第38話 志歩、模倣を超える夜
八月三十一日、深夜一時。港町のバー「パール」には、いつもより静けさがあった。
常連の酔客たちが一人、また一人と店を出ていく中、志歩はカウンター奥の照明を少しだけ落とした。
「……今日は、読みたいものがあるの」
そう切り出した志歩に、バーテンダーが頷いた。
手元のマイクが静かに差し出される。
「模倣じゃないの?」
いつもなら誰かの詩、ネットで見つけた誰かの言葉を引用するのが志歩のスタイルだった。
「違うの。ちゃんと、自分で書いた」
言い終えてすぐに、少しだけ頬を赤らめた。
その表情に驚いたのは、他ならぬ志歩自身だった。
胸に手を当てる。心臓が早鐘を打つ。
まるで、舞台の袖で立ち尽くしていた昔の自分が、今ようやく一歩を踏み出したようだった。
店内に流れるジャズがフェードアウトし、スポットライトのような明かりが志歩を照らす。
彼女は手に持った小さな紙を見下ろし、ゆっくりと読み始めた。
――
「さよなら、まねっこ
さよなら、借り物の私
あなたが笑った言葉を、
私は何度も口にした
あなたが泣いた映画で、
私も同じ涙を流した
だけど今日、
私は自分の声で話す
自分の足で立つ
私の目で見た、
潮風と、光と、仲間たちの姿を
誰かの言葉じゃなく
私自身で伝えるために――」
――
詩が終わった瞬間、店内にしんとした静寂が降りた。
拍手は、数秒遅れて始まった。
一人、また一人と手を打つ音が重なっていき、やがて暖かい輪になって志歩を包んだ。
バーカウンターの奥で、常連客の一人がつぶやいた。
「いつもと、違うな」
「うん。今日の志歩は、志歩だった」
スポットライトの中、志歩は一人微笑んだ。
模倣癖。それは確かに自分の一部だった。
でも今は違う。自分の言葉で、人の心に届いた。
その実感が、胸の奥で小さな光を灯していた。




