第36話 合同練習
朝倉くんが、扉を開ける前に運動着の袖をまくった。
「よし」
小さな声だったけれど、隣にいたので聞こえた。
「朝倉くん、合同の練習はよくやるの?」
「ときどき。向こうの先輩、火の術がすごく上手いんだ」
そう言って開けた扉の向こうには、知らない生徒たちがいた。
降霊を確かめた日から、三日が経っていた。
今日は二つの部で一緒に練習すると、三枝先生から聞いている。いつもの練習室ではなく、一階の奥にある広い部屋だった。
窓には内側から札が貼られ、床の中央は何も置かれていない。壁際には、的や長い棒、蓋のついた箱が並んでいる。
その箱を運んでいた男子生徒が、こちらを向いた。
「蓮、今日はよろしくな」
「よろしくお願いします」
箱を置くと、その人は私へ目を向けた。
背が高く、姿勢のいい人だった。目が合うと、私も自然と背筋が伸びた。
「新しく入った人?」
「はい。佐々木優香です。二年です」
「鷹宮将臣。三年。よろしく」
はっきりした声だった。
私が頭を下げると、鷹宮先輩は朝倉くんへ向き直った。
「先輩の練習、見せてもらってもいいですか。火を曲げるところを見たくて」
朝倉くんが聞いた。
「もちろん。あとで一緒にやろう」
鷹宮先輩は頷き、次の箱を取りに行った。
朝倉くんが、その背中を目で追う。
「さっき話したの、あの先輩。俺と同じ、火の術を使うんだ」
声には、少し悔しそうな響きが混じっていた。
向こうには、ほかにも四人いた。相馬先輩たちは顔を知っているらしく、練習道具を出しながら話している。
遅れて入ってきた三枝先生が、榊先生へ声を掛ける。
「始める前に、佐々木さんと自己紹介を済ませましょう」
中央へ集まり、私は改めて名前と学年を伝えた。まだ挨拶をしていなかった四人も、順に名乗ってくれる。
「斎賀琴音です。一年です。よろしくお願いします」
長い髪を後ろで一つに結んだ女の子が、丁寧に頭を下げた。
「よろしくね」
ほかの三人も、順に名前と学年を教えてくれた。私はそのたびに「よろしくお願いします」と頭を下げた。
全員との挨拶が終わり、少し息をつく。足元には、タマが座っていた。
私は先生へ向き直り、説明を待った。
◇
最初の練習は、二人一組だった。
守るのは、床に置かれた木の人形。片方が先生の投げる球を防ぎ、もう片方が宙を動く三枚の札を狙う。
球は柔らかい布製で、人形に当てさせなければよい。榊先生が攻撃役の術を一人ずつ確認してから、練習が始まった。
「佐々木さんは、まず見ていてください」
三枝先生に頷き、見学用の結界の後ろへ下がる。
タマは私の隣に座った。
前へ出たのは、鷹宮先輩と琴音さんだった。
琴音さんが人形の後ろに立つ。鷹宮先輩は、その右側。
榊先生の指が動くと、三枚の札が部屋の奥へ散った。
同時に、三枝先生が球を投げる。
琴音さんが片手を上げた。
床に用意されていた土の塊が持ち上がり、人形の前で壁になる。球が当たり、ころりと床へ落ちた。
壁は人形の正面だけを覆い、鷹宮先輩が札を狙う右側は空いていた。
鷹宮先輩の手元で、三つの火が生まれた。
それぞれ別の札へ飛んでいく。左の札が逃げるように上がると、追っていた火も曲がった。
右で一枚が燃えた。
ほとんど同時に、真ん中と左の札にも火がつく。
燃え残りが床へ届く前に、榊先生が次の三枚を放った。
鷹宮先輩は、もう次の火を作っていた。
その間にも、三枝先生が立つ位置を変えながら球を投げていた。
琴音さんの壁が二つに分かれる。一つは正面、もう一つは少し左へ。違う角度から来た球が、それぞれの壁に当たった。
球が飛んでくる位置に合わせて、壁の高さや幅が変わる。それでも、鷹宮先輩が火を放つ場所を塞ぐことはなかった。
鷹宮先輩は壁を気にせず、最後の一枚を火で追っていた。札が燃え上がる。
「そこまで」
榊先生の声で、火が消えた。
琴音さんが手を下ろすと、土の壁も崩れず、まとまった塊のまま床へ戻った。
人形には、一度も球が触れていなかった。
「……速い」
口にすると、朝倉くんが頷いた。
「あれを同時に動かせるんだよな。俺、一つ曲げようとすると、ほかが疎かになるんだ」
鷹宮先輩は人形の脇に落ちた球を拾い、三枝先生へ返していた。
息も、乱れていない。
「次、蓮」
榊先生に呼ばれ、朝倉くんが立ち上がる。
藤宮先輩も前へ出た。
藤宮先輩が人形の後ろに立ち、朝倉くんが右側に構えた。
藤宮先輩の土の壁に、最初の球が当たった。
朝倉くんの火が、一枚目を捉える。間を置かず次を放ち、二枚目にも届いた。
三枚目は、右へ大きく逃げた。
火が追う。曲がりきれず、札の下を通り過ぎる。
朝倉くんはその火を消して、もう一度放った。
届いたときには、新しい三枚が散り始めていた。
朝倉くんは、遠くへ離れた札に手を向けたが、すぐに狙いを変えた。近くを横切った一枚へ、火を放つ。
藤宮先輩が壁を動かす。
二人の練習が終わったときも、人形には球が当たっていなかった。
けれど朝倉くんは、戻ってくるなり息を吐いた。
「最後、二枚残った」
「遠い方、追うのをやめたのはよかった」
鷹宮先輩が言った。
「でも、先輩は遠い方にも届いてましたよね」
「途中で消えないように、霊気を多めに使ってるからな」
朝倉くんは自分の手を見た。
「あの勢いで何発も撃ったら、俺はすぐ息切れします」
「三枚目、曲げ損ねただろ。あそこで撃ち直さずに済めば、もう少し余裕ができる。あとで、そこをやろう」
「お願いします」
朝倉くんは、火が逸れた辺りを見ながら頷いた。
次に呼ばれた水野くんは、向こうの部の男子生徒と前へ出た。二人で人形の位置を確かめ、水野くんが攻撃役に回る。
相馬先輩は、眼鏡を掛けた生徒と次の順番を待っていた。人形を指しながら、どちら側から術を放つか話している。残る一人はその隣で、水野くんたちの練習をノートに書き留めていた。
水野くんたちに続いて相馬先輩たちが練習を終えると、三枝先生が休憩を告げた。
◇
休憩になり、土を戻す琴音さんのそばへ行った。
「さっき、壁を二つに分けてたよね。別々に動かすのって、難しくない?」
聞くと、琴音さんは箱に添えていた手を止めた。
「最初は、両方一緒に動いてしまいました。慣れるまでは、一つを止めておく練習ばかりでした」
「私、結界に霊気を足すと、全部広がっちゃって。藤宮先輩にも、よく見てもらってるんだけど」
琴音さんは床の土へ目を落とした。
「土の術でよければ、やってみせますね」
指を添えると、土の塊が分かれ、二つの小さな壁になった。
右の壁だけが横へ動く。左は形を保ったまま、その場に残っていた。
「片方だけ動かしても、もう片方は崩れないんだね」
「はい。止めている方にも、霊気は通したままです」
自分の結界を思い浮かべる。
一枚の幅を保つだけでも難しいのに、琴音さんは二つを同時に見ている。私も、動かしたくない方をそのままにしておけるようになりたい。
「見せてくれて、ありがとう」
「いえ」
土が箱へ収まる。
蓋を取って渡すと、琴音さんは両手で受け取った。
「ありがとうございます」
そこで言葉が途切れた。
もう少し話したかったけれど、何を聞けばいいのか迷う。
タマが私の足の間を通り、箱のそばに座った。
琴音さんが箱の蓋を閉じる。けれど、持ち上げようとした手が止まった。
タマが前脚を伸ばし、大きくあくびをしていた。
「……名前、何というんですか」
「タマだよ」
「タマちゃん」
小さく呼ぶと、タマが顔を上げた。琴音さんの口元が緩む。
「撫でてもいいですか」
「うん。手を近づけてみて」
琴音さんがしゃがみ、そっと指を差し出した。タマは鼻を寄せてから、その手に頬を擦りつけた。
「あ……」
「顎の下、好きなんだ」
指先が顎へ移ると、タマは目を細めた。喉を鳴らす音が聞こえる。
琴音さんは顔をほころばせたまま、しばらく撫でていた。
「猫、好きなの?」
「はい。見かけると、つい目で追ってしまって」
さっきまでより、少し柔らかい声だった。
タマが琴音さんの手へ頭を押しつける。もう一度背中を撫でてから、琴音さんは手を離した。
「……箱、戻さないと」
立ち上がり、運動着の膝を払う。
「では、これを戻してきます」
「うん」
箱を抱えて離れていく背中を見送る。私はタマと、朝倉くんたちのいる場所へ戻った。
休憩が終わると、朝倉くんは鷹宮先輩に火の曲げ方を教わっていた。榊先生が動かす一枚の札を、小さな火が追っていく。私は結界の外からそれを見ていた。
そのあと、まだ順番の来ていなかった一人が、ノートを閉じて立ち上がった。藤宮先輩と組み、人形を守る位置に入る。今度は攻撃役に回った先輩が、相手と声を掛け合って練習を始めた。
◇
後半、私も人形の後ろに立った。
組むのは朝倉くん。三枝先生が、私の右側に白いテープを貼った。
「佐々木さんたちは、札も球も一つずつにします。速さも落としますから、術を確かめながらやってください」
「はい」
人形の向こうへ結界を張る。速さを落としてもらっていても、うまくできるかと思うと指に力が入った。
右側に、朝倉くんがいる。
通すのは、火。
榊先生が札を放った。部屋の奥には、それを受け止める結界が張られている。
朝倉くんの手に火が灯る。そちらへ目を向けかけたところで、正面から球が来た。
結界に当たり、落ちる。
霊気を足した拍子に、右の端が広がった。
「右、少し戻せる?」
朝倉くんの手には、まだ火がある。
「待って」
端を見る。
全部を横へ動かさない。人形の前は、そのまま。
右端が白いテープの内側へ戻る。
「いいよ」
火が飛んだ。
札は、もう遠かった。
朝倉くんは深追いせず、途中で火を消した。
「ごめん」
「大丈夫。次、狙おう」
正面へ目を戻す。
最初の札が奥の結界で止まると、榊先生が次を放った。
球が飛んできた。結界が受け止める。
当たったところばかりを見ないように、右端も確かめた。
少し広がっている。でも、通り道までは塞いでいない。
「右、撃っても大丈夫?」
「うん」
短い返事のあと、私の右側を火が抜けた。
札の端が赤くなる。
燃え落ちるところを見たくて、顔がそちらへ向いた。
「正面」
三枝先生の声で、正面へ向き直る。
次の球は、もう目の前だった。
慌てて霊気を足し、結界が大きく膨らんだ。
人形は守れた。
右側は、また塞がっていた。
◇
練習を終えたあと、私は白いテープのそばにしゃがんだ。
今日も、右端を何度も直した。
隣へ来た朝倉くんが、落ちていた球を拾った。
「一枚、取れたね」
「うん。でも、そのあと、また塞いじゃった」
「でも、二回目は塞がなかった。あのときは、すぐ撃てたよ」
白いテープを見る。
球が当たっても、通り道が残っていたとき。
ずっとはできなかった。でも、一度は、できた。
「……あれを、続けてできるようになりたい」
「うん。また合わせよう」
私は頷き、足元の球を拾った。
向こうでは、鷹宮先輩が榊先生に、最後の練習をもう一度やりたいと頼んでいた。
「今日は終わり。片づけだ」
「あと一回だけ」
「続きは次回。まず、床の土を片づけてくれ」
先輩は名残惜しそうに練習場所を見てから、土を集めるための箱を持ち上げた。
朝倉くんが笑う。
「あれ、毎回なんだよ」
私も、少し笑った。
琴音さんが空の箱を持ってきたので、集めた球を入れる。
「琴音さん、今日はありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
琴音さんは小さく頭を下げ、次の球を拾いに行った。
箱の中で転がった球を、タマが目で追っていた。




