1-24 グラッジ・マッチ (後編)
目眩と吐き気、そして意識が徐々に遠のいていく奇妙な感覚。明滅する神経信号。アレクシス・ヘインズの自我はその輪郭を徐々に無意識という闇へと溶かしながら、独り記憶の海を漂った。
「戦地に行って傭兵になる? アホな事言ってないで、そろそろ真面目に仕事探しでもしたらどうなの?」
最初に浮かんだのは母の顔。傭兵になると決めたあの日、リビングに掃除機を掛けていた母はいつものしかめっ面で、もう何度聞いたか分からない決まり文句を返してきた。
「その『真面目になる』ってのがフツーの人生を送って地味に死ぬって意味なら、俺は嫌だね。オカンは何もわかってない!」
フローリングにあぐらをかき、戦場に持っていく予定のケンカ拳銃を磨きながら答えたのはアレクシス。WCスーツではなくモッズコートとジーンズに身を包んだ、記憶の中のアレクシスだ。
思えば、両親には迷惑ばかりかけてきた。過去の自分を俯瞰しながら、アレクシスは自省した。もし自分の将来の子供がこんなドラ息子だったら、家から蹴り出すことに迷いは無いだろう。そんな自分をここまで育ててくれた両親に、自分は何かしてやれていただろうか?
いたたまれない気持ちになり目を逸らすと、カリフォルニアの実家の風景は記憶の闇の向こう側へと霧消した。
続けて殺到したのは記憶の奔流。もう会うことは無いかもしれない、走り屋時代やバックパッカー時代の友人。中学生の頃、人生最初で最後のラブレターを送りつけ壮絶な玉砕に終わった初恋のクラスメイト。車窓の風景のように流れては消えていく記憶たち。まるで人生のエンドロールだ。
ウィルから聞いた話では、死の直前に見るビジョンを、日本では、死者に捧げる灯りに例えて「ソーマト」とか言うらしい。つまり、このスライドショーが途絶えたとき、アレクシスは死ぬのだ。
(いよいよ年貢の納め時か……)
死ぬのは怖くない。それに70歳になって全身チューブまみれで死ぬくらいなら、20代のうちに凄い強敵と戦って討ち死にしたいとも思っていた。だが、いざその時が来てみると──今は死ぬ時ではないと、アレクシスの本能が囁くのだ。守るべき者を守れず、それも一騎討ちに乱入してくるような輩の手に掛かって死ぬなどというのは、アレクシスが望んだ痛快な死に様には程遠い。
鉄砲水のように溢れる記憶の中でもがきながら、アレクシスは精神力だけを頼りに必死にその自我を繋ぎとめていた。そしてとりとめのない過去のビジョンはやがて、一つの明確な像を結ぶ。時は戦闘準備期間4日目──つまりは昨日だ──、所はブロークンヒル郊外の無人地帯。アレクシスの魂は暗く冷たい記憶の泥濘から、熱い陽射しの照りつける大荒原へとその場所を移した。
「命中! 外れ! 外れ……あー、レクシー、照準を右に2ポイント修正。ちょっと弾着がズレてる」
スーパージャグが最終調整に入っていたその日、運転手席に座っていたのはナトカだった。スーパージャグの腹部ハッチから身を乗り出し、測距儀越しに57mmライフルの着弾を観測している。本来の運転手であるウィルは今日、事務手続きで終日不在だ。
「今積んでる照準器、正規品じゃないからイマイチだな。明日の仕事が終わったら、報酬でマトモな奴を買い直すよ」
砲手席のアレクシスは頭を掻きながらレティクルの調節ノブを微調整し、
「よし、これでどうだ?」
そう言ってメインモニタに向き直る。二人の見据える先には、敵ウォーカーを模して廃車や廃材を人型に積み上げたターゲットが立っている。
「じゃあ行くぞ、見ててくれ!」
57mmに次の砲弾が装填され、小気味良い振動が機体を揺らす。アレクシスがトリガーに意思を込めると、胸を揺さぶるような砲声と共に演習弾がターゲットに襲いかかり、胸部にピンクのペンキが花を咲かせた。
「命中!」
2発、3発、赤、青、黄色。発射されたペイント弾は吸い込まれるように全弾命中。全身に色とりどりの塗料を叩きつけられ、ターゲットはぐらりと倒れて大荒原の大地に沈んだ。
「よっし、全部ど真ん中だ! これでこの機体はいつでも戦場に出れる」
アレクシスはそう言って、足元の運転手席にいるナトカとハイタッチを交わした。
「ありがとな、明日はこの武装で、野盗どもに一泡吹かせてやるぜ」
満身創痍だったスーパージャグが、今再び戦闘機械として完璧な姿にまで蘇った。ナトカのお陰だ。するとアレクシスの脚の間から顔を覗かせていた少女は、不意にこんな質問を投げかけてきた。
「ねえレクシー、レクシーはさ、ウォーカーに乗る前って、どんな仕事してたの?」
アレクシスは間髪入れず、こんな答えを返した。
「エクストリーム自殺志願者だよ」
「……へ?」
「俺がお前くらいの頃にはさ、自分が世界一特別な人間で、そんな俺には何も努力しなくても超面白い人生が待ってるって思ってたんだ……それが違うって分かったのが、高校を卒業する間際になってからのことだ」
オーストラリアの青空をモノクロ映像で映し出すメインモニタを眺めつつ、アレクシスは語り始めた。
「小学生の頃夢だった正規軍のジェット機乗りになるには頭が悪すぎたし、俺の親父みたいにそれなりの金持ちになって美人の嫁さんを貰うにも、その時から努力したって遅すぎた。他にもなりたいモノはあったんだが、どこ行ったって俺より才能があって、俺より努力もしてる奴らが上にいたんだ」
ナトカはただ押し黙って、アレクシスの話に耳を傾けていた。コンソールパネルの片隅に鎮座するフラダンサーの人形を弄びつつ、なおも続ける。
「この先どう転んでもクッソつまらん人生しか待ってないから死のうと思ったんだ。でもただその辺の木で首吊って死ぬだけってのも、それこそクッソつまらん人生歩んできた奴のすることだろ? だから今まで誰も見たことのない、最高にヤバい死に方してやろうと思って、エクストリーム自殺の旅を始めたのさ」
「さっきから、そのエクストリーム自殺って何なのさ?」
率直な疑問をぶつけるナトカ。
「バックパック一つで紛争地帯のど真ん中をブラブラしてみたり、天下の公道で百ウン十キロ出してレースしてみたり、まあ色々だ」
オーストラリアに渡る以前、アレクシスの生活は荒れに荒れていた。先の見えない人生の不安を転嫁するように、違法な遊びに片っ端から手を出した。
「そうすりゃ、いつか死神サンが最高にクレイジーな死に様を俺に用意してくれるんじゃないかってな。その頃つるんでた奴らも、野盗の抗争に巻き込まれたり、軍隊の戦闘薬物に手を出したりしてポコポコ死んでった」
計器の縁を指でなぞりながら、数年前までの空虚な日々を思い出す。昨日一緒に馬鹿騒ぎした奴が、次の朝には死体になっているなんて事は日常茶飯事だった。
「でもな、不思議と死ねなかったんだよ。フロントガラス突き破って地面とランデブーした時も3針縫うだけで済んだし、コンピュータを崇めてる科学蛮族の連中に捕まったときも口八丁で逃げられた」
「それって、そこで死ぬのはレクシーの運命じゃなかった、って事じゃないかな」
いつも通り、飾らない口調で呟かれたナトカの一言に、アレクシスははっと目を見開いた。というのも、その一言こそアレクシスの人生を変えた一言だったからだ。
「そうだ、そうなんだよ! 旅の途中で会った奴に同じ事言われてさ」
当意即妙とばかりに手を叩き、宙を指差して返すアレクシス。
「俺はカミサマなんて信じてないけどさ、あれだけ馬鹿やって死ねなかったって事は……その、なんだ。つまり俺にはくたばる前にやるべき事とか、行っとくべき場所、会うべき人とかがまだあるんじゃないかって」
アレクシスはどこか遠くに想いを馳せながらそう言うと、スーパージャグの前面ハッチに手を伸ばす。モノクロ表示のブラウン管モニタは視界から消え、装甲板の合間から代わってオーストラリアの青い、本物の空が顔を覗かせた。
「思えば傭兵になったのも、その言葉を掛けてくれた奴のお陰だったな。俺の師匠みたいなもんだ。今頃どこで何してるかな……」
数日前のアレクシスが語った言葉は、この記憶再生劇場唯一の観客──消滅寸前のアレクシスの自我のカケラ──を大いに奮い立たせた。
(そうだ。俺にはまだやりたい事が山ほどあるんだ。今はまだくたばる時じゃねえ──)
人は、いつか死ぬ。ましてやウォーカー乗りの命の値段など、吹けば飛ぶほどのものでしかない。だが──やはり、今はその時ではない。ウィルと行きたい所や、ナトカに話してやりたい土産話がまだ山ほど残っているし、廃鉱山の野盗を退治した戦勝祝いだってまだなのだ。そして何より、今のアレクシスにはブチのめしたい相手がいる。エスタンジア正規軍──これ以上ないほど殴り甲斐のある相手を前にして、やり返す前に倒れるなど、アレクシスにとっては何より耐えられないことだ。
生への渇望が胸を満たすにつれて、アレクシス・ヘインズは徐々に思い出す。止まりかけていた心臓の鼓動を。四肢に暖かい血が通う感覚を。そして全身に浴びた金属片の痛みと、被弾の衝撃で挫いた手足の痛みと、爆音を至近距離で聞いたことによる頭痛と──
「痛ででででで! 痛ってえぇぇ──!! 何じゃこりゃ!!」
全身を稲妻のように走る激痛に思わず飛び上がる。──そう、飛び上がったのだ。確かな重力の感触と、青い機内灯に照らされた、見慣れたコクピットの風景がそこにあった。WCスーツはボロ雑巾のように引き裂かれ、全身から流れる血でドス黒く湿っていたが、とにかくアレクシスは人生終了の危機を脱し、何とか現実空間への帰還を果たした。ドクドクと脈打つ血管の感触に、煤煙とガソリンが混じった戦場の匂い。ああ、生きている。
「う、うわッ! 先輩生きてる!! なんで!?」
運転手席のウィルもWCスーツに返り血を浴び、緑と赤のダルメシアンのような愉快な服装で目を白黒させていた。
「なんだお前、生き返ったハナから失礼な事言う奴だな」
「だって、だって先輩、その怪我……!」
ウィルの両目は、涙で赤く腫れ上がっていた。華奢な両手にべったりと付着した血糊と、運転手席の足元に転がる止血帯、モルヒネ、消毒液といった応急処置用品の数々。アレクシスが記憶の狭間をさまよっている間も、ウィルがあらゆる手を尽くしていたことは明らかだった。
「あぁ良かった、良かった……! もう二度と目を覚まさないんじゃないかって」
「これくらい、かすり傷よ。ちょっと鎮痛剤を摂ればすぐ治る」
アレクシスは奥歯を噛み締めながら、精一杯の強がりで平常心を保ちながら答えた。ポーチから鎮痛剤の小瓶を取り出し、白い錠剤を一気に呷る。そして流れるような手付きで操縦桿に手を掛けると、足元のウィルに合図を出した。
「さぁ、やるぞ……! 第2ラウンドだ、準備はいいかウィル」
いつものウィルなら「今度こそ死んじゃいますって!!」などと喚いて必死に止めるところだが、小さな相棒は何も言わずアレクシスに従った。
そう、ここで終わるわけにはいかないのだ。機内に漏れ続けているガソリンのせいで頭がクラクラするが、今はそんな事に構っていられない。目の前の敵を殴り飛ばすのが先決だ。
ミスファイアを起こして咳き込みながらも、ソーダ・ポッパーのV10エンジンが夜に吼える。跪いていた鋼の巨兵が今再び、ゆっくりと立ち上がった。
「バカな!」
ヒロタのプロテクトラートが、腕部の丸鋸を展開させながら後ずさる。
「この……バケモノめ! 何故死なないんだ!?」
拡声器越しに喚くヒロタの反応も無理はない。全身を大小さまざまな弾痕に覆われ、機体の各所からは千切れた油圧チューブが作動油を垂れ流している。身体をゆらめかせながら立つ姿は、さながら幽鬼のそれであった。
「バケモノはバケモノらしく……地獄に帰りやがれッ!」
助走を付け、今度こそとどめを刺すべく斬りかかるプロテクトラート。しかし。
「なっ……!?」
回転ノコギリの刃がまさにソーダ・ポッパーの胸に突き刺さらんとしたその瞬間、手負いの獣はぬるりと攻撃を受け流す。まるで風にたなびく柳の枝のような、第2世代機にあるまじき有機的回避機動。
「よっし! いいぞウィル!!」
説明せねばならない。プロテクトラートの白兵攻撃が向けられたその瞬間、機転を利かせたウィルは一瞬、あえて機体のバランス制御を切ったのだ。ダメージを負っている機体はその瞬間体勢を崩してよろめき、結果として予想命中点を僅かに外したプロテクトラートの丸鋸はソーダ・ポッパーの装甲表面を撫でるだけの結果に終わったのだった。
ウィルの卓越した操縦技術で、即座に姿勢を立て直すソーダ・ポッパー。一方、攻撃を外したプロテクトラートは助走の勢いを一切減じることなく、ソーダ・ポッパーの位置を超えて走り抜けてしまう。急制動を掛けてようやく機体が停止したとき、プロテクトラートがいたのは貯水池の水際。もしここがコンクリートで護岸されていなければ、間違いなく膝まで湖畔の泥に埋まっていただろう。
「先輩!」
「よし分かった! 殺るぞ!」
二人にそれ以上の言葉は不要だった。背中を晒したプロテクトラートのもとに、決断的な足取りで駆け寄るソーダ・ポッパー。パワークローが大きく展開、コンクリートバンカーすら貫く油圧駆動の憤怒がプロテクトラートに襲いかかる。
「うおおぉぉッ!!」
そして、大荒原の夜さえ明かすような激突音がこだました。
装甲の薄い背部に向けた、猛牛の突進のごとき勢いのストレート。プロテクトラートの背部にマウントされていたエンジンに鋼の鉤爪が突き刺さる。無防備な瞬間を突かれたプロテクトラートは大きく仰け反り、両の腕を広げた姿で吹き飛ばされた。
「ぐあああぁぁっ!!」
裂けた燃焼室から炎が噴き出す。灼熱の軌跡を描きながら、10メートルの巨人が宙を舞う。燃料タンクが破裂し、着火したガソリンが機体の内部の隅々にまで行き渡る。
燃え広がる炎は、その手に握られていた37mm砲の弾倉にまで及んだ。引火した装薬が、プロテクトラートの右半身を爆風に飲み込む。残る左半身は空中でバレリーナのように回転し、二度三度と爆炎の花を咲かせながら湖面に叩きつけられた。おびただしい破片が、炎と煙の尾を引きながら飛散する。そして水柱と黒煙が晴れたとき、プロテクトラートの姿はどこにもなかった。
「はぁっ、はぁっ……やったぞ、俺はやったぞ」
ソーダ・ポッパーの砲手席から、敵の姿を見下ろすアレクシス。水面を覆う大小の金属片と、血のように滲んだオイルの膜だけが、ここにもう1機のウォーカーがいたことを示していた。もう二度と浮かんでくるまい。
今度こそ、終わりだ。全身から力が抜けていく。敵を討ち果たした心地よい満足感に満たされ、アレクシスは砲手席の背もたれにその身を預けた。肩で息をしながら、戦闘室の天井を見上げる。
さあ、帰ろう。ナトカを連れて。
ウォーカー名鑑番外編 #8
ウォーカーと水上戦
ウォーカーにとって水場は相性の悪い戦場である。砂浜や沼地などの軟弱地では脚部が地面に埋まってしまう危険がある(フットパーツにかんじき状のアタッチメントを装備することである程度は予防可能)ほか、腰より高く水に浸かった状態での歩行は歩行装置のバランスを損ない、直ちに転倒する恐れのある危険な行動であるとされる。この弱点を克服するべく、水密構造とシュノーケルを装備した水中用ウォーカーや、着脱式のフロートを搭載した上陸作戦用ウォーカーなどが試作されたが、本格的な量産にまで至った例はない。
したがって、水場はウォーカーにとって完全にアウェーの戦場である。転倒事故や敵の攻撃などでウォーカーが水没した場合、パイロットの生存率は2割を切るとされる。水の抵抗や浮力による操作感覚の違いから姿勢を立て直せず、また水圧でハッチが押さえつけられるため機体を捨てて脱出することもできず、浸水する機内で緩やか、かつ確実な死を迎えるのだ。




