4Four
『シュウウウゥゥゥゥ───ゴゴゴゴゴ───』
気を失っていた僕は、激しい揺れに意識を引き戻された。
……ここは……?
まぶたを開けると、そこは走行中の電車の中だった。
どこへ向かっているのかはわからない。ただ、すさまじい速度で運ばれているのは確かだった。
両手は背中で縛られ、口もテープで塞がれていた。
声を出そうとしても、喉の奥で音が漏れるだけだった。
服も……違う。
柔らかい病院着ではなく、見知らぬ制服を着せられていた。
いつの間にか、身なりまで変えられている。
周囲を見渡すと、座席に並ぶのはライフルを抱えた制服姿の少年兵達。
どの顔にも、まだ十代の幼さが残っている。
……まさか!
血の気が引いた。
頭が追いつかない。
どのくらい気を失っていた?
もう目的地に着くのか。
まさか、本当に戦場へ……!?
体が震えた。
せっかく治療が成功し、百年の時を越えて生き返ったというのに。
よりによって、人類が滅亡の危機にある未来で、人手不足だから出撃しろだなんて。
父さんも母さんもいない世界で、命を賭けろと言われて。
やめてくれ……!こんなの、僕が望んだ未来じゃない!
どうしてこんなことに巻き込まれてしまったんだ。
次々に浮かぶ思考が頭の中をかけ巡る。
周囲の兵士達は、僕が目を覚ましたことに気づいたのか、小声でひそひそと囁き合っていた。
「あれがそうか。逃げ出して捕まった奴」
その声に続くように、話を黙って聞いていた金髪の少年がこちらへ歩みだした。
車両の床がわずかに軋む。
無駄のない筋肉がついた引き締まった体つき。
しなやかな長身が近づくほど、影が僕に覆いかぶさってくる。
細長くつり上がった目が、冷たい光を宿したまま僕を見下ろしていた。
「お前か。……新入りで出撃拒否したってのは」
吐き捨てるような声音と同時に、指が僕の口元に伸びた。
直後、口のテープが乱暴に剥がされる。
皮膚が引きつる感覚があっても、痛みはない。ただ、乾いた空気がむき出しになった口へ流れ込んだ。
少年はさらに顔を近づけ、低く問いかけた。
「……どうなんだ?」
両手はまだ後ろで固く縛られていて、逃げ出すことなどできない。
声を取り戻した僕は、喉が震えるのを感じながら懸命に言葉を絞り出した。
「ぷはっ……!ち、違うんです……!僕はここにいるべきじゃないんです!お願いです……降ろしてください……!」
必死の訴えに、少年の顔が醜く歪んだ。
「逃げる気かよ……!?どれだけ仲間が死んだと思ってんだ!ふざけんな!」
拳が飛んだ。
縛られた腕が背中で引き攣れ、反射的に身を守ることすらできない。
そのまま、視界が反転し、床に叩きつけられる。
さらに数発。
頬に熱を感じた。だが、痛みはなかった。
……殴られているのに……何も、感じない……?
そうだ。マツダが言っていた。
痛みを感じない身体。
「もうやめろ!」
背の高い眼鏡の少年が間に割って入った。
「隊長が来るぞ」
「ちぇっ、このクソが……!こんな奴が一緒にいるなんてこの部隊の恥だ!俺の仲間はこんな奴らを守るために死んだんじゃねえ!姉貴だって……!」
金髪の少年は吐き捨てると、乱暴に肩を揺らしながら、後方の別車両へ向かった。
僕はうつ伏せのまま、震える息を吐いた。
「なんで……なんで僕が、こんな目に……?」
目を覚ました途端、戦場へ送られ、拒めば縛られ、殴られた。
ここには、僕の居場所なんてどこにもない……!
すると──。
「グレン!!」
鋭い声が車内に響いた。
ガタンと車両が揺れたその時、前方の連結扉が開き、銀色の髪の少女が迷わずこちらへ駆け寄ってきた。
白いジャケットの肩と背に輝く謎のマーク。
僕と、そう歳は変わらないように見えた。
彼女の視線が、去っていった男の方向へ一瞬だけ向けられる。
何かを言いかけて唇を噛み、そのまま僕へと向き直った。
「なんて酷いことを……!あなた、大丈夫!?」
僕の側に来ると、彼女はその場に膝をつき、目線を合わせるように身を屈めた。
うつ伏せのまま体を起こそうとする。
腕に力が入らず、ぐらりとよろめく。
それでもなんとか上体を起こし、その場に膝をついた。
すぐ目の前に、彼女の顔があった。
思わず視線を逸らす。
うまく顔を上げることができない。
「……もう、やめてください……ほっといてください……」
これまで悲惨な目にしかあってこなかった。
また誰かに関われば、きっと何かに巻き込まれる。
そう思うと、正直、これ以上誰とも関わりたくなかった。
けれど、彼女は構わず続けた。
「安心して。私は衛生兵よ。あなたを傷つけるために来たんじゃない」
その声に、こわばっていた感覚が少しだけほどけた。
彼女はためらうことなく僕に手を伸ばし、優しく微笑んだ。
その微笑みは、この絶望の中で初めて与えられた光のように見えた。
「顔の傷を見せて」
彼女はそっと顔を傾け、僕を覗き込む。
「……ね?」
その言葉に逆らう気は起きなかった。
僕は彼女に肩を支えられながら立ち上がり、導かれるまま兵士達のざわめきから離れ、誰もいない別の車両へと移った。
静けさが満ちるにつれて、張りつめていた空気が少しずつ和らいでいく。
未来に蘇ってから僕は恐怖と絶望しか知らなかった。
誰も信じられず、誰にも縋れなかった。
けれど、初めて手を差し伸べてくれる人がいた。
それが、ただ嬉しかった。
理由なんて上手く言えない。
それでも……この人だけは違う気がした。
その静寂の中で、彼女はそっと僕の背後に回り込む。
「これじゃ、手当てもできないわね」
そう言って、縛られていた縄に指をかけ、迷いなく解いてくれた。
食い込んでいた両腕が一気に軽くなり、血が通う感覚に思わず肩の力が抜けた。
「……ありがとうございます……」
「気にしないで。放っておけないの」
彼女は微笑み、僕の腕をそっと支えながら椅子へと導いた。
そして包帯を整えながら、ふと優しく僕に問いかけた。
「ねぇ……あなたのこと、なんて呼べばいい?」
不意に問いかけられて、僕は少し戸惑う。
「ぼ、僕の名前は……蓮。游神蓮です……」
「ユウガミ・レン……。レン君、ね。うん、いい名前だわ」
彼女は穏やかにそう言って、まるで確かめるように頷いた。
「あ、あなたのお名前は……?」
「私は富塚友里恵。ユリエでいいわ。よろしくね?」
彼女は優しくそう言った。
その様子に全身を覆っていた緊張がゆっくりと緩んでいくのがわかった。
僕は少しだけ迷ってから、口を開いた。
「……ユリエさん、よろしくお願いします」
そのあと僕は、彼女に促されるまま椅子に腰を下ろし、顔の手当を受けながら、ここに至るまでのいきさつを語った。
※※百年眠り、蘇ったこと。
※※目を覚ました直後、いきなり戦場に送られると告げられたこと。
※※何も理解できないまま縛られ、殴られていたこと。
※※怖くて、どうしていいのかわからなかったこと。
ユリエは口を挟むことなく、ただ静かに頷きながら聞いてくれた。
「それでこんなことになってしまって……」
「……そうだったのね。大変なことばかりで、辛かったでしょう?」
「……いったい……どうしたらいいのか、わからなくて……」
「大丈夫。私がなんとかするから……だから、今は動かないで」
「はい……」
ユリエは僕の顔にそっと手を伸ばした。
頬に走る傷口から、うっすらと血が滲んでいる。
彼女は小さく息を呑み、携帯用の消毒液を取り出した。
「すぐ終わるから。そのままじっとしてて」
僕は何も言わず、静かに座っている。
消毒液が触れた瞬間、普通なら声を上げてもおかしくない。
だが僕の表情は、まるで氷のように変わらなかった。
「……後はこのテープを頬に貼ってと」
彼女がテープを貼り終える。
「はいっ、これでよしっ!」
僕は思わず感謝の言葉を伝えた。
「ありがとうございます、ユリエさん……」
「いいのよ。よく我慢したわ」
そう言って、彼女はそっと僕の肩に手を置いた。
その温もりに、力が少しだけ抜けた気がした。
ふと顔を上げると、ユリエさんがじっとこちらを見ていた。
目が合うと、彼女は少しだけ驚いたように瞬きをして、すぐに優しく微笑んだ。
……気のせい、だろうか。
だが、その笑顔はすぐに消えた。
ユリエの表情が、わずかに曇る。
少し視線を落とし、やがて真剣な眼差しで僕を見つめた。
「……ねぇ、レン君」
「はい……?」
「さっき、あんなに殴られたのに……痛みは、ないの?」
ユリエの声はかすかに震えていた。
その瞳には、恐怖でも驚きでもなく深い哀しみがあった。
「こんな傷ができてるのに……まるで、痛みそのものを感じていないみたい」
僕は視線を落とし、静かに答えた。
「……もう、痛みは……感じないんです……」
一瞬、彼女の手が止まる。
そのまま、僕の顔をじっと見つめた。
殴られた跡が残る頬。
それでも、僕は何事もなかったような顔をしていた。
「……そう」
彼女はわずかに目を伏せる。
「……でもね」
一度だけ言葉を切る。
まるで何かを選ぶように、少しだけ迷ってから続けた。
「痛みを感じないからって、あなたが平気なわけじゃない」
その声は、さっきまでよりもずっと柔らかかった。
ユリエはほんの少しだけ身を乗り出し、優しく言った。
「傷は残るのよ。……忘れないで」
それ以上、言葉は続かなかった。
ただ少しだけ切なげに目を伏せ、包帯の端をそっと押さえた。
その沈黙は、どんな悲鳴よりも重く感じられた。
やがて彼女は小さく息を吸い込むと、僕の目を真っすぐに見て、静かに言った。
「……それと、先程のこと。本当にごめんなさい。彼の代わりに、私から謝らせて」
「ユリエさんが謝る必要なんて……」
「彼は私の仲間だから。仲間の行いは、私の責任でもあるの。……彼のこと、あまり責めないであげて……」
深々と頭を下げられ、僕は言葉を失った。
本当は、本人から直接謝ってほしかった気持ちもあった。けれど、ここまで真摯に謝られては、責める気にはなれなかった。
「……わかりました。顔を上げてください。彼を許します」
「本当にありがとう……!救われるわ」
彼女はほっとしたように、表情が緩んだ。
その顔から、先ほどまでの張りつめた空気が少しだけ抜けていく。
そして僕は気になっていたことを口にした。
「でも、彼は一体?」
その問いに、彼女は視線を伏せて言った。
「彼の名前はグレン。一年程前に、慕っていた姉を亡くしてね……」
「お姉さんを……」
「えぇ……それ以来、彼は変わってしまった。前はあんなに大人しかったのに、今では……」
彼女は、わずかに目を伏せた。
「……本当は、あんな人じゃなかったの」
「……そうだったんですか。そんな事が……」
「……」
ユリエの声は次第に弱まり、やがて小さく言った。
「仲間を失うたびに思うの……この戦い、本当に、勝てるのかって。でも……立ち止まってはいられない。だから私は進むの……」
彼女の視線は遠くを見つめ、かすかな震えを含んでいた。
「ユリエさん……?」
呼びかけても返事はなく、しばし沈黙が続いた。
「ユリエさん……どうしたんですか?」
やがて彼女は小さく首を振り、無理に笑みを作った。
「ごめんなさい。少し思い出してしまったの……でも、大丈夫だから」
そう言って、彼女はわずかに口元を緩めた。
だがそれは、どこか無理をしているようにも見えた。
よくわからないけれど、今はそのことに触れないほうがいいと直感した。
そして間を置いて、彼女が声を落とした。
「……ところでレン君。先程の話、やっぱりあなたもアヴァロン経験者だったのね?」
「えっ……?あなたも……って事はユリエさんも?」
「……実は──」
しかし、その言葉は突然前方から響く重いブーツの音に遮られた。
ユリエはズボンのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認すると、顔を強張らせた。
「いけない……アレックスさっ……隊長が戻ってくる。行きましょう」
「隊長?待ってください、ユリエさん!」
「後で説明するから。今は戻らなきゃ」
「……わかりました」
次回に続く




