6話
日曜日の夕方、発着ドックで待っていた渚珠のもとに美桜が母親に荷物を持って貰いながらやってきた。
「よろしくお願いします」
やはり、初めて外に出るとなれば、緊張もしてしまうだろう。
「大丈夫だよ。ずっと一緒だしね」
「この子は本当に外でものが言えないところがありますから、遠慮なく言ってくださいね」
「はい。任せてください」
二人になって出発ロビーで船を待つ。美桜に言わせれば、これまでと客層が変わったと言う。やはりコロニーが閉鎖されるという事情もあり、早々と移住先を決められた住民が移住を始めているようだと。
「緊張しちゃう?」
「はい……。でもすごく楽しみな自分もいます」
美桜もそのうち、この中に混じることになる。この旅の成果によって行き先が変わる可能性もあるとなれば、初めてのアクトピア行きという事情以上に緊張してしまっても仕方ないと渚珠も考えていた。
「うん、それでいいと思うよ。はい、今回のチケットね。帰りの分はまたその時に渡すから」
これまで、コロニーのあるL1地区のローカル線しか利用したことのない美桜。各ポートの環境の違いから、遠距離フライトについてはオンラインではなく、今でも紙のチケットが発行される。
全行程が印字された最後の行き先は、ALICEと記載されていた。
「さぁてぇ、しばらくはのんびりだよぉ」
初めての長旅ともあって、個室を用意しておいてくれたと美桜が知ったのはもっと後になってからだ。
「あの……。こんなこと聞いて変かもしれないですけど……」
「なぁに?」
「渚珠さんが初めてルナを出たときも、こんな緊張してましたか?」
「うーん、どうだろぉ。わたしの時は、所長見習いって役目は緊張していたけど、アクトピアにはずっと行きたかったからねぇ、見るものみんな初めてだし。むこうに着いたら、そんな緊張はみんな吹き飛んじゃうよ」
道中、渚珠は仕事の話はしなかった。それも彼女なりの心遣いなのだろう。
美桜にとっては、当然初めての場所での生活。これまでのコロニーの生活環境は、いわばアクトピアの環境の一部を移植したものだ。
「いろいろ最初は失敗したけど、今はそれで普通になっちゃったし、そのくらいでどうこう言うみんなじゃないから」
渚珠のアクトピア講座のおかげで、軌道上の乗換えまでの1日はあっという間に過ぎてしまった。
「ここからの眺めはわたしも大好きなんだぁ」
軌道ステーションは静止軌道にある長期滞在型の施設ではなく、約90分でアクトピアを1周する。その軌道は24時間あればほぼ全ての地域を網羅できるため、ここでは各ポートへの最短経路のために船の出発時間を調整する施設だ。
「私も、資料映像でしか見たことがないです」
美桜のL1コロニーから、このアクトピアを見たときでも、周囲の点に見える星々よりはるかに大きく見えるこの青い星。その表面に浮かぶ雲や、表面を覆う薄いヴェールのような大気に溶け込むように沈んでいく日の入りは実際に見た者でないとその感動は伝えられないだろう。
二人は無言のまま、その景色を見ていた。
「渚珠さん、私はこの星に来ていいんでしょうか?」
夜のエリアに入ったため、見慣れた星空の窓から離れた美桜がつぶやく。
「どうして?」
「この一週間、私なりに調べてみたんです。私たちは、この星を見捨てて逃げ出したんですよね。それなのに、私がまたここで暮らすために入ることが許されるのか……」
L1コロニーの資料館に保存されている過去の資料を見た美桜は複雑だった。
「わたしもね、最初そういう気持ちがあったよ。でもね、美桜ちゃん、あそこにはあなたを待っている人がいる。大丈夫。わたしが証明してるじゃん」
「はい……。話を聞けば聞くほど、本当に役に立てるのか自信が無くなっちゃって」
そんな話をしながら二人がロビーに着くと、係員がなにやら深刻そうな話をしている。
「何かありました?」
「あ、松木所長。困りましたねぇ。第4ハブに降りる便が遅れていて、そのままだと乗り継ぎの船に間に合わないんです」
他の乗客はそれでも構わないらしいが、二人はそこでもう一泊というわけにいかない。
「あれぇ。珍しいなぁ……。じゃぁ直接降りようか。回送するボートあったりしますかぁ?」
「小型機があるんですが、パイロットがいないもんですから」
「わたしが自分で操縦しますよぉ」
その申し出に、係員たちも顔を見合わせる。
「い、いいんですか……?」
「その代わり、着替えないとね」
一応、個人ではこの大気園突入という危険な行為を禁止されているので、渚珠も制服に着替えて仕事中という形にするという。
「やっぱり、着替えると『渚珠さん』ですね」
「中身は変わらないんだけどねぇ」
ネームプレートのIDをスキャンして、立ち入り禁止区画に入る。
案内されるがまま、格納庫に向かうと、1機の飛行艇が用意されていた。
「これで大丈夫ですか? どこみち、これは弥咲さんのところにもうすぐ整備に入れる機体なので……」
「じゃぁ、ちょうどいいねぇ。じゃぁ、美桜ちゃん、すぐに出発だよぉ」
突然の展開に目を白黒させている美桜に二人ぶんの荷物の積み込みをお願いして、機体の点検を終わらせた渚珠がコックピットに座る。
「渚珠……さん……?」
「大丈夫だって。ここまで来ちゃえば着いたようなもんだよぉ」
そう、渚珠にとって船の操縦は特別な話ではない。松木渚珠の名前を美桜の脳に焼き付けた、連絡船遭難事故でさえ、最後の瞬間に操縦桿を握っていたのは彼女だったから。
『松木キャプテン、便名はどうしますか? パーソナルコードで行きますか』
スピーカーから管制室の声が聞こえる。
「そうだねぇ。いつもので行きます」
『了解』
ゲート前に表示されているパネルにAL9973便と表示された。
「一応ねぇ、星間移動になっちゃうからねぇ、便名が付くんだなぁ……」
コックピットでも渚珠が次々とチェックを済ませていく。
「管制さん、9973便準備出来ました」
『了解です。エアロック開けますので、この後は外には出ないで下さい』
船外の気圧表示がどんどん下がっていく。0になると目の前の扉が開いた。
「出ます」
ジェットを軽く一吹きして、ゲートから外に出す。
美桜が時々通っていた無重量ルームどころではない。小さな船の外は何もない星空が広がっているだけだ。
「最初はちょっと慣れないよね。この機体は練習機だから小さいけど使い慣れているし」
すぐに戻れる位置で最後の確認を済ませる。
「チェック終了。異常なし。離脱します」
『お気をつけて』
「しゅっぱぁつ」
これまで頭上に見えていたアクトピアの青が正面に見えるようになった。
『もぉ、渚珠ちゃん?』
すぐにスピーカーから別の声がした。
「凪紗ちゃんだ。おはよぉ」
『おはよぉじゃないでしょ。この便名見たら焦るじゃない!』
「そう? コースはいつものでいい?」
『はいはい。まっすぐ降りてらっしゃい。みんな待ってるよ。あ、美桜ちゃん聞いてる?』
「は、はいっ!」
『隣の無茶なパイロットさん、見た目は頼りないかもしれないけど、実力はアクトピアのトップだからね。機内食は食べる時間もないからこちらに着いてから用意しますって』
「わ、わかりましたぁ」
ようやく状況が分かって緊張もほぐれてくる。
無駄なお喋りをしているように見えながら、画面上には次々にコースの設定項目が送られてきていて、いつの間にか準備が整っていた。
「凪紗ちゃん、ウィンドウまで30秒」
『了解。お昼の用意させておくよ』
通信が切れて、カウンターが0になると操縦桿を倒した。
美桜が心配になって力が入るほど、みるみる高度が下がっていくのが分かる。
「本当はねぇ、普通の連絡船はもっと速かったりするんだよ。窓を閉じちゃったりするのはそういう時なんだよねぇ」
「あの……、さっき凪紗さんが言っていた、便名ってのは?」
「あぁ、このAL9973って、わたしだけが使える番号なんだよ。この間の事故の時みたいに、どうにもならないときの救援とかに使うの。だから、この番号を見たら誰だかすぐに判っちゃう」
「えぇ……?」
「知ってるよぉ。お医者さんで山野美桜ちゃんて言ってみたらみんなの反応がすごかったぁ」
その時のことを思い出したようで、くすくす笑い出す。
L1コロニーが生み出した奇跡の天使と言われる美桜が合同説明会に出ていたことが広まっていたらしく、どこの病院に就職したのか、医療関係者は見守っているそうだ。
「だから、わたしもプレッシャー感じてる。美桜ちゃんはALICEでなくても、きっと条件よく採用してくれるはず。うちを気に入ってもらえればいいけれど……」
やはり同じような話はどこにでもあるのだ。松木渚珠をはじめとするALICEのメンバーのネームバリューはそれぞれの関係者にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。
「そんなに心配しなくても……、きっと大丈夫だと思うんだ……。絶対とは言えないけど……、きっと……」
「うん。ありがとう。さぁ大気圏に入るよぉ。揺れるけど心配ないからね」
言い終わる前から、とたんに下から突き上げるようなショックが伝わってくる。
漆黒に光の点が散らばっていた窓の外には、薄紫色のベールがかかり、徐々に赤みを増してきた。
初めての大気圏突入、しかも連絡船ではなく小型の船という状況に美桜は覚悟をしていたのだが、聞いていた様子と全く違っていた。小型の高速船ほど揺れると、友人たちや兄からも聞かされていたのだが、不安になるような振動も無かった。
横では計器を見ながら、小刻みに操縦桿を調整する同い年のパイロット。
先ほどの無線での会話を思い出す。こういうことに素人な自分にも分かる。確かに彼女の腕は誰もが認めるところなのだろう。
「よぉし、抜けたぁ」
3分ほどで窓の外の炎は消え、藍色の空が頭上にあった。横を見ると、翼の先端から薄らと煙のような物が出ていたけれど、たまたま水蒸気の多い所を高速で通り抜けただけだと渚珠が笑って落ち着かせてくれる。
さらに視線を下ろすと、眼下にはこれまた紺色から薄い水色まで様々な色調の海が広がっている。
「うわぁ……本当に青い……」
それ以上の声が出ない。偶然にも、今回のルート上には雲が全くなく、これまでも何度となく同じように飛んでいる渚珠にしても理想とも言える景色だ。
「今日はよく見えるねぇ。カメラ回しておきたかったなぁ」
徐々に高度を下げていくにつれて、空の色が薄くなっていく。
着陸用の車輪を出した影響での風切り音が緊張感を盛り上げてくる。
「ALICEポート、着陸許可お願いします」
『9973便、滑走路09番への進入を許可します。風が進行2時方角から3メートル。支障があるほどではありません』
「了解。緩い南風かぁ。あと3分」
コバルトブルーの海面の先に四角い路面が見えてきた。
『渚珠ちゃん、割りこみごめん!』
「弥咲ちゃん、なにぃ?」
『その機体、メンテナンスに入れるから、そのまま事務室前まで持ってきちゃって』
「はぁい。最終アプローチに入りまぁす」
これまで美桜が体験してきたポート到着は、スピードを落として最後にドッキングで終了という方法だから、スピードに乗りながら滑走路に降りるのは当然初めてだ。
そんな彼女でも恐怖はほとんど感じられなかった。
浅瀬になるに従って海の色が変化し、最後には灰色の地面になった。ほとんどショックもなくふわりと着陸して、逆噴射は使わずに穏やかに減速していく。
「美桜ちゃん、お待たせでしたぁ」
無線で言われていたとおり、建物の前まで近づくと、同じ制服姿の少女が出てきた。
彼女は機体誘導用のパドルを両手に持っていて、渚珠はその動きで船を停止させた。
「はぁい。もうベルト外していいよぉ」
タッチパネルの計器とエンジンのスイッチを止めていき、ハッチを開いた。
「うわぁ……」
初めて感じる風と潮の香りに思わず美桜の声が漏れる。
「お疲れさまでした。ALICEポートへようこそ」
『ここがいい』
両手を生まれて初めての青い空に伸ばして、美桜はそよ風に吹かれながら心の中で頷いていた。




