超初心者
暗い部屋で、レイトは右手を軽く上げて、指をパチンと鳴らした。すると、即座に、電気もついていないのに、あたりが明るくなった。
「見つかったら、あたし、そばにいけないのよ〜」
ドレッサーの前に座り込んで、ブラシをつかみ、サラサラの紫の髪にすうっとそれを通し始める。
「肉体って重いのね〜、本当に。あたしの曲線美が台無しじゃな〜い」
(いや〜ん、ここ、絡まってるわよ。
髪傷んじゃう〜)
繊細に髪をブラシでほどきながら、レイトの独り言は舞い続ける。
「あれから、二十五年……最初のうちはよかったのよ」
(七歳までは、平和な日々だったのよ)
ブラシを持っていた手を、下にだらっと落として、
「でも〜、ルーちゃんが転生してから、あたし、呼び出されっぱなしで、肉体にほとんど入ってないのよ」
(あたしにも、生活があるのよぉ。
この世界では、肉体持って、転生してるんだから)
ブラシをドレッサーの上に置いて、コットンをひとつとり、化粧水をトントンと垂らす。
「結局、あたし、初心者のままなんだけど……」
(どうしてくれるのよ?)
月のように美しい頬に、丁寧にコットンを当ててゆく。
「魔法、正確に使えるか、ちょっと不安って感じぃ?」
次は綺麗な赤紫の半透明のビンを取り、キャップを外して、
「やっぱり〜、この美容液が一番よね」
(肌が嫌がらず、気持ちよく、吸い込んでいくのよね)
手に透明で、もちっとした液体を取り、丁寧に顔へ塗り込んでゆく。
「あたしも、もう少しで、二十五じゃない? お肌の曲がり角ってやつよ」
レイトは鏡の中に映った、月のように透き通った自分の顔を見つめて、悩ましげなため息。
「なんで、肉体って、年老いていっちゃうのかしら? いらなくな〜い、それって。乙女の最大の敵よね〜。女は誰だって、永遠に若く、う・つ・く・し・く♡」
野太いなよっとした声で、締めくくったところで、レイトはさっと立ち上がった。アンティークなチェストの上に置かれた、ジュエリーボックスを慣れた感じで、開けて、女物の細い腕時計をして、アメジストーー真実の愛を守り抜くという意味の指輪を、右手の中指につけた。
内手首の腕時計を見つめて、
(あと、五秒ね……四、三、二、一)
レイトは美しく流れるような仕草で、肩にかかったサラサラの髪を手で後ろへ払いのけ、
「始まったわね」
(五千年後の七月七日)
この次元では見えない、剣の柄に手をかけ、
「じゃあ、あたしも移動ね」
(どうしても、今日じゃないといけないのよ、あたしは)
右手を上げようとして、すぐにやめた。立派なドアへ振り返って、急に真剣な顔つきになり、
「きっと、追っ手がかかるわよね、あたし」
そこで、体を悩ましげによじらせて、
「いや〜ん、あたし狙われちゃう〜!」
指をパチンと鳴らすと、レイトの姿が一瞬にして消え去った。
瞬間移動をして、突如広がった光景は。
どこまでも続いてゆく薄闇。
遠くの空に、星がキラキラと散りばめられていて。
風の匂いは湿った独特もので。
頭上には、銀の満月が輝いている。
肉体という重力を嫌でも感じるものに、逆らえず。
下にすうっと落ちてゆき、突如、
ジャボン!
という派手な音をともなって、レイトの体に水が急に襲ってきた。
「きゃあ〜っ!」
全ての音は一瞬にして濁り、慣れない肉体は、大きく左右に揺さぶられ、ブクブクと泡を発しながら、
「ごご、どごよ〜?」
(ここ、どこよ〜?)
パチンと指を鳴らすと、さっきと同じ風景が広がっていた。足元に視線を投げ下ろすと、キラキラと月影を泳がせている水面が。
「海〜?」
一瞬にして、ずぶ濡れになったレイトは、大声で叫んだ。
「いや〜ん、トリートメントと、スキンケア台無しじゃな〜い!」
(海水はお肌と髪に良くないのよ)
べっとりしてしまった自慢の髪を手で触って、
「出直し?」
肌に吸い付いた服から、水滴が海面へ落ち、変革的な波紋を作る。腕組みをして、周りを見渡す。本当に海の真ん中に来ているようで、陸が全く見当たらなかった。
「でも、元の場所に戻れるかもわからないのよね。仕方がないわね」
顔のあたりで、右手をパチンと鳴らすと、一瞬にして、濡れていた髪と服は元どおりに。ひたいに人差し指を当て、場所を霊力で確認。
「……バミューダ トライアングル? 時空が歪んでるところよね、ここって」
肉体保有の初心者に、よくもしてくれた神ーー悠に向かって、レイトは文句を放った。
「どうしてくれんのよ? スタート地点が歪んでたら、全部歪んじゃうじゃな〜い!」
(次、どこへ行くかわからないじゃない、これじゃ)
申し合わせたかのように、悠の声が上から降ってきた。
『肉体を学べてよかったですね』
「あんた、何でも前向きね」
レイトは海の上に浮かんだまま、神経を研ぎ澄ます。
「……西ね、とりあえず」
指をパチンと鳴らすと、姿がぱっと消えた。
空間の移動から解放されると、また薄闇が広がっていた。
重力に逆らえずに、地面へすとんと落ちると、草を踏む音がした。
「違くな〜い?」
レイトのアッシュグレーの瞳には、
上へ伸びる縦の黒い線がいくつも映り。
レースのカーテンのように、銀の光が細く切り取られ。
星空を覆うような、まだらの影。
「どこの森よ?」
数歩歩くと、
「いった〜い!」
190cmもある、レイトの膝に、硬い板のようなものが当たった。
「いや〜ん、あざができちゃうじゃない」
(ラベンダー使わなくっちゃ)
障害物に手を当てると、ゴツゴツとした感触が。
「何よ、これって?」
かがみこんで、のぞき込むと、文字が彫られていた。
「In Loving Memory……? お墓?」
(愛すべき想い出と共に)
墓石に手をかけたまま、レイトはあたりへアッシュグレーの瞳をやると、他にも色んな形のそれらが草の上に鎮座していた。
「どこよ? 今度は」
ひたいに人差し指を当てて、
「スコーグスシルコゴーテン(森の墓地)……」
盛大にため息をついた。
人は誰もいないのに、気配がたくさんあり、視線を何故か感じる場所。レイトはそこら辺に、うろつく浮遊霊を眺めながら、
「西に来すぎじゃな〜い!」
(大西洋から、スウェーデンに来ちゃったわよ)
そして、アメシス王子として、軽くちゃちゃっと仕事をする。
「あんたたち、天に帰りなさいよ〜」
(地上にうろつくんじゃないわよ。
他の人の迷惑以外の何物でもないわよ。
それに、自分が辛いだけだから〜)
パチンと指を鳴らすと、浮遊霊が一斉に成仏された。聖なる場所と化した墓地に、レイトのため息が舞う。
「人は死後、森に還る……」
(あそこだけは、結局、変わってないのよね。
五千年前と同じ……森と死……)
しばらく、レイトは差し込む月の光を眺めて、物思いにふけっていた。夜の冷たい風が、紫の髪を優しく撫でてゆく。世界の崩壊をめぐって、戦うという宿命を背負った、自分を入れた六人の王子。
彼らには、同じ人を愛したという事実があり、それぞれの参戦理由がある。神と地上人の間に立たされている、アメシス神国の王子、レイトは他の人よりも知っていることが多く。軽く息を吐いて、
(ユーリちゃんは、『自分をわかってくれる人は、リエラしかいなかった……』
セリルちゃんは、『これから、やっと一緒に過ごせるはずだったのに……』
ヒューは、『彼女のことを愛していたとは知りませんでした』
トムラムちゃんは、『リエラとシトリンとともに歩んでいきたかった……』)
そこで、思わず声が出た。
「ルーちゃんは……悩ましく、痛ましいわね……」
(よく、参戦したわね。
強いのよね、あの子って)
五千年前に、ルーとリエラの間に起こった悲劇を思うと、レイトは表情が曇った。剣の柄に手をかけて、軸足を右から左へ変え、
「2nd changeのあとよね、それって……」
(もっと、早く手を打ってたら、よかったのかもしれないわね)
不意に、後悔という感情の波が襲って来て、レイトは霊界でしか使えない、剣を鞘から鮮やかに抜き取り、その場で華麗に舞い始めた。
月の光を受けて、きらめく剣が、シルバーの線を空中に鋭く描く。
居つくことなく、変化という剣の舞を踊り続ける。
シュッシュッとした音だけが、しばらく、静寂という森に、降り注いでいた。
もうすぐ、日が昇るという時間帯。
レイトは瞬間移動から解放されると。
アスファルトの上にいて。
黄色い線と白い線の間に立っていた。
突如目の前に、ふたつの眩しい光が迫って来て、
キキーッ!
と、何かが軋む音がし、
「きゃあ〜!」
猛スピードで、自分へ向かってくる乗用車と、正面衝突しそうになって、短縮魔法が無意識に発動された。全てが、一瞬にして、止まった。時の流れの法則を無視して、停止している、車のバンバーに、唯一動けるレイトが手をかけて、あきれ気味に、
「あたしが成仏するところだったわよ」
(車にひかれそうになったんだけど〜。
ここで、お釈迦になってどうすんのよ)
そこで、重大なミスを起こしてしまったことに気づいた。
「いや〜ん、時間止めちゃったわよ」
(来年の七月七日が、後ろへずれちゃった〜)
指をパチンと鳴らして、歩道へ一瞬にして移動すると、再び時が流れ始めた。背後で、軋むタイヤの音が響いた。さっき自分をひきそうになってた車が急停車。それを別に気にした様子もなく、レイトは路上を見渡して、
「ここ、どこ〜?」
(正解に近づいてる感じはするのよ)
黄色に点滅している、信号機と同じ位置にある、歩道橋の文字を見つめて、
「すめらぎ市、二丁目?」
レイトはあらかじめ、記憶していた地図を記憶の浅い部分に引っ張り出した。
「隣の町……ね」
(近づいて来たわね)
再び、走り出した車を背にしたまま、レイトは指をパチンと鳴らし、明け方の路上から姿を消した。
そして、気がづくと、今度は窓の前に立っていた。薄闇に浮かび上がる、茂みを前にして、
「今度はどこよ?」
辺りを見渡すと、細長い空間で。
その途中には、花瓶などが飾られている。
足元へ視線を落とすと、赤い絨毯が敷かれており。
「城……?」
立派な屋敷にいきなり入り込んでいた。レイトは腕組みをして、左右をうかがい、どこだかわかって、もう何回ついたかわからない、ため息をついた。
「……ヒュー ウィンクラー、八神 光の家でしょ、ここって」
(コランダム城と同じ造りよ)
アメシス王子は、もうすぐ夜明けを迎える窓に近寄って、
(ヒュー、狙われたわね、やっぱり……。
一人で、ここに住んでるのよね。
世界の移動が始まったら、教えないといけないわね。
ヒュー、無駄に苦しんじゃうじゃない?)
レイトは窓に背を向け、寄りかかった。
(ルーちゃんと仲よかったわよね、ヒューって。
同じ、芸術家だったからかもしれないわね。
たまに、あのふたり、抱き合ってたりしてたから〜)
ヒューとルシアに、BL要素の事実がいきなり出て来た、ここで。それを気にすることなく、はるか昔、自分と神しか覚えていない記憶をたどってしまい、レイトは思わずぽつりと、
「宮廷ーー」
その時、廊下の角を、使用人が曲がってこようとする気配がして、レイトは慌てて、その場から消えた。
そして、気がつくと、目の前に突如、髑髏ーー人の頭蓋骨が現れた。
「きゃあっ!」
レイトは思わず、後ろへ身を引いて、両肘を曲げて、胸の前でクロスさせた。
「ちょっと、グロテスクすぎるんだけど……」
(肉体持ってないあたしには、無縁のものなのよ、これって。
何回見ても、慣れないわね。
何で、こんなものがあるのよ? ここに)
朝焼けの空に映し出された、空間を見た。
四角く切り取られた窓が、空間の一面に広がり。
反対側には、闇を少しともなった窓がある。
その間には、広く四角いテーブル。
銀の細い水道がついていて。
その周りには、丸い木の椅子が綺麗に整頓されていた。
「正確にはわからないけど……煌彩高校の理科室?」
(学校行ったことないけど、たぶんそうね。
ネットで調べたのと、似てるわよ)
レイトはパチンと指を鳴らして、学校の正門前に移動した。
「ここからは、歩きね」
(これ以上、別の場所に行ったら、それこそ、時間に遅れちゃうから〜)
そこで、美容と健康を気遣っている、女言葉を使う、レイトは歩き出そうとして、
「そういえば……あたし、全然寝てないわね。お肌ボロボロになっちゃう、いや〜ん!」
野太い、なよっとした声が、朝焼けの空に吸い込まれるように響いた。




