第20話「追悼式は、予定通り行いましょう」
年が明けて、五日が過ぎた。
屋根から落ちるかたまりの音が、一日に何度も鳴る。積もりすぎた雪が自分の重みで落ちるのだ。落ちた分は庭に残って、また積もる。
暮れからの十日で、支度はだいたい済んだ。
石工の板は届いた。私の字で彫らせたので、だれのものでもない字が一行だけ残っている。
私が預かっていた四つの綴り、厨房の下げ物の控えと侍女の当番帳と日誌の原本と玄関の取次簿は、箱に入れて、家令のギュンターに書庫の錠のかかる棚へ移してもらった。鍵は二つ。一つは私、一つはギュンター。
マルタには、一月十五日まで何も言わないと約束していただいた。あの人は約束を守る。
先生の記録は、先生がお持ちのままにしてある。私の部屋に置けば、私の部屋が焼ければ終わりだ。
紙は、置き場所を分ける。実家の帳場でそう教わった。
足りないものは、もうない。
ユリアは三日前に城を発った。王都へは戻らず、式まで領都の宿で待つという。
門のところで、こう言って馬車に乗った。
「十五日に来るわ。侯爵夫人より早く着いて、いちばん前に座るから」
「そんなに前でなくても」
「前がいいの。あなたの顔が見たいのよ」
馬車が雪の道を下っていくのを、私は見えなくなるまで見ていた。
人を見送るという用が、三年ぶりだった。
あとは、人を集める日だけである。
その日の夕餐のあと、私は旦那様と妹君を小客間にお招きした。
卓の上に式次第と、王都からの名簿を置いた。
「旦那様。お式のことで、お話がございますの」
「……ああ」
「追悼式は、予定通り行いましょう」
旦那様が顔を上げられた。
「一月十五日に」
「ええ。三年前からその日と決まっておりますわ。お客様にもそうお知らせしております」
「……そうか」
「奥様」
妹君が、いつもの一拍を置いてから口を開かれた。
「ご無理をなさらなくてもよろしいのよ。奥様は、お姉様をご存じないのですから」
「ええ。わたくしは存じません」
「まあ。そんなふうにおっしゃると」
「ですから、お式の采配は、あなたにお願いしたいと思っておりますの」
妹君の指が、膝の上で一度止まった。
「……わたくしに」
「お義姉様のことをいちばんよく存じておいでなのは、シャルロッテ様でいらっしゃいますわ」
私はぐっと、微笑みに力を込めた。
この形を保つのに、近ごろは背筋と腹の力を使う。頬の位置は変わらないのだから、たぶんだれにも見えていないと思う。
「お客様をお迎えするのも、上座をお決めになるのも、あなたのお手で。わたくしは席の端におりますわ」
「奥様。そんな、端などと」
「いいえ。それが正しい形ですわ」
妹君は口を少し開けて、それから閉じられた。
三年、この方はこの言葉を待っておられたのだと思う。
旦那様が、私の方をご覧になった。
「……君は、それでいいのか」
「はい、旦那様」
「君は公爵夫人だ。式の主は君でいい」
「お義姉様のお式ですわ」
旦那様は少し黙って、それから目を伏せられた。
「君には、いつも無理をさせている」
「無理ではございませんの」
「……そうか」
「わたくしにも、その日に果たしたい用がございますから」
旦那様はうなずかれた。何の用かは、お訊きにならなかった。
この方はいつもそうだ。私の言葉の先を、一度も訊かない。
「それではシャルロッテ様。王都からの名簿をご覧くださいませ」
私は王都からの名簿を、妹君の前へ滑らせた。
ユリアの字で十五人の名が並んでいる。いちばん下が十五人目だ。
「まあ。十五人も」
「ローゼンタール伯爵夫人がお取りまとめくださいましたの」
「アイヒェンドルフ侯爵夫人。ああ、このお方はお姉様のご婚礼にお見えになったわ」
「覚えておいでですのね」
「もちろんですわ。あのときのお姉様は、この屋敷でいちばんきれいでした」
妹君は指で名を追っていかれた。
五人目、八人目、十一人目。位の高いお名前のところで指が止まって、そこだけ声に出して読まれる。
そして十五人目で、指が止まった。
「……このヴェーバーというお方は」
息を詰めないようにした。詰めると声が変わる。
「王宮医師団長ですわ」
「お医者様」
「氷花の納めのお話が、去年から王宮ともめておりますの。ちょうど北へおいでになるので、弔問もとお申し出くださいましたのよ」
「商いのお話」
「ええ。殺風景でございますわね」
妹君は、ふっと笑われた。
その笑い方が、少しゆるんでいた。
「……いえ。よろしいと思いますわ」
「ご迷惑でしたら、お断りしますけれど」
「いいえ。かまいませんの。王宮のお医者様なら、なおけっこうですわ」
妹君の指が、名簿の端をとんと叩いた。
「王宮のお医者様は、きちんとしたお方ですから」
三年前、その方の署名で一人の医師が名簿から削られた。この方はそれをご存じで、だから安心しておられるように見えた。
味方が一人増えたと思っておられるのだろう。
「ただ奥様。あの流れ者のことは、お考えくださいませ」
「先生のことですか」
「王宮のお医者様がおいでになる日に、素性の知れぬ者を屋敷に置いておくのは、いかがなものかと」
「ご心配には及びませんわ」
「そうでございますか」
「ええ。当日のことは、わたくしが考えておりますの」
妹君は満足そうにうなずかれた。
それから、思い出したように付け加えられた。
「奥様。庭の雪を除けさせたと聞きましたけれど」
「春の花壇の下見をさせましたの。お客様がおいでになりますから、春の庭も整えておきたくて」
「北側は、そのままにしてくださいませ」
「北側」
「お姉様のお部屋の窓の下ですわ。お姉様があのあたりをお好きでしたから、荒らされたくありませんの」
私は微笑んで、頭を下げた。
「では、北側はそのままにいたしますわ」
北側は、お式が済むまで除けさせない。
北の庭の奥だけは三年だれも踏んでおりません、と先だってギュンターが言っていた。除けさせない方がいたのだ。何があるのかは知らない。ただ、あの侍女の手はひどく荒れていた。
あの雪の下に何があるにしても、三年動いていない。三年降り続けたものが、そのまま上に乗っているだけだ。
妹君は、そこで背を伸ばされた。
采配をお預けし、上座をお任せし、北側の雪も申し出のとおりにした。三つ通れば、四つめは訊かずに出てくる。
「奥様。それでしたら、わたくしからもお願いがございますの」
妹君の声が、はっきり明るくなっていた。
「どうぞ」
「お姉様のお部屋を、開けたいのです」
「お部屋を」
「ええ。三年、どなたもお入れしておりませんでしょう。お客様に、お姉様のお品をご覧いただきたいの」
鍵はこの方が持っている。旦那様さえお持ちでない鍵だ。
「刺繍も、絵も、お召し物も。ぜんぶお姉様のままに残してございますわ」
「……よろしいと思いますわ」
「ほんとうに」
「ええ。お客様も、お義姉様を近くに感じられるでしょう」
妹君は胸の前で手を合わせられた。
「それから、もうひとつ」
「はい」
「お式の終わりに、お姉様の遺言を皆様の前で読ませていただきたいのです」
部屋が、しんとした。
炭の音が、三度聞こえた。
先だってこちらから申したときは、この方は避けられた。ご自分で言い出すまで、待つほかなかったのだ。
「まあ」
「奥様。いけませんでしょうか」
「いいえ。ぜひ、そうなさって」
「……よろしいの」
「ええ。お義姉様のお言葉を皆様に聞いていただくのが、いちばんの供養ですわ」
旦那様が、低く言われた。
「……アデラインの言葉を、人前で読むのか」
「旦那様。お嫌でしたら、やめますわ」
「いや。……いや、構わない」
「ありがとうございますわ、アルフレート様」
妹君の声が、少しだけ甘くなった。
三年、この声で旦那様を動かしてこられたのだと思う。
けれど今日は、この方がご自分から申し出られた。鍵を開けることも、あの一行を人の前で読み上げることも。
三年ご自分のものにしてこられたものを、ご自分の手で明るいところへ出すとおっしゃったのだ。
王宮医師団長の前で遺言を読めば、三年の貞節が王都の公認になる。あの方は、そうお考えになったのだろう。
二人が出ていったあと、私は式次第に、お申し出のとおり遺言の朗読を書き入れた。そのあとに一行だけ、自分で書き足した。
――来賓のご挨拶。
追悼式は一月十五日。氷花が雪の下で咲く頃だ。
三年お待ちしたのだから、あと十日はどうということもない。
旦那様は亡き奥様への貞節とおっしゃるので、私は三年お待ちした。
お式が終わりましたら、そのあとで、手続きのお話をいたしましょう。
追悼式は、予定通り行う。この方が望まれた通りに、ひとつも削らずに。
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