第39話 リハーサルと未明の故障
九月一日、午前二時。辰巳岬の空は、まだ深い藍に包まれていた。
灯台の投光器が、薄明の朗読会に向けた最終リハーサルの準備で点灯していた。だが――
「……あれ? おかしい、光が切れてる」
点灯直後に、灯台の一基の投光器が、まるで寿命を迎えたかのように沈黙した。
「亮汰、上部の電源チェック頼める?」
理央の指示が飛ぶ。彼女は赤ペンではなく、懐中電灯とノートPCを手にしていた。
「任された!」
亮汰は脚立を抱え、夜露に濡れた足場をものともせず、躊躇なく灯台の壁際へ走った。
祐介が後ろから追いつき、腕をつかんだ。
「ちょっと待て。夜露がすごい。滑るぞ」
「でも今直さないと明朝の朗読会、光が足りない!」
亮汰の表情は真剣だった。普段の無謀さとは違う、確かな焦りがそこにあった。
「……わかった。俺が下で脚立支える。お前は登るとき、絶対に左手は空けとけ」
「了解!」
懐中電灯の光が揺れる中、亮汰は投光器の裏面に手を伸ばす。
雨ざらしになっていた電源ケーブルの一部が、露出していた。
「被膜、裂けてる! 理央、テープと絶縁コネクタ、ある?」
「倉庫に保管してた……亜梨沙、取ってきて!」
「行ってくる!」
亜梨沙は長靴を履き直し、小走りで暗闇の中へ消えていった。
脚立の上で、亮汰は風を避けるように肩をすぼめながら、必死に修理ポイントを押さえていた。
「志歩、スマホのライトでこっち照らしてくれ!」
「はいはい、ただし脚立から落ちたら今日の主役は私になるからね」
志歩は照らしながらも冗談を交えて応援する。
数分後、息を切らせて戻ってきた亜梨沙が、懐中電灯と絶縁テープを手渡した。
「テープ、湿気で滑りやすいわ。貼るとき、乾いた布で周囲を拭いてから!」
「了解!」
手元に明かりが集まり、全員が一丸となって投光器修理に集中する。
亮汰が慎重にケーブルを巻き、最後に絶縁処理を終えたそのとき――
「……点いた!」
深夜の空に、一筋の白光が灯台から放たれた。
未明の静寂を切り裂くように、灯が岬の海面を照らす。
誰もがその光に、しばし息をのんだ。
亮汰は脚立を降りながら言った。
「……こけら落とし前に、まさかこんなドラマが来るとはね」
理央が少し笑って答えた。
「まだ終わってないわよ。朗読会は、明け方」
祐介は腕時計を確認しながら言った。
「あと二時間。休めるのは今だけだ」
六人はそれぞれ、小さくうなずいた。
灯台の光の下で、今夜だけは静かに肩を寄せ合いながら、次の朝を待った。
午前三時半。潮の香りと、草の湿った匂いが立ち込める辰巳岬。
灯台の周囲には、白布の椅子、簡易ステージ、スピーカー、ケーブルの束が静かに設置されている。
「……よし、音響、もう一度チェックしよう」
樹がポータブルマイクを手に取り、朝焼け前の空に向かって声を放つ。
「こちら、辰巳岬灯台。夜明け朗読会、準備中。応答願います」
祐介がスピーカー側の調整をしながら、手を挙げた。
「音量、良好。風切り音も問題なし」
理央は資料ファイルをめくりながら、明朝の進行台本を再確認していた。
「ほんとに……やるのね、私たち」
志歩がぽつりとつぶやいた。灯台を背にして海を見つめるその横顔は、どこか浮かれた様子でも、寂しげでもあった。
「最後まで、ちゃんと仕上げるぞ」
亮汰が拳を握って言った。派手さはないが、芯のある声だった。
「……あ、日の出予測、あと五十分」
亜梨沙が手帳を確認しながら、静かに告げる。
誰も声を出さないまま、深くうなずいた。
準備は、終わった。
静寂が戻った岬で、それぞれが椅子に座る。
誰が言い出したともなく、灯台を仰ぎ見た。
高くそびえる白い塔。
さきほどまで不安と焦燥に包まれていた場所は、いまや凛とした存在感で、彼らのすべてを受け止めていた。
「……樹」
理央が、ゆっくりと言った。
「この光、ちゃんと誰かに届くかな」
「届くよ。絶対に」
彼は言い切った。
「俺たちの言葉も、この光も、未来の誰かにとっての“きっかけ”になる。そう信じてここまで来たから」
言葉に嘘はなかった。
悩んで、叱られて、転んで、笑って、信じて――
それでも進んできた六人の思いが、この場所にすべて詰まっていた。
「……朗読の原稿、最終確認しとく?」
志歩が笑いながら尋ねると、樹はかすかに首を振った。
「いや。もう読める。声じゃなくて、心でな」
灯台の灯は、眠る海を静かに照らしていた。
朗読会はもうすぐ始まる。
そしてそれは、終わりではなく、新しい朝への――始まりだった。




