2-1 新たな目覚め
「レクシー! レクシーってば!!」
「先輩! 起きてください!」
消毒薬の匂いに、規則正しくリズムを刻む心電計。聞き覚えのある二人の声が鼓膜と脳を揺さぶり、アレクシス・ヘインズは夢無き眠りから目覚めた。
神経細胞に少しずつ火が灯り始め、五感、思考、そして身体に血が通う感覚が蘇ってくる。閉ざされていた瞼を再び開いたとき、目に飛び込んできたのは蛍光灯の眩い光、そして──
冷や汗と涙とその他各種の体液でドロドロになった、唯一無二の相棒ウィル・C・スチュアートの顔面であった。
「せ゛ん゛は゛い゛」
「誰だお前。あと顔が近ぇ」
アレクシスが寝ているのは、緑色の固いマットが敷かれた手術用ベッドの上。身体に繋がれた無数のチューブや、枕元でピコピコカシャカシャと愉快な音楽を奏でている使途不明の医療機械達から察するに、このコンクリ打ちっぱなしの小部屋はどこかの病院らしい。
「このまま起きなかったらどうしようかって、みんな心配してたんだよ……!」
そう言ってウィルの隣から顔を出したのはナトカ・ロイセウィッチ。低身長・低血圧・低体温の三位一体を誇るハイテクメカニック少女が、珍しく目をまん丸にしてアレクシスの顔を覗き込んでいた。
思えば、自分はこいつのためにエスタンジア軍に喧嘩を売ったのだ。さらわれたナトカを追ってエスタンジアの前線基地にたどり着き、深手を負いながらも敵をブチのめしたところまでは覚えている。カネにもならないのに正規軍に殴りかかり、挙句に死にかけるなんて、我ながら正気の沙汰とは思えないことをしたものだ。ナトカを連れて帰る途中で倒れて、それから多分、二人がこの病院に運んでくれたのだろう。
「ああ先輩、良かった、良かった……!」
それにしてもウィルの様子がおかしい。アレクシスの知っているウィルといえば、例え相方が負傷しようが、長らく世話になっていた傭兵組織を追い出されようが、平然と次に打つ手を考えている人間計算機である。こうして泣きじゃくりながら肩を揺さぶってくるようなタイプではなかったはずだ。
「俺が復活して嬉しいのは分かるが、まあ落ち着け。声が脳味噌にガンガン響く」
子供のような顔と体格で、子供のようにしがみついてくるウィルを、両手でなんとか引き剥がす。病み上がりのせいか腕に力が入らない。
「いや先輩、違うんですよ……! そういうのじゃないんです」
「そういうの? どういうのだ」
いつになく取り乱したまま、返事になっていない返事を寄越すウィル。アレクシスが聞き返すのと、アレクシスから見て足元にある錆まみれのドアが開くのがほぼ同時だった。
「……ああいうのです」
ベッドに横たわったまま、ウィルの指差す先、ドアから入ってきた人影に視線を移す。デタラメな鼻歌を入場曲代わりに、満面のニタニタ笑いを顔に貼り付けながら現れた人物を視界に捉えた瞬間、アレクシスの脳裏に危険信号が灯った。
「──ふぅ、ひとまず片付いたわ」
ブルーイング処理された金属地のように輝く黒髪を荒っぽく後頭部で纏め、それなりに目鼻立ちの整った顔を野暮ったい黒縁眼鏡で覆った女。歳は20代半ばといったところだろうか。ピンナップガールとして爆撃機の機首を飾っていそうなほどの、抜群のプロポーションの持ち主だが、その身体を覆っているのはボロボロに擦り切れた白衣だ。恵まれた身体つきをしていながら、身なりにはまるで気を使っていないらしい。
しかしいくらなんでも、白衣を深紅に染める、おびただしい量の返り血を気にしているそぶりが一切無いのは、流石に常軌を逸していると言わざるを得ない。血糊がべったりと付着した右手には、電源が入ったままの電動骨切りノコギリが握られていた。いくらなんでもスプラッタすぎる。季節外れのハロウィンコスプレのつもりか。
「三人で攻めてきたけど、一人を組み伏せてその場で手術ってやったら残りは逃げてったわ。仲間を見捨てて逃げるなんて薄情な連中ねぇ?」
革靴でコンクリートの床をリズミカルに叩きつつ、女はアレクシス達のもとへ近付く。寝かされているベッドとの距離が縮まるにつれて、アレクシスの心拍数が上昇していく。ベッドから飛び起きて逃げようとしたが、手足に全く力が入らない。釣り上げられたヌタウナギのようにのたうちながら、アレクシスは枕元の相棒に耳打ちした。
「お、おいウィル、こいつは何者なんだ」
「ああ、先輩は初対面でしたっけ。クロエ・アリサカ先生ですよ、モグリ技師の」
「……待て、モグリ技師だって?」
モグリ技師。負け犬と博士を組み合わせた俗称が、この女の稼業の全てを物語っている。モグリ技師とは医学や工学の知識を持ちながら特定の組織に属さずに放浪生活を送ったり、地下社会に身を隠していたりする者達の総称だ。つまりアレクシスの目の前で嬉しそうに電鋸を唸らせている血塗れ眼鏡女は、平たく言えば闇医者ということになる。
「この病院、入院代死ぬほど高いんですよ……! 先輩が起きるのがあと数日遅かったらもう臓器でも売ろうかってとこでしたよ」
首から上をプルプルと震わせながら、ウィルは耳打ちした。モグリ技師なんかの世話になるのは野盗の連中か、食い詰めて野盗一歩手前の生活をしている傭兵崩れと相場が決まっている。こんなのの手も借りないといけないほど状況が逼迫していたとなれば、ウィルのいつにない焦燥ぶりも仕方ないだろう。
「さて、意識が戻ったなら早速働いてもらうわよ。手足もそのうち感覚戻ってくるはずだから」
闇医者クロエはアレクシスの身体から生えたチューブやケーブルを慣れた手つきで外していき、指先が触れるたびにアレクシスの皮膚には誰かの血と泥とその他あまり想像したくない液体の数々がブレンドされたスペシャルカクテルが付着する。待て、せめて手は洗え。
「ところで、良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
「その言い回しをリアルで使う奴がいると思わなかった」
少しずつ言うことを聞き始めた四肢に力を込めて、ゆっくりと上体を起こす。身体に掛かっていたシーツを剥ぎ取ると、アレクシスの身体はパンツ一丁、おまけに全身縫い目だらけ。寝ている間に腎臓やらキンタマやらを抜き取られていないか不安になる仕上がりだ。
「さて、まずは良いニュースから。ここ最近、この辺りの傭兵達はある噂で持ちきりよ。エスタンジア正規軍にたった1機で戦いを挑んだ謎のヒーロー! 囚われの少女を救い出し、大荒原の彼方に消えたウォーカー乗りの正体やいかに」
「ちょっと待て、俺じゃねえか」
反射的にツッコミを入れざるを得なかった。言いたいことは山ほどあるが、脇腹に突如として走った、引き攣ったような痛みが思考を遮る。傷口から伸びる、体液排出用のドレーンチューブが引っ張られているのだ。
「あででででで」
「はいはい暴れなーい」
患者への配慮を一切感じさせないほどの手際の良さで、ビニールチューブがスポンと抜かれる。クロエが消毒液を取りにベッドから離れたところに、ウィルとナトカの二人が割って入った。
「今じゃ人気者ですよ、先輩も僕達も」
「『アレクシス・ヘインズと愉快な仲間達』ってフレーズを聞いたことのない人、もうこの辺りじゃいないんじゃないかってさ」
起きたばかりのアレクシスに新情報のシャワーを浴びせる二人。聞けば「エスタンジア正規軍の最新鋭機を単機で倒した奴がいる」という噂がオーストラリア南東部一帯に広まり、アレクシスの名前は凄腕のエースとして知られるようになったのだという。傭兵として名が売れるのは嬉しいが、流石に話が急すぎやしないか。
ナトカが部屋の片隅に置いてあった新聞をひょいと掴んで手渡してきた。広げてみると、一面を飾っていた写真は、先日遭遇した第3世代ウォーカー「ヴォルフガング」が遺棄され横たわる姿だった。そして、そこにも「アレクシス・ヘインズ」という名前が、ご丁寧にも顔写真付きで踊っている。
(どうなってやがる)
何かがおかしい。ステファンズ・クリークからの帰り道に意識が落ちて、それからこのベッドで目覚めた。体感ではほんの一晩の眠り。全人類がナントカネットとかいう情報網で繋がっていた大昔ならまだしも、今は22世紀だ。こんなに噂が広まるはずがない。
「な、なあ……俺、どんだけここで寝てたんだ? 俺的には、長くて3日くらいかって思ってたんだが」
傷口に染みるヨードチンキに耐えながら尋ねる。すると返ってきたのはこんな返答だった。
「……4週間です」
「は?」
「年、明けたよ。レクシー」
「えっ、あ、あけましておめでとうございました」
タイムスリップした気分だ。二人が言うには、今は2142年1月。どうやらクリスマスケーキを食いそびれたらしい。
「コレのことか、悪いニュースってのは……」
アレクシスは独りごちた。まさか新年を闇医者のベッドで迎えることになるとは。すると、傷口を処理しながら聞き耳を立てていたスプラッタ眼鏡が会話に参戦する。
「いやいや、私の言う悪いニュースはそれとは別よ?」
「他にもあるのかよ」
「ちっこいの、コルクボード持ってきて?」
クロエに指図され、ナトカが部屋の隅から運んできたボードには、30人分は下らないであろう顔写真がピン留めされていた。猛禽類のような眼光を放つ者や、いくさ傷が深々と刻まれた者。知っている顔は一つもないが、どれもカタギではないだろうということだけは即座に理解できた。
写真のピンからはそれぞれ赤い糸が伸ばされ、関連のある人物同士を結びつけているようだった。そしてそのライン全てが収束する点には──「アレクシス・ヘインズ」と殴り書きされた、ダクトテープの切れ端が貼り付けられていた。
「な、なぁセンセイ……まさかと思うが、これって」
「アレクシス・ヘインズの首を狙ってる人達よ。人気者って辛いわねぇ」
悪い予感は的中した。こんな人数に恨まれる心当たりなんて──と反論しようとしたが、口から飛び出す前に言葉を飲み込む。思い返せばこれまで、数えきれないくらいの敵を撃ったり焼いたり踏み潰したりしてきた。恨みを買って殺される理由なんて、考えるだけ野暮というものだ。
「ここひと月、追っ手から逃げ回りながら先輩の入院費を工面して、ずっと先輩が起きてくるのを待ってたんですよ」
またウィルに世話を掛けてしまった。アレクシスは自省した。それにナトカだって、こんな抗争のど真ん中にいて良いことなんて一つもないだろう。この現状をなんとかしなければ。
「もう歩ける?」
心配そうに尋ねるナトカ。その瞳の奥に焦りの色が見て取れることを、アレクシスは見逃さなかった。他の面子もダッフルバッグに荷物を詰め始めたり、心電計や点滴スタンドを片付け始めたりしている。どうやら移動が近いらしい。
場の空気に急かされ、ゆっくりと床に裸足の両脚を下ろす。そして膝と腰に力を込め、医療用ベッドから立ち上がろうとしたその瞬間、アレクシスは地球の重力が増したかのように、べチャリとコンクリートに叩きつけられた。
「ぶべっ」
4週間の間に相当身体が鈍っていたらしい。まるで生まれたての子鹿か、水揚げされた深海生物のようだ。
「ああもう、床と仲良しになってる暇なんて無いのよ! 早く起きないと──」
グネグネとのたくるアレクシスを、他の3人が強引に引っ張り上げる。やっとのことで直立二足歩行の姿勢に戻り、アレクシスが軟体動物から人間に進化し直した、まさにその瞬間。
「オラァッ!!」
病室と外界を隔てる、錆まみれの鉄扉が蹴り開けられた。突然の乱入者に、その場の全員が思わず振り向く。
「『EDMクルセイダーズ』だ! ヤブ医者野郎、さっきはよくもフェリペを殺ってくれたなァ」
押し入ってきたのは二人の男。揃いのオレンジ色の作業服の上から、スクラップ製のアーマーをボルト留め。一人は拳銃代わりの釘打ち機、もう一人は航空機のプロペラブレードを刀身にした蛮刀を携えていた。野盗だ。
「アレクシス・ヘインズってのはどいつだ! こん中の誰かってのは分かってんだ。えぇ?」
釘打ち機の男は室内にいた4人を睥睨しつつ、壁や天井に向けて釘打ち機を乱射した。空気圧で射出された釘が、劣化したコンクリートに次々と突き刺さる。
「アニキ、別に生け捕りにしろとは言われてねぇ。とりあえず4人ともスパスパサックリしちまって、地上に運び出した後でどの死体がアレクシス・ヘインズなのか調べりゃいいんじゃねぇの?」
対する蛮刀の男はガスマスクから荒い吐息を漏らしつつ、これから始まる殺戮ショーの準備運動とばかりに首の骨をコキコキと鳴らした。
「畜生、どうする!?」
アレクシスはぐるりと辺りを見回し、形成逆転のチャンスを探した。だが逃げ出そうにも出口は一つ、それも完全に敵に塞がれている。頭数だけで言えばこちらが有利だが、非戦闘員2人と軟体動物1匹を除いて、まともに戦えるのは恐らくウィルだけだ。正面からやり合えば、間違いなく誰かが死ぬ。
もはや打つ手なし。そんな不吉な言葉が脳裏をよぎったその時。一行の中でただ一人、野盗に向かって歩を進める者がいた。モデルのように胸を張り、白衣をまるで騎士のマントのように翻しながら。
「やれやれ、オトモダチに無料の開腹手術をサービスしたのは警告のつもりだったんだけど、まだお勉強が足りないようねぇ」
「ンだと!?」
敵に立ちはだかるクロエの後ろ姿を、霞む瞳で見つめるアレクシス。彼の脳裏には、二つの相反する感情が渦巻いていた。この状況をどうにかしてくれるなら頼もしい、というのが半分。そしてもう半分は──どう見ても正気ではないこのイカれ眼鏡が、今度は何を企んでいるのだろうという一抹の不安である。そしてそんなアレクシスの不安をよそに、クロエはよく通る声でこう言い放つのだった。
「アリサカ先生の補講のお時間、始まり始まり! 科学の力って奴を、文字通り骨身に染みるまで教えてあげましょう」
「鉄錆戦機セコハンウォーカー」の世界 #10
EDMクルセイダーズ
オーストラリア南東部を中心に活動する野盗組織の一つ。「四つ腕モートン」の名で知られるボスによってシメられており、野盗ながらその統率やウォーカーの性能は中規模の傭兵組織に匹敵する。
組織の構成員は、いずれも血管にガソリンが流れているようなメカマニア揃い。乗機は皆EDM(エスタンジア国内市場向け)の最新高性能パーツでチューンナップされ、軽量カーボン素材のエアロパーツやネオン電飾キットなどでド派手に飾られている。ハイテク部品を巡って他勢力と抗争を繰り広げることも多く、タングステン砲弾をブッ放す漸減口径砲や、ウォーカー分隊を丸ごと火だるまにしてしまう焼夷ロケット弾ラックなどのゴキゲンな装備品を自慢しながら陽気に敵を叩きのめす。
チームカラーはメタリックオレンジとブルーのツートン。メカへの熱い想いを身体で表すべく、構成員は軍用WCスーツではなくビビッドオレンジのレーサースーツやメカニック用ジャンプスーツで戦場に現れる。身も心も愛機と一体になるべく、ウォーカー用のリベットやネジを身体に打ち付けている者も少なくない。
ウォーカーを降りて歩兵戦を挑む際にも、銃なんて野暮な物は使わない。連中が使うのは電動ドリル、釘打ち銃、アーク溶接機といった工具の数々。敵の肉体を電鋸で切り刻み、リベットガンで壁に縫い止めることで、愛しいマシンへのめくるめく愛情を表現するのだ。




