第31話 普通の学校
第一話 普通の学校
◇ 佐々木優香
校門の前で立ち止まると、後ろから来た男子生徒が私を追い越した。
「今日、小テストだっけ」
「昨日も言ったじゃん」
「範囲どこ」
隣の生徒が呆れた声で答える。二人は鞄を揺らしながら、昇降口へ走っていった。
グラウンドから笛の音がする。
校舎の窓には、換気のためか、いくつか開いているものがあった。正面玄関の横には、部活動の大会結果を知らせる看板が並んでいる。
星守学園高等部。
門柱の文字と、目の前の校舎を見比べた。
冊子で見たとおりだった。
けれど、実際に制服姿の生徒たちが通り過ぎていくと、少し拍子抜けしてしまう。
「どうしたの?」
隣で相良さんが足を止めた。
「普通の学校みたいで」
「普通の授業も受けてもらうわよ」
「術ばかり習うんじゃないんですか」
「それでは高校を卒業できないでしょう」
もっともだった。
腕の中でタマが首を伸ばしている。
あれから封印の検査と修復を受け、条件付きで、ここへ通うことになった。タマも一緒にいていい。ただし、勝手に降霊してはいけないと、何度も念を押されている。
久世さんは、まだ治療と陰陽庁との話し合いが残っていた。
今朝、携帯に届いたのは、困ったら連絡して、という短い言葉だった。
「行きましょう。先生が待っているわ」
相良さんに続いて門をくぐる。
植え込みのそばで枝を拾っていた作業服の男性が、顔を上げた。相良さんに会釈してから、私の腕の中を見る。
視線が、タマの顔で止まった。
男性は小さく頷き、また枝を拾い始める。
少し先では、職員らしい女性が足を止めていた。私を見て、それからやはりタマを見る。
抱いている腕に、力が入った。
「相良さん。あの人たちも」
「見えているわ」
声を落とした返事だった。
「詳しい話は、中でね」
◇
案内されたのは、職員室の隣にある小さな応接室だった。
窓のそばに立っていた女性が、こちらを向く。
短く切った髪。灰色のカーディガン。腕には出席簿らしいものを抱えている。
「佐々木優香さんですね。三枝理央です。二年B組の担任と、郷土文化研究部の顧問をしています」
「佐々木です。よろしくお願いします」
頭を下げると、タマも腕の中で傾いた。
慌てて抱え直す。
「その子は、下ろしても大丈夫ですよ。今は私たちだけですから」
先生が椅子を勧めてくれた。
腰を下ろし、タマを膝へ乗せる。先生の目がその首元を確かめてから、私へ戻った。
「久世さんが来られるまで、学校での指導と、あなたたちの状態の確認は私が担当します。封印は毎日見せてもらいますね」
「先生も、陰陽師なんですか」
「ええ。結界を専門にしています。授業では古典を教えていますけど」
古典。
急に、普通の時間割が頭に浮かんだ。
先生は出席簿をテーブルに置く。その下から、一枚の紙を抜き出した。
「これがクラスの時間割です。今日は午前の授業を受けたあと、昼休みにもう一度ここへ来てください。放課後は部室へ案内します」
「郷土文化研究部、ですか」
「そうです。術の練習は、そちらで行います」
渡された紙を見る。
一時間目は数学だった。
「陰陽術を習うのが、部活動なんですか?」
「表向きは。地域の伝承を調べたり、史跡を巡ったりする部です。実際、そういう勉強もしますよ」
「クラスのみんなも、その部に?」
「いいえ。術を学ぶ部は、うちのほかにもう一つあります。それに、陰陽師と関係のない生徒も大勢います。見えないし、知らない子たちです」
思わず顔を上げた。
相良さんが頷く。
「陰陽庁が運営しているからといって、生徒が全員、陰陽師の家の出とは限らないわ」
校門で聞いた、小テストの話を思い出した。
あの二人も、そうなのかもしれない。
「でも、大人の人は、タマを見ていました」
「この学校には、教員以外にも陰陽師を置いています。実習の補助や校内の警戒など、仕事はいろいろです」
三枝先生が答えた。
「何かあったら、まず私か部の担当者に。誰に話してよいか分からないときも、私を呼んでください」
私は時間割の端へ、先生の名前を書き留めた。
隣に、郷土文化研究部、と書く。
陰陽術を習う学校なのに、その名前はどこにも出てこない。
「どうして、そこまで隠すんですか」
先生が私を見る。
「普通の人にも知ってもらえたら、気をつけられるんじゃないかと思って」
真帆は、何も知らずに学校へ来た。
悪霊がいると知っていたら、あの連絡を疑えたかもしれない。
「知らせることで、相手を強くしてしまうからです」
「強く?」
「妖怪や悪霊は、実在するものとして人に認識されると、この世へ働きかける力が強まります。被害を知らせた結果、それまでより大きな被害を出せるようになることがあるんです」
膝の上へ目を落とした。
タマが私を見上げている。
「誰か一人に話しただけでも、危ないんですか」
「広く知られることと、身近な人が一人知ることでは、規模が違います。相談したことまで責めているわけではありませんよ」
詰めていた息を、少しだけ吐いた。
「ただ、教室で術を見せたり、使い魔の話を広めたりはしないでください。事情を知らない生徒を、こちらの活動に巻き込まないためにも」
「分かりました」
返事をしながら、時間割の文字を見る。
ここなら、隠さずに済むと思っていた。
普通の授業の隣に、知られてはいけないものを学ぶ時間がある。
その二つが同じ学校にあることを、まだうまく想像できなかった。
予鈴が鳴った。
三枝先生が時計を見上げる。
「続きは昼休みにしましょう。まず、教室へ行きますよ」
相良さんも立ち上がった。
「私はこれで戻るわ。三枝先生、よろしくお願いします」
「はい。お預かりします」
私も立ち上がり、タマを抱き直した。
「相良さん、ありがとうございました」
「困ったことは、その場で先生に話すのよ」
頷くと、相良さんは少しだけ表情を緩めた。
◇
教室の前まで来たところで、三枝先生が足を止めた。
ほかの生徒が通り過ぎるのを待ち、声を落とす。
「佐々木さんの事情を、クラス全体に説明することはしません。他校から一時的にうちで学ぶ生徒として紹介します」
「はい」
「タマは、そばにいれば大丈夫です。机を動かしたり、物を落としたりしないようにだけ、気をつけて」
タマを床へ下ろす。
「お願いね」
小さく囁くと、タマは私の足首へ頬を擦り寄せた。
教室の扉が開く。
いくつもの顔が、こちらを向いた。
肩が強張る。
先生が紹介してくれている間、黒板の端を見ていた。日付と、日直の名前が書かれている。
水守南でも、毎朝見ていたものだった。
「佐々木優香です。よろしくお願いします」
声が少し上ずった。
拍手が起きる。
先生に示されたのは、窓際から二列目の空いた席だった。
通路を歩く私の足元を、何人かが見た。
視線を感じてそちらを見ると、一人の男子生徒と目が合った。彼は私とタマを順に見て、軽く頭を下げる。
ほかの生徒たちは、私の顔や、水守南の制服を見ていた。
同じ教室なのに、見えているものが違う。
それを、今までよりはっきり意識した。
席に着くと、隣の女子生徒が少し顔を寄せた。
「小野寺奈々。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「同い年でしょ。敬語じゃなくていいよ」
「……うん」
小野寺さんが笑った。
先生は黒板へ連絡事項を書き始めている。
「教科書、持ってる?」
「前の学校のなら」
「数学、どこの?」
鞄から出すと、小野寺さんは表紙を見て首を横に振った。
「違うやつだ。今日は一緒に見よう」
「ありがとう」
机を寄せようとして、私は足元を見た。
タマが、ちょうど二つの机の間に座っている。
「どうしたの?」
「ううん」
タマが立ち上がり、私の椅子の下へ入った。
机を寄せる。
小野寺さんは教科書を真ん中へ開いた。タマが移動した方には、目を向けなかった。
◇
一時間目が終わるころには、ノートの余白がなくなっていた。
前の学校より、少し先へ進んでいる。
術の練習より先に、数学で置いていかれるかもしれない。
見せてもらった教科書を返していると、朝、目が合った男子生徒が来た。
「朝倉蓮。俺も郷土文化研究部なんだ。放課後、一緒に行こう」
「あ、うん。お願いします」
「佐々木さん、もう入る部活決まってたんだ」
小野寺さんが言う。
「歴史、好きなの?」
返事に詰まった。
「これから、勉強しようと思って」
「そっか。あそこ、校外に行くことも多いんだよね」
「調べに行く場所によるけど」
朝倉くんはそう答えた。
「今日は部室だから。道、分かる?」
私は首を横に振った。
「じゃあ、終わったらここで待ってて」
「ありがとう」
朝倉くんが自分の席へ戻っていく。
その途中で、椅子の下にいるタマへ一度だけ目を向けた。
タマの耳が動く。
小野寺さんは、もう次の授業の用意をしていた。
「次は移動だよ。理科室」
聞き慣れた言葉に、鞄へ伸ばした手が一瞬止まった。
扉を叩く音が、頭の奥に蘇る。
「佐々木さん?」
顔を上げる。
明るい教室だった。誰も逃げていないし、廊下から悲鳴もしない。
足首へ、タマの額が触れた。
「うん。何を持っていけばいい?」
「教科書とノート。あと筆箱」
言われたものを、机に並べる。
小野寺さんが廊下で待ってくれた。
タマも椅子の下から出てくる。
私は教科書を抱え、タマと一緒に廊下へ出た。




