第7話 7人と1匹
久世さんが古い社の引き戸を開けた。
長い間使われていない場所だと思っていたのに、中には新しい畳が敷かれ、埃一つ落ちていなかった。開け放たれた窓から春の風が入り、部屋の中央に置かれた座卓では、鉄瓶が白い湯気を立てている。
そして、初めて久世さんと会った日に見た五人が、私たちを待っていた。
「朔。まず座ってください」
巫女姿の少女が、私ではなく久世さんを睨んだ。
「まだ入ってきたばかりなんだけど」
「退院したばかりなのです。挨拶より先に休んでください」
「そこまで心配しなくても大丈夫だよ」
「久世さん、顔色もまだよくないですよ」
「佐々木さんまで?」
「再入院されたら、修行が始められません」
「俺の心配じゃなくて、そっち?」
「両方です」
久世さんは諦めたように息を吐き、座卓の前へ腰を下ろした。
座卓の前に座っていた老人が、声を上げて笑った。
「初日からよい師弟関係じゃのう」
「どの辺を見てそう思ったの?」
「遠慮がないところじゃ」
赤いランドセルを背負った女の子が立ち上がり、久世さんの前まで歩いてくる。幼い顔に似合わない厳しい目で、吊られたままの右腕を見つめた。
「朔。痛くないんですか」
「じっとしてれば大丈夫」
「じっとしていないから聞いているんです」
「よく見てるね」
「見ています。朔がまた無茶をしないように、ずっと見ています」
本気で怒っているらしい。
けれど久世さんは困ったように笑うだけで、言い返さなかった。
「まだ、ちゃんと紹介してなかったね」
久世さんは座ったまま、私を隣へ手招きした。
ランドセルの女の子へ手を向けた。
「すず。目と耳がよくて、隠れたものを見つけるのが得意」
すずは背筋を伸ばし、まっすぐ私を見た。
「よろしくお願いします」
次に、巫女姿の少女へ手を向ける。
「こっちがミコ。霊気の扱いが上手くて、土や石を操る術が得意」
「随分と簡単な紹介ですね」
「詳しくは、これから知ってもらえばいいでしょ」
久世さんの指が、着物姿の少女へ移る。
「さつき。見た目は人に近いけど、幽霊じゃなくて妖怪だよ」
「妖怪……」
「そう警戒せずともよい。今のところ、おぬしを取って食うつもりはない」
穏やかな声だった。
今のところ、という部分が気になったが、聞かないことにした。
久世さんは、二メートルを超える大男を見上げた。
「大きいのが岳。力仕事なら任せていい」
岳さんは無言のまま、私へ小さく頭を下げた。
最後に、座卓の前にいる老人へ手を向ける。
「玄斎。占いから結界まで、大抵の術は知ってる」
「大抵とは控えめな紹介じゃな。儂は何でも知っておるぞ」
「知らないことを知らないだけじゃない?」
「口の減らぬ若造め」
玄斎さんは楽しそうに笑っている。
久世さんが私へ向き直った。
「それで、こっちが佐々木優香。今日から俺の弟子。足元にいるのがタマ」
「よろしくお願いします」
頭を下げると、すずとミコさんも丁寧に頭を下げた。玄斎さんは片手を上げ、さつきさんは静かに微笑む。
岳さんだけは何も言わなかった。
二メートルを超える体で、じっとタマを見下ろしている。怒っているようにも見える険しい顔だった。
タマも岳さんを見上げた。
止める間もなく歩み寄り、その足へ額を擦りつける。
岳さんの肩が、わずかに跳ねた。
「タマ?」
私が名前を呼んでも、タマは離れない。
岳さんが巨大な手を伸ばす。途中で一度止め、壊れ物へ触れるように、指先でタマの頭を撫でた。
タマが喉を鳴らす。
岳さんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「岳、よかったのう。初めて動物に好かれたではないか」
「初めてではない」
「では、最後はいつじゃ?」
岳さんは黙った。
答えがないこと自体が答えになっていた。
◇
ミコさんが淹れてくれたお茶を飲みながら、私たちは座卓を囲んだ。
湯呑みも茶葉も、いつの間にかミコさんが用意していたらしい。幽霊なのにどうやって、と見ていると、彼女の指が湯呑みを持ち上げた。指先がわずかに透けている。
「霊気を使えば、物にも触れられます」
「便利でしょ。うちの生活はミコに支えられてる」
「あなたが家事を覚えれば、私の負担は減ります」
「今度覚えるよ」
「その言葉は七回聞きました」
ミコさんは久世さんの前にだけ、湯気の少ないお茶を置いた。
「鏡の封印は、あれから変化ない?」
「はい。戻ってから一度も異常はありません」
ミコさんが白い布の包みを座卓へ置き、結び目を解いた。中から現れた丸い鏡の表面には太い亀裂が入り、その上から何枚もの札が貼られている。
思わず身を乗り出した。久世さんと出会った日、この五人は鏡の調査へ出ていた。いったい、何があったのだろう。
私の視線に気づいたのか、久世さんが五人を見回した。
「佐々木さんにも、君たちが何をしていたのか説明して」
ミコさんが鏡へ視線を落とした。
「これは呪具です」
「呪具?」
「呪いや術の力を宿した道具のこと。役に立つものもあるけど、これは人を害するほうだね」
「この鏡は、映した者を内部へ引きずり込みます」
「内部では、同じ映画館を模した空間が際限なく連なっていました。そこにある鏡を通るたび、通路と私たちの偽物が増え、入ってきた者を奥へ誘い込む仕組みです」
「出口も入口も、途中から見分けがつかなくなってのう」
玄斎さんが続ける。
「儂が方角を定め、すずが外から聞こえる音を探した。あとはミコと岳が崩れる通路を支え、さつきが呪具の核を仕留めたというわけじゃ」
「鏡は何度も方角を書き換えましたが、そのたび玄斎様が見破りました」
「もう少し褒めてもよいんじゃぞ」
「最後に本物の出口を見つけたのは、すずです」
「わ、私は、音を聞いただけです。皆がいなければ、そこまで行けませんでした」
すずが慌てて言う。
「五人を送った判断は間違っていなかったようだね」
久世さんの言葉に、部屋が静かになった。
誰も、すぐには答えなかった。
さつきさんが湯呑みを置く。
「鏡には、五人そろって入る必要があった。おぬしの判断は正しい」
声は穏やかなままだった。
「それでも、戻った先でおぬしが血まみれになっているのを見るのは、愉快ではない」
「連絡は試したよ。鏡の内側までは届かなかった」
「分かっている。町へ邪気が流れ始めていたことも、待つ余裕がなかったこともな」
さつきさんの視線が、久世さんの吊られた腕へ落ちる。
「ゆえに、怒る相手がおらぬ。それがいちばん腹立たしい」
胸の奥が痛んだ。久世さんが血まみれになったのは、タマを止めようとしたからだ。
「すみません」
さつきさんが私を見る。
「おぬしが謝ることではない。朔の札が、あの猫を追い詰めた一因であることも分かっておる。されど、朔はおぬしを守ろうとした。あの猫も同じだ。誰か一人を責めて済む話ではない」
静かな声なのに、部屋の空気が少しだけ重くなった。
久世さんが目を逸らす。
「次は、もう少し上手くやるよ」
「次を作らないでください」
すずが間を置かずに言った。
「善処します」
「信用できません」
「朔の善処は、やらないという意味ですから」
ミコさんまで加わった。
玄斎さんは笑い、岳さんは深く頷いている。
「味方がいないなあ」
「自分で減らしたんだと思います」
私が言うと、久世さんはますます肩を落とした。
◇
「優香」
さつきさんに名前を呼ばれ、背筋を伸ばした。
「おぬしは、なぜ陰陽術を学ぶ」
試すような声ではなかった。
だから、考えていたことをそのまま答えた。
「タマの邪気を祓えるようになるためです」
足元を見る。
タマは岳さんの隣で丸くなっていた。首の白い布には、赤い文字が浮かんでいる。
「封印は、ずっと保つわけじゃありません。タマを傷つけずに邪気を祓える方法も、まだ見つかっていません」
「怖くはないのか」
「怖いです」
採石場で見た、巨大なタマの姿を思い出す。
「でも、知らないままでいるほうが嫌です。何も知らなかったから、私はタマが苦しんでいることにも、十年間守られていたことにも気づけませんでした」
タマが顔を上げる。
「次は、私も一緒に守ります」
さつきさんはしばらく私を見つめ、静かに頷いた。
「ならば、学ぶとよい。守るための力は、知らぬまま振るうには重すぎる」
「はい」
「ただし、師の言うことを何でも信じる必要はない」
「さつき?」
「既に猫に負けておるからな」
久世さんが言葉を失い、玄斎さんが腹を抱えて笑った。
すずだけは笑わず、久世さんの吊られた腕を心配そうに見ている。ミコさんは顔を背けたが、肩がわずかに揺れていた。
岳さんの口元も、少しだけ緩んでいる。
五人とも、久世さんのことが大切なのだ。
心配して、怒って、無事だったから笑っている。
「顔合わせはこれで終わり」
久世さんが、話を切り替えるように咳払いをした。
「体を動かす前に、まずは座学。霊気と邪気の違いから始めるよ」
「邪気の祓い方は?」
「それを安全に教えるための基礎から」
「どれくらいで教えてもらえますか」
「佐々木さん。弟子入り初日から師匠を急かさない」
「タマの封印には限りがあるんですよね」
「……鞄に入れてきた本を出して」
私は鞄から、石段を上る間ずっと肩へ食い込んでいた分厚い本を取り出した。
表紙には、見たことのない古い文字がびっしりと並んでいた。
「全部覚えるんですか」
「まさか」
安心しかけた私へ、久世さんが笑う。
「今日は最初の百ページだけ」
弟子入りを、少しだけ早まったかもしれない。
そう思った私の足元で、タマが楽しそうに鳴いた。




