第38話 誘いの意味
◇ 佐々木優香
窓ガラスに、携帯を耳へ当てた自分が映っていた。
部活を終えて自分の部屋へ戻り、鞄を机の脇に置いてから電話をかけた。静かな部屋に、呼び出し音が続く。
四回目で、音が途切れた。
『もしもし』
「久世さん。今、お話ししても大丈夫ですか」
『うん。どうしたの?』
声を聞いた途端、何から話すか迷った。
言いたいことは、さっきまで二つだったはずなのに。
「今日、霊気を飛ばす練習をしました」
『へえ。どうだった?』
「最初は、的からずれてしまって。そのあと、出せるだけ出してみることになって……先生の結界が割れました」
『怪我は?』
「誰もしていません。結界は何枚も張ってあって、奥で止まりました。榊先生が受けて、三枝先生もいてくれたので」
『そっか。それならよかった』
机の上で、タマが丸くなる。私はその隣の椅子へ腰を下ろした。
『君の手は? 痛くなったりしてない?』
「大丈夫です。撃ったあとは少し震えていましたけど、今は何ともないです」
空いている左手を開いてみる。
集めていたときは、指の先まで真っ白だった。今は爪の端も、手のひらの線も、はっきり見える。
「力は残っているのに、それ以上集められませんでした。ばらばらになりそうで」
『持っていられる量を超えそうになったんだね。そこで止めて正解だよ』
「でも、あれだけで、あんな音がして」
窓の外は、もう薄暗かった。
ガラスに映った自分の顔から、机へ目を落とす。
「先生が止めてくれなかったら、どうなっていたんだろうって」
『怖かった?』
「……はい」
タマの背中へ手を置いた。
『次も、全力で撃つ予定なの?』
「いえ。量を戻して、狙った方へ飛ばす練習をすると言われました」
『うん。それを続けよう。力を出すことはできたんだから、今度は必要なだけ出せるように』
「私でも、ちゃんと加減できるようになりますか」
『なるよ。今日だって、最初は少なく出せたんだろう? 今は一回ずつ確かめながらでいい。急がなくていいからね』
最初の一発を思い出した。狙いはずれたけれど、土が浅くえぐれただけだった。
『俺も、戻ったら一緒にやる。だから大丈夫だよ』
「……はい」
手のひらの下で、タマの背中がゆっくり上下している。
あの光を思い出すと、まだ怖い。
それでも、久世さんと一緒なら、もう一度やってみようと思えた。
携帯を握る力を、少し緩めた。
「それと、もう一つ相談があって」
『うん』
「別の部の先輩から、家の稽古を見に来ないかって誘われたんです。武器も試せるからって」
『どこの家?』
「鷹宮先輩です。鷹宮将臣さん」
電話の向こうが、少し静かになった。
『誘われたのは、今日?』
「はい。練習が終わってからです。今日の練習も、その先輩が先生に相談してみようって言ってくれて」
合同練習で会ったこと。先輩が手本を見せてくれたこと。帰りに、誰から術を習っているのか聞かれたこと。
順に話す間、久世さんは短く相槌を打っていた。
「家族に陰陽師がいるかも聞かれました。いないって答えたら、一度来てみないかって」
『返事はした?』
「久世さんに相談してから、と言いました。久世さんも一緒に来られるなら、その方がいいそうです」
『分かった』
「行かない方がいいですか」
『まだ、そう決めるほどの話は聞いてないよ。君は行ってみたい?』
考えてから、頷いた。電話だと思い直し、口を開く。
「少し。先輩の撃った霊気は、真ん中だけに当たっていたんです。武器も上手なのかなって。ほかの人の稽古も、見てみたいです」
『それなら、見に行く価値はあると思う。家に伝わる技術や、揃えている道具は、それぞれ違うからね』
鞄からノートと筆箱を出し、ペンを一本取り出した。
久世さんの声が、少し低くなった。
『ただ、その先輩は、君と家との付き合いも作りたいのかもしれない』
「家との付き合い、ですか」
『力のある陰陽師になってもらって、将来は自分の家の仕事を手伝ってほしい。そう考えて、まだ学んでいる人を支援する家もある』
ペンを持ったまま、顔を上げた。
「まだ、習い始めたばかりなのに」
『今できることだけで判断しているとは限らないよ。術は教えられる。でも、君ほどの霊気を持つ人を育てようと思っても、それはできない』
今日、右手を見ていた先輩の顔を思い出した。
私がどれくらい疲れたか、気にしているのだと思っていた。
「あの練習を見たから、誘ってくれたんでしょうか」
『その可能性はあるね。ただ、本人に聞いたわけじゃない。純粋に、練習を手伝いたい気持ちもあるかもしれないよ』
「……両方、ですか」
『うん。教えたいと思うことと、将来、力を貸してほしいと思うことは、一緒にあってもおかしくない』
先輩は、先生に話すときも一緒にいてくれた。的を狙う手本も、進んで見せてくれた。
そのことまで、急に違うものにはならなかった。
「支援してもらうと、その家で働くことになるんですか」
『条件による。道具を貸す代わりに仕事を頼む場合もあるし、学費まで出して、卒業後に入ってもらう場合もある。受ける前に、何を返す約束なのか聞く必要があるね』
ノートを開いた。
空いているところへ、仕事、と書く。
「今の稽古への誘いも、ですか」
『見学に一度行っただけで、働く約束にはならないよ。今回は何をするのか、誰が教えるのか。それを聞けばいい。その先に、続けて来ないかとか、道具を用意しようかという話が出たら、そのときに条件を確かめよう』
「分かりました」
見学、と書き、その下に二つ、聞くことを並べた。
タマが顔を上げる。ペンの動きを目で追い、前脚をノートの隅へ乗せた。
その脚を避けて、もう一つ書き足す。
タマも一緒。
「家の仕事をする以外にも、何かありますか」
『……縁組を考える家もある』
「縁組?」
『結婚して、家族になってもらうということ』
ペンが止まった。
「結婚ですか?」
思ったより声が大きくなった。タマの耳がぴくりと動く。
『霊気の多さは、子供に受け継がれることがあるからね。相手の家柄と同じくらい、本人の力を重く見る人もいる』
「でも、先輩とは、まだ会ったばかりで」
『うん。あの先輩が結婚を申し込むつもりだと、言ってるわけじゃないよ。家へ迎える方法には、そういうものもあるという話』
ペンを持ち直したけれど、続きを書けなかった。
武器を貸してもらう話から、どうして結婚まで考えなければならないのだろう。
今日交換した連絡先が、急に知らない人のものになった気がした。
「そういうことまで考えて、人と話さないといけないんですか」
久世さんは、すぐには答えなかった。
『毎回、全部疑っていたら疲れるよ。ただ、大きな援助を受けるときや、家に関わる約束をするときは、立ち止まってほしい。相手が何を望んでいるか分からないまま、頷かないで』
私はノートを見下ろした。
仕事。見学。タマも一緒。
結婚の文字は、結局書かなかった。
「久世さんだったら、断りますか」
『条件を聞いてから決める。借りられるものは借りるよ。必要な道具を揃えてくれたり、仕事で困ったときに助けてくれたりする相手は、ありがたいからね』
「何でも自分でできそうなのに」
『できないから、いつも五人に手伝ってもらってるんだよ』
すずや、ミコさんたちの顔が浮かんだ。
そばにいるのが当たり前で、仕事をしているときのことを忘れそうになる。
『君は、どんなふうに学びたい?』
私は少し考えた。
タマの邪気を祓えるようになりたい。それは、星守学園へ通い始めてからも変わらない。
けれど、今、ノートを見ながら思い浮かぶのは、部室にいる四人の姿だった。
私の結界が広がると、朝倉くんは足を止める。藤宮先輩は、どこが邪魔になったのか教えてくれる。
できるまで、何度も付き合ってくれた。
「先輩の家の稽古は、見てみたいです。でも、部活の練習も続けたいです。今、一緒にやっていることがあるので」
『うん』
「それに、久世さんにも教わりたいです」
『もちろん。まだ治療と手続きが残ってるけど、そっちへ行けたら、練習を見せてもらうよ』
口元が少し緩んだ。
「じゃあ、何をするのか聞いてみます。行くなら、久世さんも一緒がいいです」
『分かった。日程が出たら教えて。学校の外で稽古をするなら、三枝先生にも相談しよう』
「はい」
聞くことの下へ、日程、と書いた。
まだ、行くと決まったわけではない。
それでも、ただ返事を待たせているだけの状態からは、一つ進んだ。
◇
電話を切ってから、鷹宮先輩との画面を開いた。
挨拶と、その下に自分で送った猫の絵が残っている。
相手の名前を見ると、久世さんの言った結婚という言葉が、また頭をよぎった。
慌てて、ノートへ目を戻す。
今、誘われているのは稽古だ。
知らないことを、一度に全部決めなくていい。
『お誘いありがとうございます。久世さんに相談しました。どんな稽古をするのか、教えていただけますか。見学に伺うなら、久世さんも一緒にお願いしたいです』
読み返してから送った。
タマがノートから脚を下ろし、私の膝へ移ってくる。
少しして、携帯が震えた。
『分かった。師匠と一緒に来てもらえる日を、家に聞いてみる。稽古の内容も確認してから連絡するよ』
続けて、もう一つ。
『見たい武器はある?』
刀、と打ちかけた。
朝倉くんに持たせてもらった模擬刀は、思ったより先が重かった。先輩なら、あれをどんなふうに振るのだろう。
『刀を使うところを見てみたいです』
今度は、迷わずに送れた。
ノートを閉じる。
鷹宮の家で何を見られるのか、まだ分からない。私に何を期待しているのかも。
それは聞きながら、考えていこう。
明日の部活では、朝倉くんの動きを止めずに結界を張りたい。
膝の上のタマを撫でてから、明日の時間割を確かめるために鞄へ手を伸ばした。




