第34話 結界術
翌日の放課後、練習室の床には、赤いテープが二本貼られていた。
間は、両手を広げたくらい。私は二本のテープから一歩下がり、その間に向き合った。三枝先生は少し離れた場所から幅を確かめた。
「今日は、この二本の間に結界を張ります。高さは佐々木さんの頭まで。まずは、前を塞ぐ壁だと思ってください」
足元と、自分の正面を交互に見る。
昨日、藤宮先輩が張っていた結界を思い出した。
先生は札を一枚、私に渡した。
札の縁に沿って、四角い枠が墨で描かれていた。昨日の適性を調べる札とは違う模様だった。
「今回は、札の術式を使って張ります。霊気を通して、どこに結界を作るのかを決める。札は手から離さないでくださいね」
「はい」
先に先生が、同じ模様の札で見本を見せてくれた。
床の目印に沿って光が伸びる。薄い膜が立ち上がり、ちょうど私の目の前を塞いだ。
札を持つ位置。指先から流す霊気。膜の立つ場所。
順番に教わり、先生が見本の結界を解いてから、場所を交代した。
今日は運動着に着替えていた。袖口を直し、札を持つ。
壁際では、朝倉くんたちが待っていた。相馬先輩の隣にタマが座っている。
誰もいない正面を、もう一度確かめた。
ここから、ここまで。
二本の赤い線を、結界の左右の端にする。その間に壁を思い描き、札へ霊気を通した。
正面に白い膜が立ち上がった。
できた、と思った。けれど、膜の左右の端は赤い目印を越えて、まだ外へ広がり続けていた。
「そこまで。もう広げないで」
先生の声に、息が止まった。
広げているつもりはなかった。
それでも、上の端は私の頭より高いところにある。横幅は、二本の目印の間隔の倍以上になっていた。
先生が正面へ回り、結界の向こうから手を上げた。
「私の手が見えますか」
「見えます」
「この高さまで。いったん流す量を減らしてみてください」
指先へ向けていた力を緩める。
膜の上端が揺れた。少し下がって、止まる。
その代わり、右側の光が薄くなった。
慌ててそちらへ霊気を送ると、右の端だけが外へ膨らんだ。
「あ……」
「大丈夫。いったん解きましょう」
霊気を止める。
大きな膜が消え、先生の姿がはっきり見えた。
赤いテープは、思っていたよりずっと内側にあった。
「すみません」
「結界は張れていますよ。次は、最初に出す量を減らしましょう」
先生が、目印の上を靴の先で示した。
私は頷き、札を持ち直した。
◇
三度目には、端が赤い線の近くに収まった。
ただ、真ん中だけが妙に白い。
向こうに立つ先生の顔は見えるのに、胸のあたりが霞んでいた。
「中央に集まっていますね。左側へも、少し回せますか」
左を見る。
膜が薄く、床の模様までよく見えた。そこへ霊気を送る。
今度は右が気になった。
右を補うと、左がまた薄くなったように見える。
両方を保とうとしているうちに、指先へ流す量が増えていった。
白い光が濃くなる。
「佐々木さん。霊気はそれ以上増やさず、そのまま保ってください」
「はい」
先生は結界の端から、こちら側へ戻ってきた。
「苦しくありませんか」
「大丈夫です」
札を持つ指には力が入っていたけれど、まだ続けられた。
先生が膜へ手を近づける。指先に淡い光が灯り、結界に触れた。
触れた場所が、わずかにへこんだ。
へこんだところを見て、とっさに霊気を足してしまった。
へこみが戻る。
先生の指が離れた。
「今、私が触れたところへ集めましたか」
「そこだけに流したかったんですけど……結界全体に霊気を足してしまいました」
結界の向こうは、さっきより見えにくくなっていた。
先生が頷く。
「ええ。それで押し返せています。まだ、かなり偏っていますが」
「これでも、守れるんですか」
「今の強さなら。薄いところも、簡単には抜けません」
薄く見えた左側へ目を向けた。
私は、そこから破れるのだと思っていた。
「一度解いて、手を休めましょう」
結界を解き、札を反対の手へ持ち替えた。指を一本ずつ伸ばし、手首を軽く回す。
指のこわばりがほぐれてきたころ、朝倉くんが立ち上がった。
「先生。俺、当ててみてもいいですか」
三枝先生は、先に私を見た。
「今の結界で、一発だけ受けてみますか。私もそばにつきます」
昨日見た炎を思い出す。
怖くない、と言ったら嘘になった。
「……お願いします」
朝倉くんが正面へ回った。ほかの三人は先生に言われ、さらに離れる。タマも相馬先輩についていった。
「さっきと同じ場所へ張ってください。蓮は、私が合図をしてから」
札へ霊気を流す。
膜が立ち上がる。少し幅が広かったけれど、先生は端を確かめて頷いた。
「蓮、弱く一発」
「はい」
朝倉くんの手元に、火が灯った。
来る。
思わず札を握り込む。
炎は私の胸の高さで結界に当たり、横へ散った。
熱は来なかった。
白い膜の表面を小さな波が走り、それもすぐ消えた。
私は、まだ札を構えていた。
「止めて大丈夫ですよ」
先生に言われて、ようやく霊気を引っ込める。
向こうで朝倉くんが、火の消えた手を下ろした。
「……ほとんど揺れなかったな」
足元を見る。焦げ跡もない。
本当に、防げた。
「最初の練習で、あれを張れるんだ」
朝倉くんは赤い線の前まで来ると、結界があった空間を見た。
何と返せばいいか迷っている間に、先生が口を開いた。
「今日は受ける練習はここまでにしましょう」
「はい」
朝倉くんは頷いた。それから、私を見る。
「また受ける練習するとき、呼んで」
「うん。ありがとう」
返事をすると、朝倉くんは壁際へ戻っていった。
札を持つ手を開く。
少し汗ばんでいた。
◇
次は、結界を張る位置より私側の床に、小さな木片が一つ置かれた。
左右の赤い線の、ちょうど真ん中だった。先生は右の線の外側に、白いテープを二本、平行に貼った。その間を延長した先へ、的にする板を置く。
「この木片を、守る相手だと思ってください。正面からの攻撃を結界で防ぎます」
三枝先生が言う。
「右側は、味方が攻撃できるように空けてください。白いテープの間を通して、あの的を狙います」
結界を張る。
木片の前に膜が立ち上がった。けれど、右端が赤い線を越え、白いテープの間まで塞いでいる。
先生が私の右隣に立ち、的を指した。指先と的の間に、私の結界があった。
私は結界を解いた。
「……塞いでました」
「そうですね。次は右の端を、少し内側へ」
やり直す。
強くするより、狭くする方が難しかった。
薄いところが気になると、つい霊気を足してしまう。すると、端まで広がる。小さくしようとして膜全体を動かしてしまい、木片の前が空いてしまうこともあった。
藤宮先輩が、先生と交代で隣に来た。
「真ん中ばかり見てるね」
「薄くなってないか、気になって」
「厚さは今のままで大丈夫。次は端を合わせてみよう」
左右の目印を見る。
右を直すと、左が少し広がった。
全部解いて張り直しかけて、思いとどまった。
左の端だけ。
札を握る指を緩めながら、光の縁が目印へ戻るところを思い浮かべた。
膜の左端がゆっくり内側へ戻り、赤い線の少し外で止まった。
「そこで保って」
藤宮先輩が私の右隣に立った。先生から受け取った小石を手のひらに乗せ、的へ向ける。
先生が射線に誰もいないことを確かめ、頷いた。
小石が先輩の手から浮き、前へ飛んだ。結界の右脇を抜け、的に乾いた音を立てて当たる。
膜は、まだ立っていた。
「うん。これなら狙える」
先輩が的から私へ顔を向けた。
それを見て、私も息を吐いた。
木片の正面には、結界が残っている。
守る相手と、仲間の攻撃が通る場所。
両方を見ながら張るだけで、額に汗がにじんでいた。
終わりの時間には、何度目の練習だったか分からなくなっていた。先生に声を掛けられ、最後の結界を解く。
タマが歩いてきて、私の足元に座った。
「お待たせ」
しゃがんで背中を撫でる。
まだ、霊気は出せそうだった。それなのに、赤い線を見続けた目は重く、肩にも力が残っていた。
「明日も、同じ練習ですか」
三枝先生に聞く。
「ええ。まずは今の幅を、自分で決めて張れるようにしましょう」
「はい」
藤宮先輩が、床の木片と的を片づけていた。
その横を朝倉くんが通り、水野くんが練習用の札を拾っていく。
さっきまで結界があった場所を、皆が行き来している。
攻撃を防ぐことばかり考えていた。同じ結界で、仲間の術まで遮ってしまう。
次は、右側を空けたまま張りたい。
私は立ち上がり、手に残っていた札を先生へ返した。




