第4話 『怪物』
「正門突破されました! 防壁が…破られましたッ!!」
悲鳴に近い報告が響くと同時に、基地の門が、内側から爆ぜるようにして吹き飛んだ。
砂塵の中から躍り出た漆黒の軍勢が、防衛にあたっていたきのこ兵たちを次々と串刺しにしていく。逃げ惑う兵士の背後から、容赦なく突き立てられる鋭利な刃。
一瞬にして、正門前は踏み荒らされたクラッカーの破片と、漏れ出したチョコの濁流に飲み込まれた。
「随分と派手にやってくれるな。」
たけのこの軍勢を前に、苦々しくそう呟くのは、分隊長の一人、キクラだ。
「全くだわ。」
長い髪を後ろで束ね、弓を構える女性、ノキ・エノキタケ。
彼女もまた、第四前線基地分隊長の一人だ。
彼女が放った弓は、異常なまでの速度と精度でたけのこ兵を正確に屠っていく。
「それにしても、真ん中にいるアイツは何だ…?とんでもない闘気だが、見たことねぇぞ。」
キクラがそう言い、笑いながら猛進するネガマリンを指差す。
そのネガマリンは大剣を無造作に一振りし、兵士たちを木の葉のように地面に振り払う。
そして、怯えきった兵士たちの顔を一人ずつ覗き込むように、ゆっくりと視線を巡らせる。
(…見当たらんな)
ネガマリンは、立ち込める硝煙の中にキノの姿を探す。
一個大隊を屠ったという異質な気配が、この場にはまだない。
その時だった。
「…おい、どうした。探し物か?」
瓦礫の山を越え、音もなく現れたその影に、ネガマリンの動きが止まった。
漆黒のマントを夜風になびかせ、周囲の喧騒を一切寄せ付けない冷徹な圧を纏う男。
「ほう……お前が、リュフター・トラベルトか。」
強者の登場に、ネガマリンが不敵に口角を上げる。
「俺の名はネガマリン・グルード。早速だがリュフターよ。あの小僧を出せ。どうしても実験体として必要でな。」
ネガマリンの全身から、それまでの兵士たちとは一線を画す、どす黒い闘気が膨れ上がる。
「…何の話だ。この基地には、貴様に渡すようなガキなどいない。」
リュフターの凍てついた声が響くが、ネガマリンの鋭い眼光がそれを許さない。
「貴様…目の奥が濁っている。嘘をついているな。…まぁいい。言わぬのならば吐かせるまでだ。」
ネガマリンは正眼に大剣を構え直す。
「……消えろ。」
リュフターの手がサーベルの柄にかかった瞬間、大気が爆発したかのような衝撃が走った。
「さぁ、始めよう! フハハハハ!!」
ネガマリンが狂おしい歓喜の咆哮を上げ、肩に担いだ大剣を力任せに横一文字に薙ぎ払う。
ただの一振り。それだけで、超高圧の爆風が吹き荒れ、二人の間の空気がグニャリと不自然に歪んだ。
しかし、その絶対的な破壊の軌道を、リュフターは冷徹に見つめていた。
「フン…」
鼻を鳴らすと同時に、リュフターの体がずれる。
ほんの数センチ、紙一重の回避。
大剣が通り過ぎた風圧で、彼の漆黒のマントが狂暴に羽ばたくが、その体は完全に無傷。
それどころか、避けた瞬間には既に、リュフターはネガマリンの懐へと滑り込んでいた。
「ほう…」
ネガマリンは感心したように声を漏らした。
「…遅い。」
リュフターの静かな囁きと同時に、手元でサーベルが銀色の弧を描いた。
鋭い一閃がネガマリンの胸を薄く裂く。
「なるほど。」
ネガマリンが痛みに怯むことなく、即座に大剣の柄でリュフターの顔面を打ち据えようとする。
だが、そこにはもういない。
リュフターのステップは、まるで重力を無視しているかのように軽やかで、かつ容赦がない。
ネガマリンが振り回す大剣の死角に常に回り込み、背後、脇腹、首元へと、目にも留まらぬ速さで刃を滑らせていく。
「流石のスピードだ。速さだけなら類を見ん。」
削られ続けるネガマリンだが、その表情に変化はない。
「冷静に分析するくらいなら、反撃の一つでもしてみたらどうだ!」
リュフターが軽口を叩いた、ーーその時だった。
リュフターの背後から、他のたけのこ兵が援護に入ろうと一斉に動き出した。
「ッ!!」
相手が猛者故、戦いに集中していたリュフターの反応が、一瞬遅れる。
しかし、その隙を狙った刃が、リュフターの背に届くことはなかった。
「隊長の邪魔をさせるわけないでしょ。」
冷ややかな声が響いた瞬間、風を裂いたノキの矢が、躍り出た敵兵の眉間を寸分の狂いもなく射抜いた。
「何っ…何処から…!?」
周辺のたけのこ兵から困惑の声が上がる。
ノキがいる場所は、戦場から遥か数百メートルも離れた瓦礫の上。
その距離から風を読み、肉眼では捉えることすら難しい乱戦の隙間を完璧に射抜いていた。
「はっ…流石の精度だな。ノキ。」
そう言うキクラの周りにもまた、既に大量のクラッカーが散らばっている。
二人の圧倒的な援護により、再び完全な一対一の状況が作り出された。
リュフターは背後への意識を完全に切り捨て、再び眼前の怪物を睨みつける。
だが、一方的に削られ続けているにも関わらず、ネガマリンの闘気は衰えるどころか、更にどす黒く膨れ上がっていた。
「フハハ…フハハハハ!!」
突如、ネガマリンは高々と笑い出した。
「…何がおかしい。」
リュフターは臨戦態勢を崩さず、静かに問う。
「良い部下を持っているな。リュフターよ。」
その時、ネガマリンは自身の傷口から滴るチョコの血を払いもせず、不敵に笑った。
「…」
リュフターは無言で応じる。サーベルを構え直す指先に、さらに力を込めた。
「部下が優秀であればあるほど、お前は背後を気にせず、その剣の速度を極限まで引き上げられる。なるほど、理に適った強さだ。」
ネガマリンは一歩、地を踏みしめる。
「だからこそ惜しい。お前のその剣が、俺だけには通らんのだからな。」
ネガマリンは満足気に口角を上げる。その一言に、リュフターの眉が微かに動く。
「何?」
「たった今、鑑定は終了した。ーー貴様は俺に勝てん。」
ネガマリンは、自身を切り刻んだリュフターのサーベルの刃先を、まるで見透かすように細めた。
「貴様の剣は俺のような規格外の怪物には届かん。俺を倒すに足るのは圧倒的な力か、あるいは…」
「ほざけ。いくら硬かろうが、刻み潰せばいい。」
ネガマリンがその先の言葉を紡ぐよりも早く、文字通りの閃光が夜闇を支配した。
一瞬にして五つの銀光が走り、ネガマリンの喉元、両肩、太腿の肉が、更に正確に、深く削り取られた。濁ったチョコの返り血が、夜風に激しく舞い散る。
だが、ネガマリンは眉一つ動かさない。
「確かにお前は、素晴らしい才能の持ち主だ!全ての能力が満遍なく高い!総合力なら間違いなく俺よりも上だろう。だが…足らぬのだ!」
ネガマリンの瞳に浮かぶのは憐れみ。
「勝ち切る為の、決定的な一撃!それがお前の剣には、足りておらんのだ!」
ネガマリンは、傷口から溢れ出る濁ったチョコの粘りすら利用するように、強引に肉体を前へ滑り込ませ、ただ大剣を力任せに振り回す。
「フン!」
リュフターは、突っ込んでくる大剣の側面をサーベルの腹で受け流し、いなした。
凄まじい鉄の擦れ合う音が響き、火花がリュフターの顔を白く照らす。
(重い…!これだけ削って尚、この破壊力…!)
リュフターの眼光に、僅かな驚愕がよぎる。
スピードでは完全に圧倒している。
すでにネガマリンの全身には数十箇所の斬撃を刻み込み、青銅の鎧は半ば砕け散っている。
しかし、この男のタフネスは常軌を逸していた。
どれだけ切り刻もうとも、命に届く気配がない。
「リュフターよ!お前のような戦士が、此処で消えるのは本当に惜しい!恨むのなら…個性を持って生まれなかった、己の運命を恨むことだ!」
その傲慢極まりない宣告と同時に、ネガマリンが大剣を振り上げる。
空気が爆ぜ、周辺の風が熱風へと変貌する。リュフターはそれを真上に跳んで回避する。
だが、それこそがネガマリンの狙いだった。
「空中では、お前のその自慢の足も使えまい!」
着地を狙い、ネガマリンが大剣を力任せに横へと薙ぎ払う。
空気を一瞬で真空に変えるほどの、暴力的な一振り。
当たれば、上半身と下半身が泣き別れになる。
だが、リュフターは逃げ場のない死地で、一切の表情を崩さなかった。
マントを狂暴に羽ばたかせ、空中で自らの体を無理やり捻る。
ネガマリンの大剣を踏み台にするようにして、その破壊の一撃の上をひらりと飛び越えた。
そのまま、重力に従って急降下。
リュフターは無言のまま、冷徹極まりない目元で、ネガマリンの左の眼球へとサーベルの切っ先を真っ直ぐに突き出した。
「甘い!」
ネガマリンは咄嗟に左腕を差し出す。
音を立てて、リュフターのサーベルが深々と突き刺さった。
リュフターは、刺さったサーベルを抜こうと右腕に力を込める。
ーーだが次の瞬間、 ネガマリンは左腕にサーベルが刺さった状態のまま、強引に筋肉を収縮させて刃を固定した。
「っ…!?」
リュフターの顔が、初めて明確な驚愕と焦燥に染まった。
引き抜こうにも、万力に締め付けられているかのようにサーベルは微動だにしない。
武器から手を離せば丸腰。しかし、この至近距離で躊躇すれば、目の前の怪物の一発をまともに受けることになる。
「お前のスピードは、確かに脅威だった。だが……」
ネガマリンの右腕が、はち切れんばかりに膨れ上がる。
「っ…隊長っ!」
遥か後方から、戦闘中のキクラの悲痛な叫びが響く。
だが、その声すら届かないほどの超至近距離で、拳が迫る。
「削りきれなければ、意味がない!!」
ネガマリンの咆哮とともに、すべてを叩き潰す圧倒的な一拳が、リュフターの顔面目がけて放たれた。
「なっ…リュフター隊長っ!!」
射撃を続けていたノキも、目を見開いて叫ぶ。
とてつもない轟音と共に、凄まじい衝撃波が円形状に吹き荒れ、周囲の瓦礫やチョコの返り血を一瞬で吹き飛ばした。
押し寄せる暴風に、百メートル以上離れた兵士たちすらまともに立っていられず、その場に平伏する。
立ち昇る土煙の中、リュフターの安否は闇の中へ閉ざされた。




