1-25 帰還
大荒原の片隅。時刻は、午前5時を回ろうとしていた。辺りに響くのは虫の声と、ユーカリの木立が夜風になびく音だけだ。
「クッソ……痛ってぇ。良いの貰っちまったなぁ」
ソーダ・ポッパーから降りるなり、そう言って最寄りの木陰にへたり込んだのはアレクシスだ。砲手席からそこまで、彼が歩いた道のりには、点々と血が滴っていた。
長く続いた地獄のような激戦を制し、ついに二人はナトカの身柄を取り戻した。彼女の身柄を引き受け、お互いそれ以上の要求は受け付けない。エスタンジアとそんな取り決めを交わした後、ソーダ・ポッパーの補助席にナトカを乗せて、ここまで歩いてきたのだ。
だがブロークンヒルの町を前にして、満身創痍のソーダ・ポッパーはついに力尽きた。完全にエンジンが死ぬ前に何とか着座姿勢を取らせ、安全な場所に機体を停めることは出来たものの、このままではアレクシスの身が持たない。
「先輩……! 待っててください、今手当を……」
子ウサギのように震えながら、全身のポーチをひっくり返して医療品を探すウィル。アレクシスは先の戦いで砲弾片を浴び、その容態は深刻だ。戦いが終わるやいなや、アレクシスは徐々にその覇気を失い始め、今では視線も虚ろだ。至急手を打たねば、出血性ショックで程なく死に至ることは目に見えている。だが──ここには医療の心得がある人間もいなければ、これほどの重傷に対応できるような道具もない。ブロークンヒルの町まで行けば十分な手当ても受けられるだろうが、負傷者を連れて夜の大荒原を徒歩横断するのはあまりに無謀だ。
「ウィリー! あった、これ!」
二人の傍らでひざまずいたソーダ・ポッパーの機内から、少女の声が響く。あれだけの目に遭ってさぞかし疲れているだろうに、ナトカはいつもの過眠っぷりを一切見せることなく、ただアレクシスの命を繋ごうとしていた。
ソーダ・ポッパーのハッチから投げ渡されたのは金属チューブに入ったモルヒネ、使いかけの包帯、そして消毒液。ウォーカー乗りなら誰でも持っているような、ありふれた応急用品だ。
こんなもので、取ってつけたような処置しか出来ない自分が情けない。刻一刻と死に向かっている唯一無二の相棒を前に、ウィルは拳を握りしめていた。この包帯は、ただ傷を見えなくするだけ。このモルヒネだって、痛みを取る以外の事は何一つしてくれない。そんな事は分かっている。だが今のウィルには、今ある物だけで対応する以外に、出来ることなど何もない。そのことは、ウィル自身が何より分かっていた。
「なぁ、ウィル……」
肩で息をしながら、アレクシスが呼びかける。
「すまねぇ……世話、かけたな」
そう言うアレクシスの瞳には、戦いの最中に見せたような、ギラギラとした光はすでに無い。あるのは消えかかったロウソクの火のような、かすかな光だけだ。
傭兵達の間で「超・燃え尽き症候群」などと呼ばれている症状だ。人間の持つ闘争本能は、普通なら致命傷になるような肉体の損傷すら一時的に無視させてしまうほどの力を持っている──例え心臓が破れても、数秒間は戦闘を続行できるほどに。そして目につく敵を全て倒しきったとき、ボロボロの肉体を繋ぎ止めていたアドレナリンの魔法が切れて死に至るのだという。緊張が解けた瞬間が一番危険なのだ。
「先輩……ダメです、生きて!!」
「うそ、うそ、レクシー……!」
二人はうなだれるアレクシスのもとに寄り添い、間に合わせの医薬品で死にゆく傭兵の命を繋ごうとしていた。だが、こうしている間にも刻一刻と、アレクシスの鼓動は弱くなっていく。
「なぁウィル、俺さ……やりたい事だけやって、若いうちにくたばろうと思ってたんだ」
額から流れる血を拭うことすらせず、アレクシスはゆっくりと呟いた。
「でもよ、お前がいて、ナトカもいて……二人にそんな顔されちゃ、死ににくいじゃねえか……」
アレクシスは肩で息をしながら、少し明るみ始めた瑠璃色の空を見上げる。
「クソッ、死にたくねえ……死にたくねえよ」
死にたくない。そんな言葉をアレクシスから聞いたのは初めてだった。傭兵らしい散り際に憧れていたのは他でもないアレクシスのはずだったのに。
「そう、そうですよ……死ぬ訳ないじゃないですか。ほら先輩、いつもみたいに笑ってくださいよ……」
ウィルの視界が涙で滲む。遥か格上の相手、エスタンジア軍と正面からぶつかって勝つ。そんな痛快なストーリーも、その結末がこれでは台無しだ。ハッピーエンドを迎えて、今頃最高級のカンガルーステーキを皆で頬張っているはずだったのに。
「レクシー……」
「いや、もういい……もう十分だ」
鎮痛トローチを差し出すナトカの細い腕を、アレクシスが震える手で拒絶する。ウィルはただ相棒の側で膝を抱え、大荒原の乾いた砂を握りしめることしか出来なかった。
最早これまで。チェックメイトだ。その場にいる誰もが諦めかけた、まさにその時。救いの鐘の音は、予想だにしない方向からもたらされた。
「……ん? この音は……?」
規則正しい電子マリンバ。緊迫した状況におよそ似つかわしくない打楽器の音色。一行の周囲に散乱した応急治療用品やその他のガラクタ。見渡すと、その中の一つが人工的な光を放っていることに気付く。
「えっ……うそ、なんで!?」
そう、それはナトカが持ち歩いていた旧世界の遺産「賢い電話」。かつての電子文明の叡智の結晶、手の平サイズの黒きモノリス。しきりに軽快な合成音楽を鳴らしつつ、何かを求めるようにその身を震わせている。だが、思わず手に取ったウィルも、どう対処するべきか分からない。
「そ、その画面の緑のとこ触って!」
未知の機械を言われるままに操作し、耳にあてがう。ボタンやダイヤルの無い電話は初めてだ。だが、ウィル以上に驚いているのは恐らくナトカの方だろう。さっきからしきりに目を白黒させている。それもそのはず、この通信機械を運用するためのインフラは、世界統一戦争の折に完全に破壊されていたはずだからだ。
「こちらローラシア親衛自警団、実働部隊E-9所属、ウィリアム・コンスタンティン・スチュアート! 応答願う、どうぞ!」
相手が誰であるかなど、考える余裕すらなかった。この通信回線の向こう側に誰かがいる。敢えて電話越しにコンタクトを取ってくるということは、恐らく敵ではないだろう。ならば、死を待つアレクシスを救うチャンスが1%でもあるかもしれない。そこに賭けたのだ。
「そんな肩肘張らなくてもいいわ。お困りのようねえ?」
スピーカーから聞こえてきたのは女の声。一度も聞き覚えのない声だった。20代後半。東アジア訛りの英語。間延びした語り口。口調からするに、訓練を受けた戦闘員ではないだろう。
「誰ですか!? いや、誰でもいい……至急助けが必要です! 医療の心得のある者か、医療施設まで行くためのアシを……」
藁にもすがる思いでまくし立てる。例え相手が誰であれ、このまま相棒を死なせるよりはマシなはずだ。
「そう言うと思ってたわ。何で貴方達の行動をそんなに知ってるのかって? 私にも、貴方達にここで死なれちゃ困る理由があるのよ」
謎の声の主は、どうやらこちらの動向を知っていたらしい。数々の修羅場で鍛えられた、ウィルの生存本能がアラートを鳴らす。闇医者に案内されて法外な治療費をむしり取られるか、利用するだけされてゴミのように捨てられるかもしれない。だが、それでも構わないという覚悟が、今のウィルにはあった。どんな結末を迎えても、今ここで終わりになるよりはずっと良い。
「幸い、ここには今の貴方達にうってつけの人材が一人いるわ。ある時は地下世界の放浪者、またある時は手段を選ばず命を救うスーパードクター、その名も……」
ウィルはただ、固唾を飲んで電話越しの名乗り上げに耳を傾けていた。そして、次の瞬間である。
「あ、わっ、うわわっ!!」
不意に、内臓が宙に浮く感覚が襲う。それに続くのは背中への鈍い痛み。取り落とした電話機を拾い、身を起こしてようやく気付く。ウィルは──落ちたのだ。先程まで座っていた大荒原の砂地から、その下の空間へと。深さ2メートル程の、古びたコンクリート製の狭い溝。つい先程までウィルがいたのはその蓋の真上で、溝の内部から蓋が開けられたことで落下した──そのことを理解するのに数秒を要した。
「顔を上げなさい? 救いの主はここにいるわ」
ナトカの電話機からの声と、通路の闇の向こう側から聞こえる声がシンクロする。革靴が規則正しくコンクリートを叩く音が近付いてくる。身体に付いた砂を払い、ウィルが身体を起こすと、声の主はついに眼前にその姿を現した。
「さて、患者はどこかしら? 非っ常に都合の良いことに、私は医者で、かつ今すぐ怪我人を移送する手立てがあるけど」
擦り切れた白衣の裾から覗く、黒いタイツとロングブーツ。ガンブルー色の髪をシニヨンにまとめた長身の女性。恐らくそれなりに整っているであろう顔立ちは、手術用マスクと古臭い黒縁眼鏡で覆い隠されている。背負っているアリスパックにはわざとらしい赤十字が描かれ、その口からは使途不明の怪しげな医療器具の数々が顔を出し、ステンレスの不気味な光沢を放っていた。
白衣の肩口にはエスタンジア軍の記章が刺繍されており、バックパックには「ローラシア陸軍緊急医療班」とステンシルが入っているが、恐らく実際はそのどちらでもあるまい。
(……モグリ技師か)
その異様な身なりと立ち居振る舞いから、ウィルは瞬時に相手の正体に勘付いた。戦場を渡り歩く闇の医学者。カネさえ積まれれば野盗とすら取引するという影の住人。
しかし今は相手を選んでいられる状況ではない。命の瀬戸際なのだ。ウィルは深々と頭を下げながら、その声を地下通路に響かせた。
「お願いします! カネならいくらでも出します、先輩を助けて下さい!!」
白衣の女はほつれた裾をたなびかせ、芝居がかった仕草で胸を反らす。天井から差し込む、夜明け前の朧げな明かり。眼鏡のレンズが、軍用ウォーカーの索敵照準装置のように輝いた。
「任せなさい。人呼んで『呪術医』、このクロエ・アリサカがしかと承ったわ」
「鉄錆戦機セコハンウォーカー」の世界 #9
モグリ技師
戦争は、最前線の兵士だけで行えるものではない。高度な工業製品であるウォーカーの性能を保つためには頻繁な整備が欠かせず、またそれを扱うウォーカー乗りも怪我や病気と無縁というわけにはいかない。だというのに、およそまともな後方支援を受ける体制があるとは思えない野盗や、零細規模の傭兵組織でさえウォーカーを運用しているのを不思議に思ったことはないだろうか? その答えが彼ら、モグリ技師の存在である。
モグリ技師とは、医学や機械整備など、何らかの専門技能を持っていながら特定の組織に属さず、放浪生活を送っている者の総称である。工学分野の知識を持つ者は盗品ウォーカーのシャーシ番号偽装や火器の密造、医学の心得がある者は負傷した野盗の身体を切り貼りして五体満足な姿に復元するなど、自分に出来ることでカネになりそうなことなら、彼らはどんな稼業にも手を出す。その見境の無さと、カネさえ積まれれば野盗にも協力するという点から、表社会の人間、とりわけ彼らの支援を必要としない中流以上のウォーカー乗りからは蛇蝎の如く嫌われている。しかしそうしたウォーカー乗りがもし戦いの中で全てを失い、擱座したウォーカーの機内で死を待つだけとなったとき、最後に頼ることになるのもモグリ技師なのだ。
作るべき武器や、接ぎ合わせるべき人体が無いとき、モグリ技師がいるのは瓦礫のくすぶる戦場跡だ。壊れたウォーカー、あるいは壊れた人間から修理用のスペアパーツを効率良く集められる戦場は、彼らにとって宝の山である。死の淵にあるとき、彼らに運良く巡り会うことが出来れば、恐らく彼らは喜んで手を貸してくれるだろう。手術代は完全前払い、術中術後に何があってもノークレームという条件を呑むことができればの話だが。




