1-11 幕間(2)
ぽん、ぽぽん。晴れ渡るオーストラリアの空にこだまして、西の空から花火大会のような、或いはポップコーンが弾けるような音色が響く。ジャンクヤードの真ん中、西日が差し込む小さな小屋にたった一人、穴の空いたソファーの上で午後の惰眠を貪っていた少女が目を覚ます。彼女の名はナトカ・ロイセウィッチ。
(んぁ……この音、そうか。レクシー達はもう戦ってるんだ)
断続的に鳴り響く軽快な破裂音の正体をナトカは知っていた。ここから30キロほど離れたシルバートンから、砲撃音だけが戦闘の始まりを知らせているのだ。つい先日彼女が出会った二人の傭兵、アレクシスとウィルの二人は今頃、戦火の只中にいる。
(あたしが整備したウォーカー、ちゃんと役に立ってるかな……)
今身につけているパーカーとショートパンツも、ソファーの足元に転がされたOD色のポーチも、それから机の上に置かれた錠剤の瓶も、一昨日アレクシスと一緒にシルバートンから持ち帰ってきたものだ。戦う術を持たない彼女にはただ、彼らの無事な帰還を祈ることしかできない。
ふと見上げると、埃の積もった壁掛け時計は午後4時過ぎを指しており、ナトカは今日の昼の分の薬を飲み忘れたことに気付いた。今日からまた飲み始めようと思っていたのに。とはいえ、ここ数日は一錠も口にしていないのだから、もう一日くらい抜いたところで大した違いはないような気もする。
茶色い薬瓶を手に取り、しげしげと眺める。「おとーさん」がくれた薬。怒りに任せて家を飛び出したあの日、着替えやお菓子より先にリュックに詰め込んだ薬。渡されるときにはいつもラベルが剥がされていたので何という薬なのかは知らないが、そこらの薬局の棚に並んでいるような代物ではないとは聞かされていた。
物心がついた頃からずっと飲み続けてきたナトカにとって、この錠剤は兄弟のようなものだ──友達は選べるが兄弟は選べない、という意味で。服用するたびに強烈な眠気を誘ってくるこの薬のことが、ナトカは大嫌いだった。アレクシス達のウォーカーを修理している間は薬を断って、その分起きていられる時間を増やしていたのだ。とはいえ、こんな無茶を続けていては睡魔よりもっと恐ろしいものがやってくるということも、彼女は重々承知だった。
11歳の誕生日に彼女は初めて、自由に動く身体と、人間としての意識を手に入れた。つまり、先程の「物心がついた頃」というのも、ナトカにとってはほんの3年前のことになる。それまでの記憶は何一つとして残っていないが、その日目覚めるまではずっとベッドの上で、点滴と流動食で命を保っていたというから、きっと覚えていたとしてもどうしようもないだろう。
生まれてから一度もベッドから出たことのない娘を目覚めさせるため、とある企業の研究員だった父、アダム・ロイセウィッチがあらゆる科学的手段を講じたことと、娘のことに熱を入れすぎるあまり研究所を辞めさせられ多額の負債を抱えてしまったこと。それから、愛想を尽かした母親が姉を連れて出ていったことは、父親から聞かされている。これらの出来事は全てナトカが「目覚める」前に起きたことなので、彼女は父親以外の肉親の顔を知らない。そして今でもナトカは、父親にもらった薬を飲み続けなければ、3年分の記憶から手足の動かし方まで何もかも忘れて、元の植物人間に戻ってしまうのだ。少なくとも父はそう言っていた。本当かどうかはナトカ自身にも分からないが、まさか試すわけにもいかない。
ナトカが目覚めて以降もアングラ研究者として独り研究を続けていた父はある日、大手のパトロンが付いたと言って大層喜び、珍しいことに街でケーキを買ってきてくれた。まだ子供のナトカまで出稼ぎに出てようやく暮らしていけるような、決して裕福とは言えない家庭にも関わらず。有名店のものだという、金粉が散らされたチョコケーキを見たとき、素直な喜びよりも先に「このケーキ、あたしが毎日やってる廃品回収の給料何日分だろう」という冷めた感想が浮かんできたのを覚えている。だが、ケーキの件は単なる序章に過ぎなかったのだ。
その日からというもの、ロイセウィッチ家は見違えるように裕福な暮らしを送るようになっていった。だだっ広いばかりで荒れ放題だった家の敷地には新しい研究棟やガレージが建ち、研究材料だという珍しい品物が続々と運び込まれてきた。見たこともない実験試薬に、旧世界で作られたデジタル機器、それから──軍用グレードの真新しいウォーカー達。父が許してくれる時に限ってだが、ナトカもこれらの珍しい物品を手に取って触るようになった。目覚めて間もない彼女の柔軟な頭脳は、初めて見る物品にも一切の拒絶反応を見せず、目で見た全てを知識として吸収していった。ウォーカーの基本構造と整備手順。旧世界製の電子計算機の扱い方。父の持ち込むガジェット達が、ナトカの初めての親友になったのだ。それがあまりに楽しかったから、彼女は父の新しいパトロンが誰なのか、そして父は何の研究でここまでの待遇を勝ち取ったのかといった大人の事情など一切考えずにいられた。だからこそ、ある時父が机に置き忘れた書類にそのパトロンの名を見つけたとき、彼女は大きく動揺した。
エスタンジア帝国。
ナトカは、政治を知らない。だが、歴史なら本で読んだことがある。エスタンジアが世界統一戦争を起こす前、この地球は電子ネットワークに覆われていて、過去の人々はデジタル制御の楽園で暮らしていた。もしエスタンジアがその世界を終わらせていなければ、今頃人間は月や火星にだって住めていただろうと、本には書いてあった。エスタンジアはそんな旧世界のテクノロジーを徹底的に回収、また回収できないものは完膚なきまでに破壊し、人類を鉄と木とディーゼルエンジンの石器時代に再帰させた。回収された旧世界の遺産がどこに行くのかは誰にもわからない。大好きだった父親がそんな集団に見初められていたと知ったとき、その感情を表現できる語彙をナトカは持っていなかった。
エスタンジアの軍服を着た大人達が家を訪れ、父を連れて行ったのはそれから程なくしてのことだった。一緒にエスタンジア本国に行って不自由なく暮らそう、と父が手を取ったが、ナトカはその手を振り払った。生み出されて3年目の「ナトカ・ロイセウィッチ」という自我が、初めて人を拒絶した瞬間だった。大人達の静止を振り切って自分の部屋に駆け戻り、鍵をかける直前に扉越しに一瞬目が合った──それが彼女と父との別れとなった。
我を忘れていたので、その後のことはよく覚えていない。気がつくと彼女は大荒原の真ん中に佇んでいた。父の仕事用ガレージにいつも停めてあった、エスタンジア製の軍用ウォーカーに乗って。それからの顛末は、アレクシスと初めて会った日に話した通りである。父が本当にエスタンジアに行ったのかは知らないし、今となってはどこにいるのか確かめる術もない。
「──ッ!」
バネ仕掛けのようにソファから起き上がり、枕代わりにしていたクッションを窓ガラスに叩きつける。ナトカはようやく、とりとめのない思索の袋小路から抜け出した。
まだほとんど中身が減っていない薬瓶の蓋を乱暴にこじ開け、今日の朝昼2回分の錠剤を水も飲まずに一気に飲み込む。それからナトカは、ガス欠を起こしたウォーカーのような所作で再びソファに倒れ込むと、枕元の賢い電話を手にとってゲームアプリを起動した。
こうして20分もしていれば、いつものように薬の副作用が彼女を速やかな眠りへといざなってくれるだろう。父のこと。エスタンジアのこと。考えたってどうしようもないことを思い出して悩んでいるくらいなら、その分の時間を睡眠時間の足しにしてしまったほうがよほど有意義だ。人生経験3年あまりのナトカでも、それくらいのことは知っている。一人きりの小屋で、程なくして彼女は再び眠りの世界への旅を再開した。
ナトカが2度目の眠りに就いた頃、所はシルバートン鉱山。撃墜された偵察機が残した黒煙の航跡を見上げるアレクシス・ヘインズの傭兵部隊。どこから、何が撃ってきたのかは分からない。荒野の果て、索敵範囲外に潜む未知の敵。対空射撃で索敵手段を潰した後、次に飛んでくるのはこちらを狙った水平射かもしれない。建物や地形の陰に身をかがめる味方と、その出方を伺う敵機。先程までと打って変わって、戦場は不気味なまでの静けさを湛えていた。
「僕達としたことが、こんな教科書通りの陽動に引っかかるなんて……」
「ハマったモンは仕方ない! 今は次の手、ここからどうやって勝つかを考えるんだ」
二人の駆るスーパージャグは今、すり鉢状の鉱山の外縁に建てられた古い廃倉庫に身を隠している。恐らく、かつて採掘用の重機を格納していたものだろう。ここなら谷底の敵ウォーカーからは勿論、仮に敵が航空機を使ってこちらを偵察していたとしても見つかることはない。作戦をまとめ直すには最適の場所だ。
「スーパージャグより各機へ、状況を報告せよ!」
被弾でずれたインカムを改めて被り直し、2機の僚機に無線を飛ばす。
「スリーサム・ジョージ、被害ありません。採掘機械の陰に隠れています」
「サンドスコーチャー、坑道の出入り口に潜伏中。敵の出方を待つ」
つい先程偵察機を撃ち落とした火砲の詳細、そして野盗にしてはいやに動きの良い敵の正体が掴めていない以上、今下手に攻勢を仕掛けるのはまずい。とはいえ、こうして隠れ続けているのは一時しのぎの策でしかない。何か手を打たねば。
「各機、あー……」
「シッ! 静かに」
アレクシスの言葉を遮ったのはサンドスコーチャーのパイロットだった。野火の匂いを探知したディンゴのような声色。
「俺が隠れた坑道の奥、どこかから音がするンだ。この音は……エレベーターか!?」
「この鉱山施設は、確か数十年前に廃鉱になったと聞いていますが」
疑問を投げかけるのはスリーサム・ジョージ。地上に残された採掘施設の荒れ具合からしても、地下坑道の電源が生きているとは到底思えない。
だが、サンドスコーチャーの感じ取った気配は本物だった。谷のそこかしこに穿たれた横穴。閉山の際に打ち付けられていたバリケードの一つが内側から破られ、土煙がもうもうと立ち上る。サンドスコーチャーが潜んでいる坑道から谷を挟んで対面だ。
「ほら来やがッた、お客さんだぜ! 各機警戒!!」
サンドスコーチャーの通信を受け、アレクシスはすぐさまハッチから身を乗り出した。倉庫の窓越しに双眼鏡を構え、土煙の上がった方向を遠巻きに観測する。スモークスクリーンの向こう側から現れた「それ」を視界に捉えた瞬間、全身の筋肉がこわばるのを感じた。
「ウィル! 戦闘態勢だ、いつでも出れるように構えてくれ」
機内に帰還したアレクシスはその一言だけを告げると、再びメインモニタに向き直る。少しばかりの、死に対する本能的な恐怖心とともに、大量のアドレナリンが血中に流れ込んでくる。
「先輩! 何を見たんです!?」
いつにない切迫した声色のアレクシスを心配してか、ウィルの瞳がアレクシスをじっと見つめる。
「ウォーカーだ! 第2世代が2機──それと、第3世代を1機連れてる」
「だ、第3世代!? じゃあ、僕達が戦ってたのってまさか──」
地の底から現れたそのウォーカーは、いずれも傷一つない新品だった。サンディブラウンとダークグリーンの2色迷彩に統一され、肩には揃いのフォントで機体番号がマーキングされている。工場純正品のエスタンジア製第2世代ウォーカー、「ラインゴルト」が2機と、この場にいる誰もが見たことのない未知の第3世代ウォーカーが1機。この統一感、そして第3世代機の存在。間違いなく傭兵でも、ましてや野盗でもない。
両脇に護衛機を従えた第3世代ウォーカーが、側頭部に据えられた拡声器の電源を入れた。空間そのものに爪を突き立てるようなハウリングノイズが静寂を切り裂いた後、その機体のパイロットは傭兵達に向かって言葉を投げかけた。
「聞け! 傭兵よ、直ちに武器を捨てて投降せよ。我が軍の火砲が貴様達を射程に捉えている」
この装備、この語り口。誰も言葉には出さなかったが、一行は既に相手の正体に気付いていた。野盗をけしかけて傭兵団をここに誘い込んだのも、恐らくは彼らの仕業か。野盗の操り主。アレクシス達が戦っていた真の相手。
「我々は──エスタンジア国防軍だ!」
ウォーカー名鑑 #7
松井製作所 フェンサー2000RS改"サンドスコーチャー"
フットパーツの代わりに巨大な転輪を装備した、半装脚車と呼ばれるタイプの機体。軽量級ウォーカーによく似ているが、脚を上げて歩行することができないため厳密にはウォーカーではなく装輪車両に分類される。
このタイプの機体はまだウォーカーの歩行技術が未発達だった黎明期に、ウォーカーの走破性と車両のスピードを併せ持った兵器として開発されたが、平地・不整地問わずそれなりの速度で移動できる第2世代以上のウォーカーが登場すると徐々に戦場から姿を消していった。ただし軽量級ウォーカーが完全に半装脚車のニッチを奪ったかというとそうではなく、現在では快速と航続距離の長さを活かし、長距離偵察や後方撹乱といった特殊任務用として新たな地位を得ている。また軍用以外では半装脚車限定のラリーレースが人気を博すなど、競技用機体としても注目を集めており、メーカーの技術力を示すための高級高性能機の新規開発も盛んなようだ。
この「サンドスコーチャー」はレーシングマシンとして開発された名機「フェンサー」をベースにオフロードチューニングと戦闘用の武装を施した機体で、高炭素鋼製のマシェットを主兵装に据えている。通常のウォーカーではどうしても重心制御が煩雑になるため格闘武器は実用品として見られておらず、どちらかというと興行としての格闘試合用か示威目的の装飾品としての扱いを受けているが、そもそも歩行を行わない半装脚車との相性は抜群。「砂漠のスピード狂」を意味する機体名の通り、猛スピードで敵に突撃しすれ違いざまに斬り捨てる戦法で、これまで数多くの敵を葬ってきた恐るべき機体である。
全高: 9.75m
全備重量: 約22トン
発動機: クリーヴランド320-T 液冷V型8気筒ディーゼルx2
最高速度: 68km/h
装甲: 強化樹脂製カウリング+セラミック製追加防弾プレート、最大25mm
固定武装: なし
携行武装: コールド・ブラッド ハイカーボン・リーコン・マシェットx1
グレンジャーM12A4 20mm連装コンパクトカービンx1
乗員: 2名




