第31話 仕上げ塗装の日差し
(01/02)
八月五日、潮崎の空は、まるで海面に描かれた水彩のように澄み渡っていた。
朝七時、辰巳岬に白い軽トラックが次々と集まる。渚工務店の職人たちのトランシーバーからは、塗料の調合に関する短いやり取りが飛び交っていた。
「じゃあ、今日は“本塗り”ってことか」
亮汰がペンキローラーを手にし、誇らしげに回す。
「本塗りだろうと“安全第一”は変わんないから。二段脚立での作業は、必ず声かけ合って」
亜梨沙がチェック表を広げたまま、彼をにらんだ。
白いヘルメットにマスキングテープ、ロングスリーブの作業服。市の許可が降りた“仕上げ塗装の日”が始まった。
「これって、見た目以上に地味な作業なんだね……」
志歩は養生テープを何度も貼り直しながら、灯台の縁取りを整えていた。
「でも、手を入れれば入れるほど“自分たちの灯台”って感じ、するね」
理央が刷毛を動かしながら、ぽつりと漏らした。
それを聞いた樹は、足場の一番下でローラーに塗料を含ませながら、思わず手を止めた。
「……そうだな」
これまで何十回と繰り返してきたこの場所への往復。作業のたびに少しずつ変わっていく灯台の姿が、彼の中に静かな達成感を芽生えさせていた。
「祐介、ローラー持っていって」
「了解」
祐介は、足場の中段へ慎重に登っていく。鍛えられた脚力は、もはや市民ランナーの域を超えていた。
「そういえば……この塗料、UV加工入ってる?」
「入ってる。理央が『海辺は塩害だけじゃなく紫外線もある』って」
「さすが、細かい」
亮汰が苦笑しながら頷いた。
風が少し強まった。太平洋の潮の香りが混ざった空気が、ひときわ濃く吹き抜ける。
「あっ」
志歩がテープの端を取り落とし、風にあおられた。
「待って!」
それを追いかけた亮汰が、足場から少し身を乗り出した瞬間だった。
「亮汰、動くな!」
祐介の声が鋭く響いた。
その場の空気がぴたりと止まる。
「……あぶな」
亮汰はすぐに体勢を戻し、志歩のテープを拾って差し出した。
「おー、危ない危ない。いや、でもテープは命より重いから」
「軽っ」
志歩が額に汗をにじませながら、彼の冗談を受け流した。
樹はその様子を見ながら、静かに足元のローラーを転がす。
あと少し。塗り残しを確認して、仕上げをすれば、灯台は「完成」に近づく。
その時だった。
(02/02)
「……あの、記念撮影って、まだ?」
亜梨沙がそわそわと腕時計を見てつぶやく。
「いいタイミングで言ったな」
亮汰がローラーを片付け、スマホを取り出した。「例の構図」で撮る気らしい。志歩がすぐさま反応した。
「え、逆光でちょっとシルエット気味に? あれ模倣しとくと“映える”ってやつ」
「“映える”は言うなって、何回言わせるの……」
理央が呆れながらも髪を手櫛で整える。
樹はローラーを置いて、全員に声をかけた。
「今日のこの塗装で、“自分たちの場所”が形になる。……最後、撮ろう」
六人は塗り終えた灯台の前に並んだ。作業服には点々と白い塗料が飛び、ヘルメットの下から汗がにじむ。
それでも誰もが、目の奥に確かな誇りを宿していた。
シャッターの音が、潮騒の中でやさしく響いた。
「じゃ、午後は内部の乾燥確認だね」
祐介が工程表をめくる。
「その前にアイス食べよう」
志歩がすでに近くの自販機へ走っていた。
「私はミネラル補給優先で」
理央が真顔でペットボトルを掲げる。
「で、亮汰は?」
「もちろん、アイス二本。昼飯代削って!」
笑い声が小さく灯台に反響した。
――それは、かつての約束が、今、音となって返ってきた証のようだった。




