ、髪まで小ざっぱりと整えられ、用意された新しい着替えを纏うと、もはやひと眠りするという気分ではなくなってしまった。
「今のうちに、何か少し腹に入れておくか」
そういえば、昨夜からろくに何も食べていない。
その辺の使用人に声をかけて部屋に運ばせてもよいが、それほどしっかりと食べたいわけでもない。厨房に行けば何かあるだろうと、ゴドランはすっかり王子様育ちが抜けた身軽さで、領主邸の厨房に向かった。
食事の支度には半端な時間だというのに、厨房には人の気配があって、何やら楽しそうに歓談する声が聞こえた。楽し気にどっと笑い声が上がったところで厨房に一歩足を踏み入れたゴドランに、なぜか悲鳴が飛んできた。
「わっ! ほんとに来た」
「誰だよ。噂したら来るなんて縁起でもないこと言ったやつは」
「どんな地獄耳だ」
そこまでの会話の内容は全く聞いていなかったものの、色々察したゴドランは、腰に手を当てて厨房の一同の顔をゆっくりと右から左に眺め、「それで?」と問うた。
「謝罪したいことがあるなら聞こう」
「相変わらず良い男ですね」
「いつもお世話になっております」
「旦那が不憫な貧乏くじ係で終わる男じゃないってことは、皆、知っておりましたとも」
「あっ、こらバカ」
ゴドランの圧が、ちょっぴり厨房に似つかわしくないものになりかけたところで、ゴドランの肩に大きな手がかけられた。
「まぁまぁ、ゴドラン様。今、薬草茶を淹れますからどうぞそちらにお座りください」
ゴドランに椅子を用意したのは、この館の副料理長を務めるジェリコだった。今でこそ料理人などという大人しい仕事をやっているが、元々は放浪者でかなりの腕利きの探索者だったという変わった経歴の大男だ。
「よい薬草が沢山入荷したんですよ。香辛料入りのワインとどちらがよろしいですか?」
「今はワインは止めておく。ただ、何か軽く摘まめるものがあったらくれ」
「はい。ガチョウのセイボリータルトをお出ししましょう」
無駄に事を荒立てる気はないゴドランは、黙ってジェリコがタルトを用意するのを待った。
この大男が用意する料理が全部美味いことをゴドランはもうよく知っていた。
「よい風味だな」
「ゴドラン様は舌が良い。南の王国の方はやはり珍しい香辛料も多いですか」
「そうだな。国ではさほど珍しいとも思っていなかったが、こちらでは見かけぬものもある気がする」
「それは興味深いですね。南方の市場を見て見たいものです」
「南の王国もだが、シャージャバルはまた独特のものが多くあるからな。火の山に生える木の実の中には実に面白い効能があるものも……」
懐かしそうに故郷に想いを馳せていたゴドランは、ふと、漂ってきた香りに意識を向けた。
「これは?」
「薬草茶です」
香水薄荷、健質亜那、茴香、生姜。
「懐かしい香りだ」
「そうなのですか」
「遠征軍の補給品の中に、乾燥したこの薬草を布袋に小分けにいれたものが入っていることがあった」
湯に浸けるだけで手軽に薬草茶が味わえるので重宝した。
酒と同じく嗜好品として、各隊での余興の景品になることがあったが、薬草茶は酒飲みからの人気はなかったので、良い頻度でゴドランは手に入れることができていた。
「ああ。これは香りが良い」
「入荷したてですので」
「軍ではひどい水で、出がらしを二度三度と煮出していたからな」
「それはひどい」
「だが、それでも美味かったよ」
ゴドランは過ぎ去った戦いの日々と、それを支えてくれた人々のことを考えながら、カップの中の温かい薬草茶をゆっくりと味わった。
サブタイトル参照↑
今回のネームドさん紹介
・理髪師のフィガロ:ep.18「 二人旅:帰還」で登場。お久しぶり。
・副料理長ジェリコ:ep.26 「晩餐3」で登場。エクスプローラーの解説もそちら参照。
そういえばep.61の後書きにあとから入れたので、最新話をすぐ読んでくださっている方のなかにはお気づきでない方もいるとのことですので改めてご紹介
↓関連読み切り短編があります。
置いて行かれたので自立しました「いまさらそんな顔しないでください」
ncode.syosetu.com/n0562mt/
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