↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡き奥様への貞節とおっしゃるので、三年お待ちしました。では、婚姻無効の手続きをいたしましょう  作者: chiro


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/30

第14話「遺言を聞いたのは、あなただけですか」

 十二月の下旬になると、屋敷は追悼式の支度で動きだす。


 式は一月十五日である。氷花が雪の下で咲く頃で、道もいちばん人が通る。


 私はその日の朝から広間にいて、倉から出させた蝋燭を数えていた。


 卓の上には去年の式の掛かりを書いた巻を一冊だけ置いた。薬代の巻は部屋に置いてきた。


 窓際に椅子を二つ運ばせた。向かい合わせではなく、斜めにずらして。真正面に座ると、人はかまえる。


 蝋燭を三十本まで数えたところで、廊下に足音がした。


「奥様。これは、何をしておいでですの」


 シャルロッテ様は、扉のところで一拍置いてから、そうおっしゃった。


 聞きつけて来られるだろうと思っていた。この家で紙と物が動けば、この方がいちばん先に気づく。


「お式の掛かりを決めておりますの。ご一緒にいかがですか」


「まあ。そんなもの、いつもわたくしが決めておりましたのに」


「ええ。ですから今年は、わたくしがお手伝いいたしますわ」


 マルタに茶を運ばせて、下がるように頼んだ。あの人は一つも訊かずにうなずいた。


 微笑みを返す。頬の位置も、目の細め方も、三年で決まっている。


 シャルロッテ様は座って、砂糖を二つ入れられた。


「蝋燭を六十本、花は三十束と伺いました」


「お姉様のためですわ。……あら、少ないと申しますの」


「いいえ。花は去年と同じにいたします。蝋燭は、去年は九十本になっておりましたけれど」


「まあ」


「ですから、六十で足ります。去年は三十本、余っております」


 私は帳簿をひらいて、その行を指で押さえた。


 シャルロッテ様は、そこをご覧にならなかった。


 余った三十本が倉へ戻った記録は、どこにもない。私はそれも言わなかった。


 今日は、蝋燭の話をしに来たのではない。


「奥様は、数字がお好きなのね」


「好きというより、仕事ですわ」


「お姉様は、こういうことをなさらない方でした。金貨の話をなさると、お顔が曇る方でしたの」


「そう伺っておりますわ」


「わたくし、あのころのほうが屋敷は明るかったと思いますの」


 この方は、三年こうして私に話しかけてくる。


 姉の話をして、私が一つも知らないことを確かめて、それで満ちるらしい。


 私はその苛立ちを、微笑みに押し込めた。


「客の数は、七十二名でよろしいの」


「ええ。去年と同じに」


「招待状は、わたくしが出しますわ」


「まあ、なぜ」


「家政は、わたくしが預かっておりますから」


 砂糖を混ぜる匙の音が、少し強くなった。


 私は茶をひとくち飲んで、それから紙の話に入った。


「シャルロッテ様。式の次第を決めるのに、伺っておきたいことがございますの」


「どうぞ」


「お義姉様の命日は、九月三十日でございますわね」


 匙が止まった。


「……なぜ、そんなことを」


「追悼式が一月十五日ですから、式の挨拶でどう申し上げるべきかと思いまして」


「一月十五日は、お姉様がいちばんお好きだった日です」


「花の咲く時季ですわね」


「そう。お姉様は、氷花がお好きでしたから」


「では、命日は九月三十日で間違いございませんの」


「……先日もそう申し上げましたけれど」


 去年の辞には、二十八日とあった。一度目の辞には、日付がなかった。


 命日を覚えていない人は、いる。覚えていられないほど辛い人もいる。


 けれど、年ごとにちがう日を書く人は、覚えていないのではない。


 私はそれを言わなかった。今日それを言うために来たのではない。


「もうひとつ、ございますの」


「まだございますの」


「お義姉様の遺言を、式で読み上げてはいかがでしょう」


 カップを持つ手が、受け皿の上で少し傾いた。


「……遺言」


「ええ。旦那様が三年お守りになっているお言葉ですわ。皆様の前で読み上げれば、お義姉様のお心が伝わりますでしょう」


「そんなこと、なさらなくてよろしいの」


「まあ、なぜ」


「あれは……お姉様がわたくしに話されたことです。人前で読むようなものではありません」


「書き付けがあると、旦那様から伺いましたわ」


 シャルロッテ様は答えなかった。


 窓の外で、屋根の雪が落ちた。落ちた先にも、去年のぶんが待っている。音はそれだけだ。


「原本は、旦那様のお手もとですわね」


「……わたくしが、お渡しいたしました」


「では、拝見できますか」


「奥様に、お見せするものではありません」


 この方の手もとに、あの紙はない。旦那様の机にあることは、先だって伺っている。


 それなのに、見せないと決められるのだ。


 三年、この方の力はぜんぶこの形をしていた。持っていないものについて、持っている人の代わりに断る力である。


「わたくしは、この家の妻ですわ」


 言ってから、自分の声が思ったより静かだったことに気づいた。


 シャルロッテ様の頬が、赤くなっていった。


「……お姉様のお部屋のものを、奥様がお使いにならないと、そうおっしゃったのは奥様です」


「ええ、申しました」


「では、遺言もそうでしょう」


「膝掛けと遺言は、別のものでございましょう」


「……どこが別ですの」


「膝掛けは、お義姉様のお持ちものですわ。遺言は、旦那様への言葉でございましょう」


「お姉様の言葉です」


「ええ。お義姉様の言葉を、三年あなたのものにしておられる」


 そこで、私は姿勢を変えなかった。声も上げなかった。


 ここまでは、蝋燭と花の話である。ここからは、ちがう。


 私は茶碗を置いた。小さな音がした。


 息をひとつ吸って、いちばん訊きたかったことを訊いた。


「シャルロッテ様。遺言を聞いたのは、あなただけですか」


「…………」


 シャルロッテ様の顔から、微笑みが落ちた。


 落ちるところを、私ははじめて見た。


 三年のあいだ、この方はどんな話をするときも口の端を上げておられた。心配そうに眉を寄せるときも、上げたままだった。


 いま、その口の端が下りている。


 頬の片側だけが動かないような、そういう顔になっていた。


 青い目が、私の顔の上を二度往復した。


 それから、卓の上を探した。探して、何も見つけられなかったらしい。


 この方は、三年で一度も訊かれなかったのだ。だれからも、一度も。


「……どういう意味ですの」


「そのままの意味ですわ」


「わたくしが、嘘をついているとおっしゃるの」


「そうは申しておりません」


「お姉様の最後のお言葉を聞いたのは、わたくしです。ずっと看ておりましたのは、わたくしですのよ」


 声が高くなった。


「ええ」


「あのお部屋に入れたのは、わたくしだけでした」


 私は茶に目を落とした。


 そこはご自分でおっしゃったのだ。私が言ったのではない。


「そうでございましょうね」


「……奥様」


「はい」


「わたくし、お姉様のためにと思って三年やってまいりました。それが、いけなかったのでしょうか」


 声が、いつもの調子に戻りかけていた。


 被害者の顔になれば、この屋敷ではそれで勝てる。三年、そうだったのだから。


 けれど戻りきる前に、私は頭を下げた。


「失礼を申しました。式の次第のために伺ったのです」


「……ええ」


「読み上げないのでしたら、そう決めましょう。花は三十束、蝋燭は六十本。招待状はわたくしが出します」


「……ええ」


「お茶は、もう一杯いかがですか」


 シャルロッテ様は、カップへ手を伸ばされた。


 伸ばして、そこで止まった。


 止まったまま、指は動かなかった。爪の先だけが白くなっていた。


 私は湯の入った器を持ったまま、待った。湯気が細くなる。


 お注ぎしましょうか、とは申し上げなかった。


 この方が動くまで、こちらも動かないことにした。


 遺言を聞いたのは、あなただけですか。


 その問いの答えとして数えられるものは、まだ何ひとつ出ていない。


 窓の外では、雪が音もなく降っていた。


 部屋の中では、だれも動かなかった。


もし面白いと感じていただけましたら★やブックマークを押して応援していただけますと幸いです。執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。