↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡き奥様への貞節とおっしゃるので、三年お待ちしました。では、婚姻無効の手続きをいたしましょう  作者: chiro


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/30

第4話「お義姉様のお薬は、届いていなかったのですね」

2作目を書きました。既に完結迄書き切った作品ですので、良かったら、ブックマーク登録して頂けますと幸いです。毎日投稿予定。

 その日は朝から雪だった。


 私は書庫で、三年前の夏の巻をもう一度開いていた。指の下に、おなじ文字が十二回並んでいる。


 ――薬代。氷花の調薬。金貨二枚。


 七月の第二週から、九月の最後の週まで。十二行。合わせて金貨二十四枚。


 数えなおしたのは、これで三度目だった。一度目は夜の燭台の下で、二度目はギュンターに取らせた写しのほうで、三度目が今朝のこの巻だった。三度とも、おなじ数が出た。


「ギュンター。この薬代のことを伺いたいのですけれど」


「はい」


「これは、いつから計上されておりますの」


「前の奥様がお嫁ぎになった年からでございます」


「はじめからですの」


「はい。毎週、欠かさず」


「ご病は、生まれつきと伺いましたけれど」


「心の弱りでいらしたそうでございます。氷花を飲んでおられれば、ふつうにお暮らしになれると」


「では、これはお薬ではなくて、お暮らしそのものですわね」


「……そう申してよろしいかと存じます」


「支払いは、どちらへ」


「領都の薬種商でございます。主治医の先生のお見立てを領都のボルツ医師が処方に書き、そのとおりに調えたものを、毎週」


「そのお薬は、どなたが受け取りましたの」


「わたくしは出納の判を押すだけでございます。品の受け取りは、屋敷のなかのことでして」


「では、受け取りの帳は」


「侍女部でございます。マルタが預かっております」


 私は顔を上げた。ギュンターは、押してほしいところで押してくれる人ではない。けれど、道だけは正しく教えてくれる。


「ありがとう。マルタに頼んでみますわ」


「……奥様」


「なんですの」


「三年前の巻を、なぜお開きになるのです」


「勘定が合わないのですの」


「合わない勘定は、多うございますよ」


「ええ。でも、これは合いすぎておりますの」


 ギュンターはそれ以上何も訊かなかった。


 侍女部の小部屋で、マルタは布の山を数えていた。


「マルタ。受け取りの帳を見せてくださる」


「どの年のものでございましょう」


「三年前の、夏から秋まで」


 数えていた手が止まった。布が一枚、膝から落ちた。


「……何をお調べになるのです」


「お薬のことですわ」


「お薬」


「毎週、氷花の調薬が届いておりました。三月のあいだ、十二週分。それが、どこへ納められたのかを知りたいのですの」


「お亡くなりになった方のお薬でございます」


「ええ」


「奥様には、関わりのないことでございましょう」


 マルタの声は低かった。怒っているのではない。踏まれたくない場所を、体で隠しているのだった。


 この人は、お義姉様が嫁いでこられるずっと前から、この屋敷にいる。若い侍女たちが前の奥様の話をするとき、いちばん長く喋るのはいつもマルタだった。


「奥様。ひとつ申し上げてよろしゅうございますか」


「どうぞ」


「奥様がお調べになると、この屋敷の者はみな、自分が疑われていると思います」


「疑ってはおりませんわ」


「疑われる覚えのない者は、疑われたと思うものでございます」


「……ええ。そうでしょうね」


「帳は、お見せできません」


「お見せできない、というのは」


「侍女部の帳は、侍女頭が預かるものでございます。前の奥様の代からそうしてまいりました」


「そうでしたの」


 私は微笑んだ。判で押したような、いつもの微笑みを。


「では、今日は結構ですわ」


 押さなかったのは、負けたからではない。押す順番が違うと思ったからだった。


 厨房の綴じと侍女の日誌は、去年のうちに目だけは通してある。ギュンターが捨てずに置いてくれていたからだ。


 けれど、見ただけでは何にもならない。紙を手もとに持たない者の申すことは、ただの噂になる。


 廊下を戻る途中、渡り廊下の前にシャルロッテ様が立っておられた。


 冬館へ続く扉の、鍵のかかったほうを見ておられる。


「奥様」


「はい」


「あの方は、どなたですの」


「名のない方ですわ」


「まあ。名のない方」


「ご自分で捨てたとおっしゃいますの」


 シャルロッテ様は、白い指で自分の喉のあたりを押さえた。


「怖いこと。わたくし、夜が心配で眠れませんわ」


「鍵は二つかけておりますの。お部屋の前にも、人を置きましょうか」


「まあ、そんなお手間を」


「お手間ではございませんわ」


「……奥様は、ほんとうにお優しいこと」


 優しいこと。この三年で、いちばん多く言われた言葉だった。


 優しいと言われるのは、こちらが何もしないでいるあいだだけだ。帳簿を開いた者は、たぶんもう優しいとは言われない。


 昼過ぎ、私は帳簿を抱えて冬館へ渡った。


 先生は窓辺の椅子に座っていた。膝に毛布をかけて、外の雪を見ている。顔の色は、拾った夜よりだいぶましになっていた。


「先生。お座りのままで結構ですわ」


「はい」


「ひとつ、お見せしたいものがございますの」


 私は帳簿を彼の膝に開いた。


 先生の左手が、ゆっくりと紙の上を降りていった。行を追う指だった。読み方を知っている人の指だった。


 それが、止まった。


「先生」


「……」


「これは、氷花の調薬でございます。週に金貨二枚」


「一週分です」


「はい。一週分」


「先生は、帳簿をお読みになれますのね」


「……少し」


「少しではございませんわ。行を指で追われました。数を勘定する方の手ですの」


「……」


「お答えは要りませんわ。わたくしは、答えないお方に慣れておりますから」


 先生は指を動かさなかった。動かさないまま、唇だけが小さく数えていた。


 七月、八月、九月。


「十二週です」


「はい。十二週。金貨二十四枚。三月のあいだ、一週も欠けずに買われております」


「……」


「お飲みになった記録は、ございません」


 紙の上の指が、はじめて震えた。


 動揺はいつでも手に出る。私はそれを、自分の指先で知っていた。


「厨房の受け取りにも、侍女の日誌にも、一行もございませんの。三月分が、まるごと」


「……奥様は、なぜこれをお開きになったのですか」


「べつのものを探しておりましたの」


「べつのもの」


「ええ。わたくしの話は、今はよろしいでしょう」


「……」


「この屋敷へ来て、最初にしたのが帳簿をつけることでした。ほかにすることがございませんでしたから」


「三年」


「三年ですわ」


 彼は帳簿を閉じようとして、閉じられずに、膝の上に置いたままにした。


「お義姉様のお薬は、届いていなかったのですね」


 言ってしまってから、自分の声がずいぶん静かなことに気がついた。


 先生は答えなかった。


 窓の外で、屋根の雪が落ちた。落ちた先にあるのは去年の雪で、その下はまた前の年の雪だ。


「氷花は、飲み続けなければ効きません」


 先生がそう言った。


「途中でお止めになると、どうなりますの」


「……」


「先生」


「その話は、できません」


「なぜですの」


「私には、できません」


 先生はそこで、はじめて薬箱に手を伸ばした。


 三つの留め金を、上から順に外す。慣れた手つきだった。何百回とおなじ順で外してきた指だ。


 箱のなかには、乾いた根が紙に包まれて入っていた。白い。細い。


「これが」


「氷花の根です」


 乾いていても、匂いは残っていた。雪を割ったときの、あの冷たい匂い。


「一週で、これほど要りますの」


「これでは、ひと月に足りません」


「金貨二枚は、高うございますわね」


「安くはありません。ですが、この領では買えます」


「買えますわ。この領地の雪の下から出るものですから」


「先生は、これをどこで」


「……お答えできません」


 私は根を見ていた。この領地の雪の下から出るものを、この方はわざわざ雪を越えて持ち歩いている。


 箱の底には、瓶を寝かせる仕切りが四つあった。そのうちの三つが空だった。空の仕切りを抱えたまま、この人は雪のなかを歩いてきたのだ。


 十二行の数字を、私はもう暗記していた。


 金貨二枚が十二回。その下に、日付が埋まっている。お義姉様がお亡くなりになった日も、そのどこかにあるはずだった。


「先生。ひとつだけ」


「はい」


「先生は、この屋敷に何をしにいらしたのですか」


 先生は箱の蓋を閉めた。留め金を、こんどは下から順にかけた。


「奥様」


「はい」


「この帳簿は、だれにもお見せにならないほうがいい」


「なぜですの」


 先生は、はじめてまっすぐに私を見た。


 その目は、私を見ていなかった。私のうしろにある三年前を見ていた。


「奥様は、病で亡くなったのではありません」


もし本作品が面白かったら、ブックマーク登録、リアクション等の反応頂けますと嬉しいです。執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。