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亡き奥様への貞節とおっしゃるので、三年お待ちしました。では、婚姻無効の手続きをいたしましょう  作者: chiro


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3/30

第3話「お姉様が亡くなったのは、三年前でございます」

2作目を書きました。完結済みの作品ですので、良かったら、ブックマーク登録して頂けますと幸いです。

毎日投稿予定。

 朝の食堂で、昨夜のことを旦那様に申し上げた。


 旦那様は匙を止めて、しばらく窓の外を見ておられた。


「凍傷か」


「はい。指の先が白くなっておりました」


「医者を呼んだか」


「その方が、たぶんお医者ですわ」


「……たぶん」


「薬箱をお持ちでした。それ以上は、まだ何も」


 旦那様は匙を置いた。


 誠実な方なのだ。困っている者を雪へ戻すという考えは、たぶん一度も浮かんでいない。


「冬館の火は絶やすな。薪は好きに使っていい」


「ありがとうございます」


「君も、夜に出歩かないように」


 君。


 三年のあいだ、この言葉はずっとおなじ重さで置かれ続けている。軽くもならず、重くもならない。


「まあ。雪のなかから人をお拾いになったの」


 シャルロッテ様が、両手を胸の前で合わせた。


「奥様は、お優しいこと。……でも旦那様、身元の知れない方をお姉様のお屋敷にお置きになるのは」


「冬館でございますわ」


 私は口を挟んだ。


「お義姉様のお部屋からは、いちばん遠い棟ですの。渡り廊下の鍵もかけております」


 シャルロッテ様の眉が、ほんの少しだけ上がって、すぐに下りた。


「……そうですわね。奥様がそうお決めになったのなら」


 奥様。そこに置かれる一拍は、三年で耳が覚えてしまった。


「旦那様。そろそろ、お姉様の会の支度をはじめてよろしくて」


「……ああ」


「今年で四度目ですわ。一月の十五日」


「頼む」


「わたくしにお任せくださいませ。お姉様のことは、わたくしがいちばんよく存じておりますから」


 一月十五日。


 この屋敷で最初に教わった日付だった。


 嫁いできたのが十一月の二十日で、その二月あとにはもう、私は喪服を着て末席に座っていた。二度目も三度目もおなじだった。そして四度目が来る。


 午後、書庫でギュンターを呼んだ。


「去年の会の控えは残っておりますか」


「ございます」


「勘定だけでも拝見したいのですけれど」


「勘定と、次第書と、お言葉の写しもございます」


「お言葉の写しも」


「わたくしは、紙を捨てぬ性分でございまして」


 この家令のこういうところが、私はきらいではなかった。


 次第書を開く。時刻、席順、供物、楽士の数。花は白のみ。


 そのうしろに、シャルロッテ様が読まれた追悼の辞の写しが挟まっていた。


 ――わたくしの姉アデラインは、あの年の九月二十八日の朝、この雪の下で眠りにつきました。


 私は、その一行を二度読んだ。


「ギュンター。一度目の会の控えもございますか」


「ございます」


「お言葉の写しを」


 同じ手の字で、こう書かれていた。


 ――姉は、去年の九月の末に、わたくしの腕のなかで眠りにつきました。


 末。日付がない。


 一度目はぼかして、去年は二十八日と書いておられる。


「ギュンター。この屋敷に、お義姉様のお亡くなりになった日を書いた紙はございますの」


「……墓碑には、年だけでございます」


「年だけ」


「はい。年だけでございます」


 勘定のほうも開いてみた。


 去年の会の費えは、しめて金貨三十一枚。花と蝋燭と楽士と、王都から運ばせた菓子。


「ギュンター。この注文は、どなたの指図ですの」


「シャルロッテ様でございます」


「お支払いは」


「公爵家の出納から」


「旦那様のお印は」


「……ございません」


「では、どなたのお印が」


「どなたの印もございません。この三年、そのようになっております」


 私は勘定を閉じた。


 金貨三十一枚は、氷花の薬の十五週分と少しにあたる。そんな数え方をする癖が、いつのまにかついていた。


 夕方、冬館へ寄った。


 先生は寝台に起きて座っていた。二日は起きるなと申しつけたのに、もう座っている。


「お加減は」


「よくなりました」


「今朝お目覚めになったばかりですわ」


「……はい」


「先生。今朝、氷花の薬がどうとおっしゃりかけましたわね」


 先生は毛布の縁を見ていた。


「忘れてください」


「忘れられそうにございませんの」


「……」


「では、伺いません。今は」


「……」


「お食事は召し上がりましたの」


「はい」


「粥だけでは足りませんでしょう」


「充分です」


「先生は、何でも足りるとおっしゃいますのね」


 私は扉を閉めた。閉める前に、もう一度だけ振り返った。


 先生は、右手の甲の痕を、左手でゆっくりと覆っていた。


 夕餐の卓で、シャルロッテ様は供物の話をしておられた。


「一月の半ばでは、氷花の根はまだ細うございましょう。でも花だけなら雪の下から採れますわ」


「氷花を供えるのか」


「お姉様は白がお好きでしたから」


「……そうだったな」


 旦那様の声が、少し遅れて落ちた。


 私は、皿の上のものを半分ほど残していた。


「席順は、去年とおなじにいたしますわね」


「ええ、それで結構ですわ」


「奥様は、その……」


「末席で構いませんの」


「まあ、そんな。奥様がお姉様のお席の隣にお座りになっても、だれも申しませんわ」


「わたくしはお義姉様を存じ上げませんので。存じ上げない者が上に座るのは、おかしいでしょう」


 シャルロッテ様は口の端だけで笑って、それから旦那様のほうを向いた。


「旦那様。奥様は、ご謙遜がお過ぎになりますわ」


「シャルロッテ様。ひとつ伺ってもよろしくて」


「なんでしょう」


「お義姉様のご命日は、いつでございましょう」


 匙の音が止まった。


「……九月の、三十日ですわ」


「三十日」


「はい。朝でございました。わたくしはお部屋におりましたの」


「そうでしたの」


「奥様は、なぜそのようなことをお尋ねに」


「墓所にお花を上げたいと思っただけですわ。会の日とは別に、その日にも」


「まあ。お優しいこと」


 シャルロッテ様は微笑まれた。私も微笑んだ。判で押したような、いつもの微笑みを。


「では、九月の三十日でよろしいのですわね」


「奥様」


「はい」


「お姉様が亡くなったのは、三年前でございます」


「……はい」


「三年前ですわ。それで、十分でございましょう」


 それで十分。


 私は微笑みを崩さなかった。崩さないことだけは、この三年でいちばん上達した。


 人は、大切な人の亡くなった日を、それで十分とは言わない。


 部屋へ戻る前に、湯を運んできたマルタに訊いた。


「マルタ。お義姉様がお亡くなりになったのは、九月の何日でしたかしら」


 マルタの手が止まった。湯が少しだけ揺れて、盆に落ちた。


「……九月の、末でございました」


「何日かは」


「覚えておりません」


「二十八日ではございませんでしたかしら」


「……存じません」


「マルタは、あのときこの屋敷にいたのでしょう」


「おりました」


「では」


「……あの月のことは、思い出したくございません。お許しくださいませ」


 マルタは頭を下げて、盆を置いて出ていった。


 窓の外は雪だった。


 三年前の九月には、まだ雪は降っていない。降りはじめたのはその十月で、それから今日まで、北の庭は一度も地面を見せていない。


 あの月に降らなかった雪の下に、日付だけが埋まっている。


 三年前。三年前の、いつなのだろう。


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