第二話 三年前と何が違うの
202X年六月二十四日、火曜日。常磐文具株式会社、商品企画部。
常磐文具の本社は、神保町の交差点から靖国通りを東に五分歩いた、七階建ての古いビルにある。一階が直営のショールームで、二階から上が事務所だった。エレベーターが一基しかないので、朝は階段を使う人のほうが多い。
藤井葵は、その朝、いつもより四十分早く会社に着いた。
商品企画部のフロアはまだ半分暗かった。彼女は自分の席に鞄を置いて、給湯室でやかんに水を入れた。湯が沸くまでのあいだ、机に広げた三冊のノートを、もう一度並べ替えた。
生成り、深緑、藍。
三月から企画を練り直して、四月に仕様を固めて、五月に試作を上げた。表紙の布は三十六種類のサンプルから絞った。罫線の色は九回変えた。栞紐の長さは、実際に使う人の手を借りて、五人に一週間ずつ試してもらった。
やれることはやった、と葵は思っていた。
思っていたが、湯が沸く音を聞きながら、彼女は自分がその「やれること」の範囲を、三年前に自分で決めてしまったことに、うっすら気づいてもいた。
九時になって、フロアに人が入ってきた。後輩の一ノ瀬が「おはようございます」と言いながら、コンビニの袋を提げて通り過ぎた。
「藤井さん、今日ですよね。企画会議」
「うん」
「絶対いけますよ。私、藍色が好きです」
葵は笑って「ありがとう」と言った。
十時。会議室の予約が押さえてある。彼女は三冊を抱えて、廊下を歩いた。
◆
藤井葵は、会議室の長机に並べた三点の試作品を見下ろしていた。A5サイズのノート。表紙の色が、生成り、深緑、藍。中身はどれも同じで、左ページに日付欄、右ページに罫線が引いてある。
「これで、以上です」
葵が言うと、部屋が静かになった。プロジェクターのファンの音だけが聞こえた。
商品企画課長の宮下真理子が、生成りの一冊を手に取った。四十代半ばの、いつも髪をひとつに結んでいる人だった。声を荒らげたところを葵は見たことがない。だからこそ、この人の沈黙は長い。
宮下は最初のページを開き、次を開き、表紙を閉じた。
「藤井さん。これ、三年前のと何が違うの」
葵は答えを用意していた。用意していたはずだった。
「三年前の『アーカイヴ』は、一年を通して書き溜めることを前提にした設計でした。今回はそれを月単位に分割して、リフィルとして差し替えられるように──」
「それ、去年も聞いた」
宮下は生成りのノートを机に戻した。ことん、と乾いた音がした。
「去年は『週単位で差し替えられるように』だったよね。おととしは『表紙の素材をリニューアル』。藤井さん、あなた三年間、同じものを作ってる」
葵は口を開いたが、何も出てこなかった。
三年前、葵が担当した『アーカイヴ』は、常磐文具にとって久しぶりのヒットだった。「思い出を保存するためのノート」というコンセプトが当たった。旅行の半券や写真をそのまま貼り込めるように、ページに厚みを持たせ、糊で膨らんでも背が壊れない綴じ方にした。雑誌に取り上げられ、増刷が三度かかった。二十四歳の葵にとって、それは奇跡のような一年だった。
それから三年、彼女は『アーカイヴ』の続きばかり作っている。
「悪い企画じゃないの」宮下は言った。「これはこれで、たぶん売れる。でも、あなたが三年前にやったことは、そういうことじゃなかったでしょう」
会議室を出るとき、後輩の一ノ瀬が「私、あの藍色いいと思いましたけど」と小声で言った。葵は「ありがとう」と言った。それ以上は言えなかった。
廊下に出たところで、商品企画部長の香川とすれ違った。
六十近い、いつも同じ紺のカーディガンを着ている人だった。定年まであと二年で、社内では「決めない部長」で通っている。決めないというのは悪口だが、この会社では悪口として機能していない。決めないから誰も傷つかない、という言い方をする人もいる。
「藤井さん。会議どうだった」
「駄目でした」
「そう」
香川は葵の抱えた三冊を見た。
「これ、僕は好きだけどねえ」
「ありがとうございます」
「宮下さん、厳しいから」
香川はそう言って、給湯室のほうへ歩いていった。
葵はその背中を見送って、自分が今、何にがっかりしたのかを考えた。部長が味方をしてくれなかったからではない。味方をしてくれたのに、何も変わらないからだった。
好きだと言われても、この三冊は棚に戻る。
◆
その日の午後は、既存商品の細かい直しの対応に費やされた。
三年前に出した『アーカイヴ』の、リフィルの穴の位置が〇・五ミリずれているという指摘が、代理店経由で二件来ていた。実測すると、ずれていたのは穴ではなく、他社製のバインダーの規格のほうだった。
葵は経緯をまとめて、返信を書いた。書きながら、この仕事に自分が三時間使っていることを考えた。
夕方、一ノ瀬が「藤井さん、コピー用紙どこですか」と聞いてきた。棚の場所を教えた。
十七時を過ぎて、フロアの人が少しずつ減った。
葵は自分の画面を見ていた。開いているのは、来期の企画枠の申請フォーマットだった。締切は十月の第三週。まだ四ヶ月ある。
四ヶ月あると思っているうちは、たぶん何も出てこない。
三年前は、締切の存在すら知らずに書き始めた。半券を捨てられなくて、その日のうちに企画書の一枚目を書いた。誰にも頼まれていなかった。
葵はフォーマットを閉じた。
自席に戻って、引き出しから手帳を出した。
一週間前に雨に濡らした、あの試作品だった。相葉先輩に教わったとおり、ページの間にティッシュを挟んで、上に社史の分厚い本を三日間載せておいた。おかげで波打ちは八割がた戻った。ただ、六月十七日から前の十数ページは、インクが滲んだまま元に戻らなかった。
葵はそのページを開いた。読めない。青い染みが横に流れて、行の境目が溶けている。かろうじて「打ち合わせ」らしい文字が一つだけ残っている。
捨てて新しいのに移せばいい、と一ノ瀬なら言うだろう。実際そのとおりだ。三年分の内容の大半は、もう必要のない予定と、通らなかった企画のメモだ。
それでも葵は、それを引き出しに戻した。
◆
この手帳を使い始めたのは、榊智也がシンガポールに発った月だった。
三年前の九月。成田で見送った。彼は搭乗口の手前で振り返って、手を上げた。それだけだった。葵は「いってらっしゃい」と言った。何かもっと言うべきだったのかもしれないが、そのときは思いつかなかったし、彼も何も言わなかった。
最初の三ヶ月は、毎日連絡があった。時差は一時間しかない。夜に通話をつなぎっぱなしにして、お互い別のことをしていた時期もあった。
半年経つころ、週に二、三回になった。彼は現地の仕事に慣れてきていた。話す内容が、葵の知らない人の名前ばかりになった。
一年経つころ、月に数回になった。
一年半のとき、葵は「今度いつ帰ってくるの」と聞いた。智也は「まだわからない。今の案件が終わらないと」と答えた。それは事実だった。事実だったから、葵は次の質問ができなかった。
最後のやりとりは、二年前の三月だった。誕生日おめでとう、ありがとう、元気で。三往復で終わった。それきりになった。
どちらも「別れよう」とは言わなかった。喧嘩もしなかった。裏切りもなかった。
だから葵は、友人に聞かれるたびに「自然消滅」と答えてきた。自然、という言葉には、誰の責任でもないという意味が含まれている。そう説明すると、みんな「そういうこともあるよね」と言って、話が終わった。
便利な言葉だった。
三年経つうちに、智也との記憶からは、うまくいかなかった部分が抜け落ちていった。連絡が減っていく気まずさも、返信を待って画面を見ていた夜も、だんだん薄れた。残ったのは、うまくいっていたころの二年分だけだった。それは編集済みのフィルムのように、どこを再生しても綺麗だった。
あれ以上の恋はもう来ない、と葵は思っていた。思っていることを、誰にも言ったことはなかった。言葉にすると馬鹿げて聞こえるからだ。




