第37話 初めての全力
「佐々木さん、今、少しいいか」
翌日の放課後、部室へ行こうとしたところで呼び止められた。
階段を上がってきた鷹宮先輩が、踊り場で足を止める。
「はい」
「昨日、聞きそびれたんだけど。攻撃の術は、何か習ってる?」
鞄の持ち手を握り直した。
「破邪九字と、身体強化は教わりました。武器は、まだ持ち方くらいです」
「霊気をそのままぶつけるのは?」
「……あります。でも、練習ではなくて」
真帆の額を伝った血が、頭に浮かんだ。
先輩は少し待ってから、口を開いた。
「昨日の結界、あれだけ霊気を使って、最後まで疲れた様子がなかっただろ。攻撃に使っても、かなり強いと思うんだ」
「結界でも、あんなに広がってしまうんです。攻撃に使ったら、周りまで巻き込みそうで」
「それなら、先生に見てもらおう。どれくらい広がるのか分かれば、使い方も考えられると思う」
先輩は部室の方を見た。
「一緒に相談しに行かないか」
足元で、タマが私を見上げている。
あのときとは違う。
先生に見てもらって、自分が何をできるのか確かめる。
「……分かりました。お願いします」
◇
三枝先生は、私と先輩の話を聞くと頷いた。
「まずは少ない量で、狙ったところへ飛ばせるか確かめましょう。場所と、立ち会ってもらう先生の予定を確認します。今日はいつもの練習をしていてください」
二日後の放課後、準備ができたと三枝先生に呼ばれた。
榊先生も立ち会うことになり、私はタマと一緒に、校舎の裏手にある建物へ案内された。
廊下の突き当たりには、厚い扉がある。
中は、細長い部屋だった。奥の壁際に土を詰めた大きな木枠が据えられ、その手前には何枚もの札が貼られている。床にも壁にも、黒い線で模様が描かれていた。
窓はない。
入口側だけが一段高くなっていて、見学するための場所だと教えられた。
鷹宮先輩は既に来ていた。朝倉くんたち四人も、授業で使うノートを持ってそこに並んでいる。
私は三枝先生に呼ばれ、床の目印の上へ立った。
「最初は手のひらに集めるだけです。量を見てから、放ってもらいます」
「はい」
「タマは、こちらで待っていてね」
タマを見学場所へ連れていく。藤宮先輩が空けてくれた椅子へ乗せると、その場に座った。
降霊はしない。
今日は、自分の力だけを使う。
目印へ戻る間に、榊先生が奥の木枠を囲む結界を張った。三枝先生は見学場所と練習場所を隔て、それから私の斜め後ろへ立つ。
「私たちは後ろにいます。手は的の方へ向けたままにしてください」
顔を上げる。
木枠の中央に、白い丸が描いてあった。
その向こうにも、横にも、人はいない。
「まず、俺がやってもいいですか」
鷹宮先輩が手を上げた。
先生が許可を出し、私はいったん見学場所へ戻った。
先輩は目印に立つと、片手を前に出した。
手のひらに光が集まる。
合同練習で見た火とは違う。白く、薄く震えている。
「これくらいで」
三枝先生に言われ、先輩が頷いた。
腕を押し出すように動かす。
光が細く伸び、白い丸の真ん中を貫いた。
鈍い音が響く。土が跳ね、木枠を囲む結界に当たって落ちた。丸の縁はほとんど残っているのに、中央だけが深くえぐれていた。
「火にしなくても、当てればこうなる」
先輩が振り返る。
「ただ、途中で散りやすい。遠くへ飛ばすなら、術にした方が俺は楽だ」
穴の奥は、ここからでは見えなかった。あれだけ深く届いても、周りの土は崩れていない。
榊先生が的の状態を確かめてから、私と先輩が入れ替わる。
目印に立ち、右手を前へ出した。
背中に視線を感じる。
手のひらへ、霊気を集めた。
◇
白い光が、指の間からこぼれる。
思っていたより丸くならなかった。手のひらの外へ広がり、端が薄く揺れている。
「そのまま、まだ放たないで」
三枝先生の声に頷く。
形を整えようとすると、真ん中ばかりが明るくなる。
「量は、それで十分です。今から、前へ押し出してください」
白い丸を見た。
腕を伸ばす。
光は、先輩のときのようには飛ばなかった。
手を離れた途端に大きく広がり、丸い的の周りまで照らす。
身構えたところで、音がした。
木枠の中の土が、浅く、広くえぐれていた。
白い丸は半分ほど残っている。狙った真ん中より、少し右へずれていた。
「……曲がりました」
「手首が右へ向きましたね。次は、今よりゆっくり腕を出しましょう」
身体は、何ともなかった。
肩を回したい気もしたけれど、手を前に向けたまま待つ。
榊先生が、的の前に結界を張った。その奥にも、間を空けてもう一枚。床の札を確かめながら、同じように重ねていく。
「次は、今出せる全力で撃ってみよう。的ではなく、この結界で受ける」
私は奥に並ぶ結界を見た。
「力は少しずつ集めて。放つのはこちらが合図してからだ。持っていられなくなりそうなら、その前に言ってほしい」
「はい」
再び、光を集める。
最初と同じくらい。
そこから、霊気を足していく。
指が見えなくなる。
まだ、形は揺れている。ただ、光の中心は濃くなった。
白い光が肘まで照らす。もう少し、と力を送ると、手のひらに収めていた光が大きく膨らんだ。
後ろで、靴底が床を擦った。
「三枝先生、後ろをお願いします」
「はい」
見学場所の前に、結界がもう一枚立ち上がる。榊先生は札を両手に挟み、短く何かを唱えた。奥に並んだ結界の縁が、赤く染まっていく。
私は的へ目を戻した。
もっと。
胸の奥から腕へ、霊気を送り続ける。抑えないようにすると、今度は手元でばらばらになりそうだった。右手に左手を添え、前へ向ける。
指先が震え始めた。
まだ力はある。けれど、これ以上を一緒に放とうとしたら、腕を動かす前にこぼしてしまう。
「……これで、いっぱいです」
榊先生が私の手元を見て、それから結界へ視線を移した。
「よし。そのまま前へ」
両腕を押し出した。
目の前が、白くなった。
破裂するような音が胸を叩いた。光の中で、最初の結界が砕ける。
その奥で受け止められた光が、壁際まで広がった。床が足の裏を突き上げ、膝が曲がる。
「足を踏ん張って!」
三枝先生の声に、どうにか体を支えた。
光は、まだ消えない。
二枚目の結界が奥へ押し込まれていく。その縁を走った亀裂から、さらに向こうの結界へ白い光が噴きつけた。
榊先生が低く声を張った。
腕は前に向けたまま、声のした方へ顔を向ける。
両手の札が真っ赤に光る。先生は足を開いて踏みとどまり、結界から目を離さない。こめかみから汗が流れた。
床と壁の模様が、一斉に赤く灯る。
前へ目を戻すと、結界のたわみが止まっていた。
左右へ広がっていた光が少しずつ薄れ、奥の木枠が見えてくる。土は残っている。その手前では、ひび割れた結界がまだ細かく震えていた。
音が止んでも、耳の奥の響きは消えなかった。
「手を下ろしていいよ」
言われて初めて、両腕を下ろした。
指を曲げる。
震えが残っている。けれど、握って開くことはできた。
耳の奥に残るあの音を、自分が出したのだ。
「先生、大丈夫ですか」
「大丈夫。こちらへ戻っておいで」
榊先生は大きく息を吐き、札を下げた。片方の札は端が焦げ、指の間で崩れた。
三枝先生が私の顔と手を確かめてから、見学場所へ通してくれる。
朝倉くんが椅子の背から手を離した。水野くんは床に落ちたノートを拾い、何も言わずに奥の結界を見ている。
タマが椅子から降りてくる。
抱き上げると、胸元にいつもの温かさがあった。
「佐々木さん」
鷹宮先輩が、私の右手を見ていた。
「まだ、霊気は残ってる?」
「はい」
自分の内側へ意識を向ける。
「結界の練習を終えたときより、残っている感じがします」
先輩が黙った。
「あの、何か間違えましたか」
「いや」
一度、奥の的へ目を向けてから、先輩は首を振った。
「俺が思っていたより、ずっと多かった」
三枝先生が、手元の紙に何かを書き込んだ。
「今日はここまでです。今の出し方だと、的の周りにも霊気が広がります。次は量を戻して、狙った方向へ放つ練習をしましょう」
頷く。
できた、という気持ちより先に、あの光の広さが浮かんだ。
誰かが隣にいたら。
タマが、腕の中で身じろぎした。
私はその背中へ手を添えた。
◇
片づけが終わると、朝倉くんたちは先に部室へ戻った。私は三枝先生から次の練習日を聞き、鞄を取りに行く。
入口にいた鷹宮先輩が、歩調を合わせてきた。
「教えている先生は、三枝先生だけ?」
「普段は三枝先生です。ここに来る前から教わっている師匠もいます」
「誰に?」
「久世朔さんです」
先輩が名前を繰り返す。
「家の知り合い?」
「いえ。タマのことで助けてもらって、それからです」
「そうか。家でも術を習っていたのかと思った」
「いえ。術を習い始めたのは、久世さんに会ってからです」
「家族に陰陽師はいないのか?」
「はい。両親も違いますし、親戚にも、そういう人がいるとは聞いたことがありません」
先輩は少し考えるように口を閉じた。
「それなら、一度うちの稽古を見に来ないか」
「先輩の家に、ですか?」
「うん。家で使っている稽古場がある。武器もいろいろ揃ってるから、合うものを試せると思う。俺から紹介するよ」
武器の持ち方を教わっているところだと、二日前に話したのを覚えていてくれたらしい。
「でも、私がお邪魔してもいいんですか」
「俺が誘ってるんだから。日が決まったら、家には話を通しておく」
刀も槍も、まだ借りて構えてみた程度だ。ほかの人がどう使うのか、見てみたくはあった。
けれど、学校の外で術を習う約束を、自分だけで決めていいのだろうか。
「久世さんに相談してからでもいいですか」
「もちろん。師匠にも来てもらえるなら、その方が話は早いと思う」
先輩が携帯を取り出した。
「連絡先、交換しておこうか。返事は急がなくていいから」
私も鞄から携帯を出す。連絡先に増えた鷹宮先輩の名前を確かめて、頭を下げた。
「ありがとうございます。聞いてみます」
「うん、待ってる」
携帯をしまうと、先輩が扉を押さえてくれた。
「今日は見せてくれてありがとう。結界の練習も、また一緒にやろう」
「はい。ありがとうございました」
外へ出ると、風が頬に触れた。
木枠の土がへこんだところと、白い光を受け止めた結界。二つが頭の中に残っている。
失敗したら、と思うと怖かった。
でも、何が起こるかを見ないまま、上手く使えるようにはなれない。
今日の練習と、先輩からの誘い。久世さんに話したいことが、二つになった。
私は鞄を持ち直し、タマと校舎へ向かった。
◇ 鷹宮将臣
佐々木優香の姿が校舎の中へ消えてからも、将臣はしばらくその場に立っていた。
多いとは思っていた。
合同練習では、あれほど厚い結界を何度も張り直していたのだ。自分より余裕があるのだろう、と。
撃つところを見れば、助言できることもあると思っていた。実際、最初の一発は手元から散り、狙いも外れていた。
だが、二発目は。
将臣は、椅子の背を掴んでいた手を開いた。
榊の結界は、自分の火をまともに受けても破れない。今日も何重にも備えていた。その一枚目が、受け止めた瞬間に砕けた。
踏ん張った榊の足。両手に握られた札。あれほどの声を出して結界を支える姿は、練習では見たことがなかった。
しかも、彼女は力を使い果たしていない。
集めきれなかったのだ。まだ残っている力を、あの一発に乗せられなかっただけで。
狙い方や、散らさずに飛ばす方法なら教えられる。だが、すべてを扱えるようになった彼女が何を撃ち出すのかは、想像がつかなかった。
鷹宮の家に知らせれば、必ず会わせろと言われる。
霊気は血筋に受け継がれる。優れた術者を家へ迎えることは、今いる者の助けになるだけではない。
陰陽師ではない両親。名門の家同士を結ぶ縁にはならず、親族の術者や仕事のつても得られない。
それでも、彼女の力は、その不足を補って余りある。
人が足りない。彼女の霊力を考えれば家も欲しがる。
稽古への誘いは、そのための一歩だった。道具も、教える人間も、鷹宮なら用意できる。一度来てもらえれば、家の者に彼女を紹介する機会も作れる。
その先のことも、考えなかったわけではない。
自分と、彼女。
縁組の相手として考えれば、申し分のない才能だった。
将臣は、校舎へ向けていた目を伏せた。
彼女について知っているのは、まだわずかだ。練習に真剣で、礼を欠かさず、猫を大切にしている。それだけで、一緒に暮らす相手としてまで分かったつもりにはなれない。
それに、師匠がいる。
誰にも属していない力を見つけたつもりでいたが、彼女は既に、自分で教わる相手を選んでいた。
名を尋ねたときも、答えに迷いはなかった。
誘いへの返事も、まず師匠に相談するというものだった。
久世朔。その人がどう受け取るかで、話は変わるだろう。
家の者に調べさせる必要がある。どこで術を学び、誰と仕事をしてきた人物なのか。自分には聞き覚えのない名でも、鷹宮の付き合いを辿れば知る者がいるかもしれない。
師匠のことを何も知らずに、弟子を家へ誘い続けるわけにはいかなかった。
将臣は携帯を取り出した。交換したばかりの連絡先を開き、稽古に誘った鷹宮だと短く送る。
すぐに、挨拶と猫の絵が返ってきた。
将臣は口元を緩めてから、画面を閉じた。
会いに来てほしい。鷹宮が彼女に何を渡せるのか、自分の目で見てもらいたかった。
携帯をしまい、部室へ戻った。




