↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/41

第4話 四方封陣

 山へ近づくにつれ、空が暗くなった。


 日が沈んだからではない。


 木々の間を黒い霧が流れている。鳥の声も、虫の音も聞こえなかった。


 久世さんが一枚の札を空へ放つ。


 札は鳥の形へ折れ、町の方角へ飛んでいった。けれど、しばらくして黒く焦げた姿で戻ってきた。


「駄目だ。鏡の向こうまでは届かない」


「五人が戻るまで、どれくらいですか」


「早くても夜明けだ」


 黒い霧は、少しずつ山の下へ流れている。


 風に押された霧が、道沿いの木へ触れた。青々としていた葉が端から黒く縮れ、音もなく落ちる。


 久世さんは落ちた葉を拾い、その上へ小さな札を重ねた。札に書かれた文字が淡く光る。けれど光はすぐに濁り、黒い染みが紙の半分まで広がった。


 久世さんの表情から、軽さが消えた。


 道を外れて斜面へ近づき、木々の隙間から山の下を見渡す。遠くに、住宅地の屋根と街灯が見えた。枝はすべて、そちらへ向かって揺れている。


「ここまで流れても、邪気がほとんど薄まってない。風も町へ向かってる」


 久世さんが手の中の札を握り潰す。黒く染まった紙が、乾いた灰のように崩れた。


「みんなを待てない。これが住宅地へ届けば、人間にも影響が出る」


「一人で勝てますか」


「採石場は三方を岩に囲まれている。土地の形そのものを封印に使える」


 久世さんは腰の箱を開けた。


 中には木剣と、束になった札、四本の黒い杭が収められている。


「邪気の量が、そのまま力の強さになるわけじゃない。十年間、霊体を維持して戦ってきたなら、取り込んだ力の多くは消費されているはずだ。四方を封じて動きを止め、核だけを眠らせる」


「タマは消えませんか」


「封印が予定どおり働けば」


「予定どおりじゃなかったら?」


 久世さんは答えなかった。


 採石場へ続く道から外れ、木々に囲まれた窪地で足を止める。ここからは採石場の中が見えない。


 久世さんは四枚の札を地面へ貼り、私を囲むように線を引いた。


 淡い光の壁が立ち上がる。


「ここで待っていて」


「私も行きます」


「君を見たら、タマがどう反応するか分からない」


「私が呼ばないと戻ってきません」


「最初に封印を試す。理性が残っていると分かったら君を呼ぶ」


「祓わないと約束してください」


 久世さんは少しだけ目を伏せた。


「話が通じるかぎりは」


 それ以上の約束はしなかった。


「この札は、結界を保つためのものだ」


 久世さんが四枚のうち一枚へ指を触れる。


「何があっても触らないで。中から無理に壊せば、反動は全部君に返る」


「約束を守ってくれるなら、壊しません」


「厳しいなあ」


 久世さんは困ったように笑い、四本の杭を持って黒い霧の向こうへ消えた。


     ◇ 久世朔


 採石場へ足を踏み入れた瞬間、久世は自分の見立てが甘かったことを悟った。


 黒い霧が、呼吸するように膨らんでいる。


 中央には巨大な猫がいた。


 山の斜面ほどもある体。三毛の毛並みは黒く濁り、その表面には食われた霊たちの顔が浮かんでは消えている。九本に裂けた尾が岩を叩くたび、地面が揺れた。


 赤い目が久世を捉える。


 殺意が大気を軋ませた。


「タマ」


 優香から聞いた名を呼ぶ。


 猫の耳が、ほんのわずかに動いた。


「佐々木さんから話は聞いたよ」


 返事はない。


「君があの子を守ってきたことも分かった。だから、できれば消したくない」


 タマの口が開く。


 奥から漏れた黒い霧が、地面の草を枯らした。


「でも、町へは行かせられない」


 久世は採石場の四方へ黒い杭を打ち込んだ。


 北に玄武。東に青龍。南に朱雀。西に白虎。


 土地を流れる霊気が四本の杭へ集まり、巨大な四角形を作る。


 邪気の総量は想定を超えている。


 だが、量と出力は同じではない。


 十年間も霊体を維持し、外敵と戦ってきたのなら、取り込んだ霊気の大部分は消費されているはずだった。


 そうでなくても、術を一度破られる程度は想定している。


 一重目で動きを止め、二重目で核を眠らせる。


 勝算はある。


 少なくとも、このときの久世はそう考えていた。


「四方封陣、起動」


 四本の杭から光の鎖が伸びた。


 鎖がタマの四肢と九本の尾へ絡みつく。


 タマが身をよじる。


 光の鎖が軋んだ。


「鎮まれ!」


 久世が木剣を地面へ突き立てる。


 岩壁から白い帯が伸び、巨大な体へ幾重にも巻きついた。


 タマの前脚が地面へ沈む。


 赤い目が、ゆっくり閉じ始めた。


「よし。そのまま眠ってくれれば――」


 タマの口が開いた。


 咆哮が採石場を揺らした。


 光の鎖が、内側から一斉に砕け散る。


 術を破られた反動が、久世の右腕を駆け上がった。骨の内側を灼かれたような痛みに、指が開く。


「おいおい……計算が合わないだろ」


 タマの前脚が踏み下ろされる。


 久世は横へ跳び、砕けた岩の雨を障壁で弾いた。弾ききれなかった破片が頬を裂く。


 十年間、優香の霊気を食べていたことは分かっている。


 だが、その大半は存在を維持するために失われたはずだった。取り込んだ邪気も、力に変えられず濁りとして蓄積していると読んでいた。


 違う。


 この猫は、食べた霊気と邪気を、ほとんど余さず自分の力へ変えている。


「だから、十年も一人で守れたのか」


 久世は木剣を握り直し、切っ先へ破邪の光を集めた。


 四方封陣を内側から力で破る相手を、久世一人の力で封じ続けることはできない。もう一度試しても、同じ結果になる。


 次に破られたときは、採石場の中だけでは済まない。


 封印は諦める。


 ここで祓う。


 九本の尾が横薙ぎに迫る。


 久世は三重の障壁を展開した。


 一枚目が割れる。


 二枚目も割れる。


 三枚目ごと、久世の体が吹き飛ばされた。


 岩壁へ叩きつけられ、肺から空気が抜ける。


 口の中へ血の味が広がった。


 立ち上がるより先に、タマの爪が迫る。


 木剣で受ける。


 乾いた音を立て、刀身に亀裂が走った。


 久世は後ろへ跳びながら札を投げる。


 炎が壁となって立ち上がる。


 タマは前脚の一振りで炎を引き裂いた。


「五人がいれば、第二陣まで組めたんだけどな」


 呼び戻そうにも、彼らは鏡の向こう側にいる。


 帰還は夜明けだ。


 右腕は痺れ、木剣も次の一撃には耐えられない。


 それでも、久世は立ち上がった。


 背後の山道には、優香がいる。


 彼女を囲む結界は、久世自身の霊気を通して維持していた。自分が傷つけば、結界の札にも影響が出る。


 不安にさせるかもしれない。


 それでも、結界が残っているかぎり、優香までは届かない。


「ここから先には行かせないよ」


 タマの尾が地面を薙いだ。


 久世は避けきれなかった。


 脇腹へ衝撃が突き刺さり、体が宙へ浮く。


 岩壁へ叩きつけられた瞬間、意識が白く弾けた。


     ◇ 佐々木優香


 足元で、何かが弾けた。


 久世さんが置いていった四枚の札。そのうちの一枚に、赤い染みが浮かんでいた。


 最初は、文字が滲んだのだと思った。


 けれど、染みは紙の中央からゆっくり広がっていく。朱色の文字とは違う、濁った赤だった。


 しゃがんで指を近づける。


 鉄のような匂いがした。


「……血?」


 誰の血なのか。


 どうしてここに現れたのか。


 私には分からない。


 ただ、さっきまで聞こえていた久世さんの声が、いつの間にか消えていた。


 タマの咆哮も聞こえない。


 山の奥が、不自然なほど静かだった。


 光の壁が一度、大きく明滅する。


 鞄の中で御札が熱を持った。


 御札はタマとの霊気のやり取りを遮っている。


 それでも、十年間一緒にいたものまで、すべて消せるわけではなかった。


 胸の奥が痛い。


 何が起きているのかは分からない。


 けれど、このまま待っていれば二人とも帰ってこない。


 そんな気がした。


 私は光の壁へ手を置いた。


 結界はびくともしない。


 久世さんは、中から壊せば反動が返ると言っていた。


 それでも手を離さなかった。


「待ってて」


 体の奥にあるものを、掌へ集める。


 使い方など知らない。


 ただ、タマのところへ行きたいと願った。


 光の壁に細い亀裂が入る。


 掌の皮膚が焼け、血が流れた。


 腕の中で骨が軋む。


 歯を食いしばり、さらに力を押し込む。


 四枚の札が燃え上がった。


 結界が砕ける。


 反動で体が地面へ叩きつけられ、息が止まった。


 それでも立ち上がる。


 焼けた右手を押さえ、採石場へ走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。