第40話 訓練の日々
朝倉くんの袖に、白い膜が触れた。
「あ、ごめん」
慌てて霊気を引くと、結界が消えた。三枝先生の手から離れていた布の球が、そのまま彼の左肩に当たる。
ぽす、と軽い音がした。
朝倉くんは手に集めていた火を消し、足元へ落ちた球を拾った。
「今の、消さなくてもよかったのに」
「袖に当たったから、邪魔かと思って」
「うん、ちょっと。でも、全部なくなると困る」
球を先生へ返す彼の横で、私は何もない空間へ手を伸ばしかけた。張ったまま直せればよかったのだけれど、触れた、と気づいたときには、もう消してしまっていた。
結界と武器の練習を交互に続けるようになって、何日か経っていた。
今日は朝倉くんと組んでいる。彼が正面の的へ火を放つ間、左側から先生が投げる球を、私が結界で防ぐ練習だった。立つ場所も結界の位置も、始める前に確かめてある。
最初の何回かは、うまくいった。
けれど、続けているうちに膜が内側へ膨らみ、彼との間が狭くなってしまった。
「佐々木さん、一度張ってみてください。今は投げませんから」
先生に言われ、床の目印へ霊気を通す。
白い膜が立ち上がると、朝倉くんが構えてくれた。腕を動かしても触れない。私は膜と袖の間を見比べながら、少しずつ力を緩めた。
薄くしすぎるのが怖くて、また足したくなる。
でも、先生は何も言わずに待っていた。
「……これくらいですか」
「はい。そのまま受けてみましょう」
球が当たったところが、わずかにへこんだ。思わず指先に力が入る。それでも、霊気を流し込む前に、膜は元へ戻った。
先生が二つ目を投げる。
今度も破れなかった。
「さっきより薄くても、止まるんですね」
「今日の球なら、それで十分です」
私は朝倉くんの左袖へ目を向けた。まだ、結界との間に隙間がある。
「これで、もう一回お願いしてもいい?」
「いいよ」
彼は正面へ向き直り、右手を上げた。
私はその斜め後ろから、結界の端を見る。膜は動いていない。球が当たっても、朝倉くんとの間は空いたままだった。
ぱん、と音がして顔を上げると、正面に吊るされた紙が燃えていた。
「今のは?」
「大丈夫。もう少し続けたい」
相馬先輩が、燃えた的を新しいものへ取り替える。私は結界を保ったまま頷いた。
次の球が来るまでの間、朝倉くんは手のひらに小さな火を作っていた。炎は指先へまとまり、細く伸びて的を射抜いた。大きく燃え上がることはなく、紙の真ん中に穴だけが残る。
あんなふうに、使う分だけを集められたら。
見入っていたところへ、先生の球が当たった。
結界が揺れる。慌てて足した霊気で、また膜が膨らんだ。
朝倉くんが左肘を引くのが見え、今度は消さずに、息を吐きながら流す量を減らした。膜はゆっくり目印の上へ戻る。
「戻ったよ」
彼の声で顔を上げる。
朝倉くんは構えを解かずに待っていた。
「続けていい?」
「うん」
手の先から、火が飛んだ。
◇
休憩を告げられると、朝倉くんは真っ先に水筒を取りに行った。
私は床に落ちた球を拾った。水野くんも手伝ってくれて、抱えていた分を籠へ入れると、壁際で待っていたタマが足元へ寄ってくる。
その場に座って膝へ載せたところで、隣に影が差した。
「こっち、いい?」
藤宮先輩だった。少し詰めると、先輩は壁に背を預け、足を伸ばした。
「今日は長く張れたね」
「途中で、朝倉くんに当てちゃいましたけど」
「最後は消さずに直せてたでしょう」
タマの背を撫でながら頷いた。何度も同じ失敗をしている気がしていたけれど、確かに、最初と全部同じではなかった。
向こうでは朝倉くんが、相馬先輩と的を見ていた。焼けた紙を二枚並べ、穴の大きさを比べている。
私は藤宮先輩へ声を落とした。
「朝倉くん、もっと強い火も出せますよね。今日は小さくする練習なんですか」
「そう。無駄を減らして、その分、何度も撃てるように。蓮、最近よくやってるよ」
朝倉くんが紙を重ねた。こちらへ戻ってきたので、私は膝のタマを抱き直した。
「疲れてない?」
聞かれてから、自分の水筒をまだ出していなかったことに気づく。
「うん。まだできるよ」
彼は私を見たあと、手にしていた紙を二つに折った。
「そっか。俺はちょっと休む」
「あ、うん」
何か急かしたように聞こえただろうか。
彼が隣へ座ったので、私はタマを膝から下ろして鞄を引き寄せた。水筒を出す間に、タマは朝倉くんの靴へ鼻を近づけていた。
「タマ、邪魔しないでね」
「平気だよ」
朝倉くんが指を出すと、タマは匂いを嗅いでから額を擦りつけた。
彼は少し笑い、空いている方の手で、折った紙を鞄へしまった。
「さっき、火の方見てた?」
「うん。小さくても、ちゃんと的に穴が開くんだなと思って」
「あれくらいなら開くよ。毎回、同じにはならないけど」
「見てたら、結界の方がおろそかになっちゃった」
「それで急に膨らんだんだ」
「ごめん」
「うん。次は気をつけて」
私は頷き、水筒の蓋を開けた。
冷たいお茶を飲むと、思っていたより喉が渇いていた。窓の外から、運動部の掛け声が聞こえる。藤宮先輩は目を閉じて休んでいて、水野くんは相馬先輩と球を数えていた。
朝倉くんの指が止まると、タマがその手を鼻で押した。
「まだ?」
小さく尋ねて、また撫で始める。
私はお茶を飲みながら、二人を見ていた。
◇
練習を再開してからは、朝倉くんの火を追わないようにした。
的が燃える音は聞こえる。けれど、顔を向けずに、結界と彼の間を確かめる。
一球受けるたびに霊気を足していたときより、膜は揺れなくなっていた。少しずつ広がりかけても、袖へ触れる前に戻せる。
何度目かの火が飛んだあと、朝倉くんが手を下ろした。
「先生、次、少し速く撃ってもいいですか」
「いいですよ。佐々木さんも続けられますか」
「はい」
相馬先輩が的を二枚、間を空けて吊るした。
朝倉くんは再び右手を上げ、左手を一度握って開いた。私は結界が彼に触れていないことを確かめ、先生の球を待った。
一つ目が当たる。
朝倉くんの手から、正面の的へ火が走った。
続けてもう一つ。二枚目の紙が揺れ、端から火が上がるのが視界の隅に見えた。
「ああ、右に逸れた」
朝倉くんはそう言ったけれど、手を下ろさなかった。
「もう一回、お願いします」
先生が頷いたので、私も結界を張り続けた。
次も、その次も、彼は二枚目に首を傾げた。休憩前には同じくらいに見えていた火が、続けて放つと、大きくなったり散ったりする。
そのたびに相馬先輩が的を替え、先生が球を拾った。
私も一度、膜を広げてしまった。朝倉くんが火を出すのを待ってくれている間に直し、また続けた。
「はい、今日は終わりにしましょう」
最後まで二つの穴は揃わなかった。
朝倉くんは焼け残った的を見上げていたけれど、やがて手を下ろした。私も霊気を止める。結界の消えた場所へ先生が歩いてきて、床の目印を拾った。
「二人とも、お疲れさまでした」
朝倉くんは先生へ頭を下げ、それから私に向き直った。
「付き合ってくれてありがとう」
「ううん。私も練習になったから」
いつもなら、教えてもらったお礼を言うのは私の方だった。何だか落ち着かなくて、私は近くに落ちていた球へ手を伸ばした。
「明日もこれ、やる?」
「先生に聞いてみる。今日の続き、やりたいし」
「じゃあ、また一緒に」
「うん」
朝倉くんが、拾った球をこちらへ差し出した。
受け取って籠へ入れる。今日は途中で消してしまった結界も、最後は先生に終わりと言われるまで張っていられた。
明日は、朝倉くんを止めずに済むだろうか。
的を片づけに行く背中を見ながら、もう少し上手くなりたいと思った。




