第1話 『怨念』
「う……」
重い瞼を押し上げる。
視界に映るのは暖かい色の天井と橙色に揺らめくランプ。
「っ…!目を覚ましたぞっ!」
聞き慣れない、切羽詰まった男の叫び声。
「本当か!」
バタバタと騒がしい足音が近付いてくる。
震える腕で上身を起こすと、そこには甲冑を付けた武骨な男たちが立っていた。
「ここは…」
自分の口から漏れたのは、自分でも驚くほどに乾いた声だった。
男たちは顔を見合わせ、先程の男が少年の肩を掴んだ。
「安心しろ。ここは『きのこマウンテン』第四前線基地だ。お前…自分が誰だかわかるか?」
「自分…?」
考えようとした瞬間、脳裏にノイズがかかったような違和感に襲われる。
「う…!?」
思い出せない。自分がどこから来たのか。何故こんな所にいるのか。
ーーーそして、自分が誰なのかすらも。
「おい…大丈夫か?」
先程の男が心配する声が聞こえる。
だが、少年の体は既に限界を迎えていた。
無理に記憶の深淵へ手を伸ばした代償か、 視界が激しく歪み始める。
「あ……が、っ…………」
心臓が早鐘を打ち、 男たちが慌てて駆け寄る影すらも次第に認識できなくなっていく。
「おい! しっかりしろ! 軍医を呼べ!!」
遠のく意識の中で、視界の端に一本の槍が映る。
「あ…」
声にならない程の激しい憎悪が一瞬、確かに全身を駆け巡った。
(許さ…ない…)
誰に向けたものかも分からない、呪いのような言葉が脳裏に一度だけ閃き、少年の意識は深い闇の底へと真っ逆さまに落ちていった。
「起きろ!起きろォ!!」
怒号が鼓膜を震わせる。
次に目が覚めたとき、世界は真っ赤に燃えていた。
視界に飛び込んできたのは、数時間前自分に「安心しろ」と笑いかけてくれたあの男の背中だった。
「くそっ…よりによって"隊長"がいない時に…!」
そう呟く男の背中は小刻みに震えている。
「あのっ…!」
「っ!目が覚めたか!たけのこ軍の襲撃だ!」
男は振り返らずに、血の滲むような声で叫ぶ。
「た…けのこ…?」
その言葉が何を指すのか、今の少年には理解できなかった。
「そうだ!お前は早く逃げろ!」
「たけのこ…」
奥に目を向けると、男の肩越しに揺らめく影が見える。
それを凝視した瞬間、脳内で言葉にならない「何か」が弾け飛んだ。
視界の先にいたのは、異様なほど鋭利に尖った頭を持つ二つの影。
月明かりに照らされたその姿は、少年の理性を完全に断ち切った。
「うあぁぁぁぁぁぁ!!!」
激しい憎悪が全身の血を沸騰させる。少年は武器すら持たずに戦場へ駆け出していた。
「っ!?おいっ!?」
男は動揺した様子で裏返った声をあげる。
「あぁぁぁぁぁぁ!!!」
「おい止まれっ!!死ぬぞ!!!」
男の静止も聞かず、本能の赴くままに尖った頭の集団に突っ込んでいった。
兵士の一人が持っていた剣を冷酷に振り下ろす。
それが少年の細い体を両断するーー
ーーーはずだった。
剣は空を切り、程なくして鈍い音が響く。
「ぐ…あ…」
その声は、少年のものではなかった。
憎悪に満ちた少年の拳が、確かにたけのこ兵の胴体にめり込んでいた。
「何…!?」
予想外の反撃に、別のたけのこ兵の瞳が大きく見開かれる。
丸腰の子供。そう認識していたはずの対象が今、自分の懐に潜り込んでいる。
「くらえ…」
少年の動きに迷いはなかった。
つい先程まで眠っていたとは思えない程の俊敏な動きで、たけのこ兵の顔面を捉える。
「ぐふっ…!」
その強烈な衝撃に、もう一人の兵士も崩れ落ちる。
「な、何だよ…あいつ…」
男は戦うことも忘れ、ただ呆然と立ち尽くしていた。
数秒前まで「逃げろ」と叫んでいた対象が、今敵を圧倒し、蹂躙している。
「ああぁぁぁぁぁ!!」
倒れたたけのこ兵の胸ぐらを掴み、硬い地面に何度も叩きつける。
響き渡るのは感情の壊れた叫び。
「許さない……お前ら…全員消し去ってやる…!!」
返りチョコを浴び、漆黒に染まったその姿は、まさに死神であった。
「…」
少年は言葉を発することなく、ベッドの傍らにあった槍を手に取り、更なる戦場に赴こうとする。
「おいっ何処に…」
男が慌てた様子で問いかける。少年は言葉を返さず、ただ槍を構える。
驚くべきことに、槍を握る手に一切の違和感がない。
それどころかまるで昔から扱っていたかのように手に馴染んでいる。
「うお…」
その構えを見た男は思わず低く唸った。
少年の立ち姿は素人のそれではなかった。
右足を大きく後ろへ引き、大地を深く踏みしめる。
その構えには一分の隙も存在しない。
「お前は一体…」
男が呟いたと同時、少年は異常とも言える加速で敵陣へと飛び込んだ。
あたりに響くのは、急所を貫く鈍い音と、数多の絶叫。
その槍は一突きで体を貫き、一払いで数人の兵を薙ぎ倒す。
ーー数分後。
微かに吹く熱風の中、戦場に立っていたのはただ一人。
地面に散乱するのは、無惨に折れた剣と、砕けたクラッカー。
そして、動かなくなった兵士の山。
少年は、押し寄せた数百に及ぶ軍勢をたった一人で壊滅させた。




