第14話「遺言を聞いたのは、あなただけですか」
十二月の下旬になると、屋敷は追悼式の支度で動きだす。
式は一月十五日である。氷花が雪の下で咲く頃で、道もいちばん人が通る。
私はその日の朝から広間にいて、倉から出させた蝋燭を数えていた。
卓の上には去年の式の掛かりを書いた巻を一冊だけ置いた。薬代の巻は部屋に置いてきた。
窓際に椅子を二つ運ばせた。向かい合わせではなく、斜めにずらして。真正面に座ると、人はかまえる。
蝋燭を三十本まで数えたところで、廊下に足音がした。
「奥様。これは、何をしておいでですの」
シャルロッテ様は、扉のところで一拍置いてから、そうおっしゃった。
聞きつけて来られるだろうと思っていた。この家で紙と物が動けば、この方がいちばん先に気づく。
「お式の掛かりを決めておりますの。ご一緒にいかがですか」
「まあ。そんなもの、いつもわたくしが決めておりましたのに」
「ええ。ですから今年は、わたくしがお手伝いいたしますわ」
マルタに茶を運ばせて、下がるように頼んだ。あの人は一つも訊かずにうなずいた。
微笑みを返す。頬の位置も、目の細め方も、三年で決まっている。
シャルロッテ様は座って、砂糖を二つ入れられた。
「蝋燭を六十本、花は三十束と伺いました」
「お姉様のためですわ。……あら、少ないと申しますの」
「いいえ。花は去年と同じにいたします。蝋燭は、去年は九十本になっておりましたけれど」
「まあ」
「ですから、六十で足ります。去年は三十本、余っております」
私は帳簿をひらいて、その行を指で押さえた。
シャルロッテ様は、そこをご覧にならなかった。
余った三十本が倉へ戻った記録は、どこにもない。私はそれも言わなかった。
今日は、蝋燭の話をしに来たのではない。
「奥様は、数字がお好きなのね」
「好きというより、仕事ですわ」
「お姉様は、こういうことをなさらない方でした。金貨の話をなさると、お顔が曇る方でしたの」
「そう伺っておりますわ」
「わたくし、あのころのほうが屋敷は明るかったと思いますの」
この方は、三年こうして私に話しかけてくる。
姉の話をして、私が一つも知らないことを確かめて、それで満ちるらしい。
私はその苛立ちを、微笑みに押し込めた。
「客の数は、七十二名でよろしいの」
「ええ。去年と同じに」
「招待状は、わたくしが出しますわ」
「まあ、なぜ」
「家政は、わたくしが預かっておりますから」
砂糖を混ぜる匙の音が、少し強くなった。
私は茶をひとくち飲んで、それから紙の話に入った。
「シャルロッテ様。式の次第を決めるのに、伺っておきたいことがございますの」
「どうぞ」
「お義姉様の命日は、九月三十日でございますわね」
匙が止まった。
「……なぜ、そんなことを」
「追悼式が一月十五日ですから、式の挨拶でどう申し上げるべきかと思いまして」
「一月十五日は、お姉様がいちばんお好きだった日です」
「花の咲く時季ですわね」
「そう。お姉様は、氷花がお好きでしたから」
「では、命日は九月三十日で間違いございませんの」
「……先日もそう申し上げましたけれど」
去年の辞には、二十八日とあった。一度目の辞には、日付がなかった。
命日を覚えていない人は、いる。覚えていられないほど辛い人もいる。
けれど、年ごとにちがう日を書く人は、覚えていないのではない。
私はそれを言わなかった。今日それを言うために来たのではない。
「もうひとつ、ございますの」
「まだございますの」
「お義姉様の遺言を、式で読み上げてはいかがでしょう」
カップを持つ手が、受け皿の上で少し傾いた。
「……遺言」
「ええ。旦那様が三年お守りになっているお言葉ですわ。皆様の前で読み上げれば、お義姉様のお心が伝わりますでしょう」
「そんなこと、なさらなくてよろしいの」
「まあ、なぜ」
「あれは……お姉様がわたくしに話されたことです。人前で読むようなものではありません」
「書き付けがあると、旦那様から伺いましたわ」
シャルロッテ様は答えなかった。
窓の外で、屋根の雪が落ちた。落ちた先にも、去年のぶんが待っている。音はそれだけだ。
「原本は、旦那様のお手もとですわね」
「……わたくしが、お渡しいたしました」
「では、拝見できますか」
「奥様に、お見せするものではありません」
この方の手もとに、あの紙はない。旦那様の机にあることは、先だって伺っている。
それなのに、見せないと決められるのだ。
三年、この方の力はぜんぶこの形をしていた。持っていないものについて、持っている人の代わりに断る力である。
「わたくしは、この家の妻ですわ」
言ってから、自分の声が思ったより静かだったことに気づいた。
シャルロッテ様の頬が、赤くなっていった。
「……お姉様のお部屋のものを、奥様がお使いにならないと、そうおっしゃったのは奥様です」
「ええ、申しました」
「では、遺言もそうでしょう」
「膝掛けと遺言は、別のものでございましょう」
「……どこが別ですの」
「膝掛けは、お義姉様のお持ちものですわ。遺言は、旦那様への言葉でございましょう」
「お姉様の言葉です」
「ええ。お義姉様の言葉を、三年あなたのものにしておられる」
そこで、私は姿勢を変えなかった。声も上げなかった。
ここまでは、蝋燭と花の話である。ここからは、ちがう。
私は茶碗を置いた。小さな音がした。
息をひとつ吸って、いちばん訊きたかったことを訊いた。
「シャルロッテ様。遺言を聞いたのは、あなただけですか」
「…………」
シャルロッテ様の顔から、微笑みが落ちた。
落ちるところを、私ははじめて見た。
三年のあいだ、この方はどんな話をするときも口の端を上げておられた。心配そうに眉を寄せるときも、上げたままだった。
いま、その口の端が下りている。
頬の片側だけが動かないような、そういう顔になっていた。
青い目が、私の顔の上を二度往復した。
それから、卓の上を探した。探して、何も見つけられなかったらしい。
この方は、三年で一度も訊かれなかったのだ。だれからも、一度も。
「……どういう意味ですの」
「そのままの意味ですわ」
「わたくしが、嘘をついているとおっしゃるの」
「そうは申しておりません」
「お姉様の最後のお言葉を聞いたのは、わたくしです。ずっと看ておりましたのは、わたくしですのよ」
声が高くなった。
「ええ」
「あのお部屋に入れたのは、わたくしだけでした」
私は茶に目を落とした。
そこはご自分でおっしゃったのだ。私が言ったのではない。
「そうでございましょうね」
「……奥様」
「はい」
「わたくし、お姉様のためにと思って三年やってまいりました。それが、いけなかったのでしょうか」
声が、いつもの調子に戻りかけていた。
被害者の顔になれば、この屋敷ではそれで勝てる。三年、そうだったのだから。
けれど戻りきる前に、私は頭を下げた。
「失礼を申しました。式の次第のために伺ったのです」
「……ええ」
「読み上げないのでしたら、そう決めましょう。花は三十束、蝋燭は六十本。招待状はわたくしが出します」
「……ええ」
「お茶は、もう一杯いかがですか」
シャルロッテ様は、カップへ手を伸ばされた。
伸ばして、そこで止まった。
止まったまま、指は動かなかった。爪の先だけが白くなっていた。
私は湯の入った器を持ったまま、待った。湯気が細くなる。
お注ぎしましょうか、とは申し上げなかった。
この方が動くまで、こちらも動かないことにした。
遺言を聞いたのは、あなただけですか。
その問いの答えとして数えられるものは、まだ何ひとつ出ていない。
窓の外では、雪が音もなく降っていた。
部屋の中では、だれも動かなかった。
もし面白いと感じていただけましたら★やブックマークを押して応援していただけますと幸いです。執筆の励みになります。




