第22話 隠せない痕跡
◇ 高城直人
水守南高校の校門前には、既に二台の救急車が停まっていた。
少し遅れて到着した消防車から、隊員たちが次々と降りてくる。
隊員たちは校門の前で機材を下ろしている。だが、まだ誰も校内へは入っていない。
「高城さん、これはどういう状況ですか」
消防隊員の一人に尋ねられ、高城は息を整えながら答えた。
高城が到着してすぐ、陰陽庁が用意した災害対応の協力員としての身分証を見せ、校門の前で待つよう頼んだからだ。
「原因不明の集団意識障害です。危険物が残っている可能性があるので、今だけ待ってください」
「中に怪我人がいるんでしょう」
「分かっています。すぐに安全を確認します」
消防へ連絡したのは高城自身だった。
団地の霊障を安定させ、残りをミコへ任せた直後、朔から学校に大勢の意識不明者がいると聞いた。詳しい人数も、怪我の程度も分からない。だから最悪を考えて、走りながら救急と消防を呼んだ。
校門を越えた先で、景色が薄く歪んでいる。
玄斎の結界だ。
「玄斎、入るぞ」
呼びかけてから高城が右手を触れると、白い筋が縦に走った。人一人が通れる幅だけ膜が開く。
中へ入った途端、焦げたような邪気の臭いが鼻についた。
「遅いぞ、直人」
玄斎の声が飛んでくる。
「団地を放り出して来るわけにはいかないだろ」
「分かっておる。言ってみただけじゃ」
軽口を返しながら、高城は校庭を見渡した。
言葉が止まった。
校庭には、運動着姿の生徒が何人も倒れている。
昇降口のガラス戸は原形を失い、枠だけが残っていた。奥では下駄箱が折り重なり、床のタイルには何本もの亀裂が走っている。
校庭にも、何かで深く抉られた跡がある。
「……これは、軽い霊障では通せないぞ」
「うん。分かってる」
朔は優香のそばに膝をついていた。
顔色は高城よりも悪い。治りきっていない右腕を体へ寄せ、左手を地面についている。
その胸から白い光が抜けた。
ランドセルを背負った少女の姿を結ぶ。
すずは朔を振り返り、右腕と脚を順に見た。それでも今は何も言わず、優香と、その腕に抱かれた三毛猫のもとへ走っていく。
「すずを降ろしてたのか」
「優香に声を届けるのに、目と耳を借りた」
「岳も使ったな」
朔の靴は破れ、左脚が不自然に震えている。
「あとで話すよ」
「あとで逃げるなよ」
返事を待たず、高城は玄斎へ向き直った。
「死者は」
「おらぬ。頭から血を流しておる娘が一人。骨を傷めていそうな者も何人かおるが、全員息はある」
「校舎の中は」
「すずが確かめた。眠っておる者が多い。呼吸は安定しておる」
最悪だけは避けられた。
安堵するのは後だ。
「外に救急と消防を待たせてる。霊的な危険は残ってるか」
「悪霊は儂が祓った。優香とタマも戻っておる。ただし、邪気の残滓が校内に散っておる」
「人へ影響するほどか」
「すぐにどうこうなる濃さではない」
玄斎が学校を覆う結界へ手を上げた。
「人を運び出す間は、外へ流れぬよう儂が保とう」
「頼む」
高城は昇降口へ走った。
歪んだ金属の枠へ右手を当てる。
霊気を流すと、銀色の線が枠から床へ伸びた。曲がった金属同士が軋みながら噛み合い、倒れかけていた上部を支える。
元へ戻したわけではない。
救助する人間が通る間だけ、崩れないよう強度を上げた。
「玄斎、門を開けてくれ!」
結界の一部が開く。
救急隊員と消防隊員が、担架や機材を抱えて校庭へ入ってきた。
◇
一番に運ばれたのは、額を傷つけた女子生徒だった。
真帆、と優香が呼んでいた子だ。
優香はタマを抱いたまま、担架から離れようとしなかった。救急隊員には三毛猫の姿が見えていない。何もない場所を抱くような格好で歩く優香を、不安そうに見ている。
「佐々木も診てもらえ」
高城が言うと、優香は首を横に振った。
「私は大丈夫です。真帆が先です」
「順番の話じゃない。君も意識を失ってたんだ。自分で大丈夫だと決めるな。タマの封印もあとで確認する」
「でも」
「優香」
朔が呼びかけた。
「真帆さんは救急隊に任せよう。君がここで倒れたら、あとで会いに行くこともできなくなるよ」
優香が言葉を詰まらせる。
腕の中のタマが、優香の顎へ額を押しつけた。
それでようやく、優香は別の担架へ腰を下ろした。
「久世さんも来てください」
「俺は直人と話があるから」
「さっき、もう無茶はしないって約束しましたよね」
朔の後ろに立っていたすずが言った。
「聞こえてた?」
「聞こえる場所にいました」
朔は高城を見た。
「直人。話は」
「逃げないなら後でいい。お前も先に診てもらえ」
「みんな厳しくない?」
「返事は?」
「分かったよ」
朔が大人しく救急隊員の前へ座る。
すずはまだ心配そうだったが、少しだけ肩の力を抜いた。
救助が進むにつれ、意識を取り戻す者も増えていった。
ほとんどの者は、何が起きたのか覚えていない。
授業を受けていた。部活をしていた。廊下を歩いていた。そこで記憶が途切れ、気づけば校庭や教室に倒れていたという。
消防へは、校内で何らかのガスが発生した可能性があると伝えた。
集団意識障害だけなら、それで処理できたかもしれない。
だが、壊れた校舎は残る。
ガラス戸、扉、下駄箱、床、校庭。
生徒同士が混乱してぶつかった、では済まない損壊だった。
表向きにも、ガス漏れの疑いと設備事故を伴う事件として、消防と警察による調査が始まる。陰陽庁にも一般機関との調整に入ってもらわなければ、説明を揃えることはできない。
そして、陰陽庁へ残す本当の記録には、ガスの二文字は書けない。
◇
救急車が出たあと、高城は昇降口の前に立っていた。
黄色い規制線の内側を、消防隊員たちが行き来している。
高城の手元には、陰陽庁から支給された携帯端末があった。報告書の入力欄が、白い文字で並んでいる。
朔は救急隊員に右腕を固定し直され、左膝にも厚い包帯を巻かれていた。
「病院へ行けって言われなかったのか」
「言われたよ。この話が終わったら行く」
「五分で終わらせるぞ」
高城は壊れた昇降口を指した。
「これは正式な霊障事件として上げる。応援要請に追加する経過報告じゃない」
「うん」
「悪霊が校内の人間を眠らせ、複数へ憑依したこと。佐々木がタマを部分的に降ろしたこと。その後、佐々木が意識を失い、降霊が制御を失ったこと」
一つずつ確認しながら入力する。
「五本の尾が現れ、玄斎が二人の周囲に張った結界を破りかけた。校舎と校庭の損壊にも、二人の力が関わっている。タマの封印は今も歪んでいる」
「全部書いて」
朔は迷わなかった。
「お前に都合の悪いところも?」
「特にそこを正確に。あとから痕跡と食い違えば、優香たちまで嘘をついていると思われる」
高城は指を止め、朔の顔を見た。
「分かってるならいい」
入力を再開する。
「佐々木が、取り憑かれた生徒から邪気だけを切り離したことも書く。降霊が制御を失ったあとも、タマが人間を避け、攻撃を逸らし続けたこともだ」
朔が少しだけ目を見開いた。
「玄斎とさつきから聞いた。最後は佐々木とタマが自分たちで邪気を封印へ戻したんだろ」
「俺は道を支えただけだよ」
「それも書く。お前が到着するまで玄斎とさつきが被害を防いだことも、悪霊を祓ったのが玄斎だってこともな」
「ありがとう」
「礼を言うところじゃない。起きたことを、起きたとおりに書いてるだけだ」
危険だった事実だけを抜き出せば、優香とタマは学校を壊しかけた存在になる。
救った事実だけを並べれば、制御を失った危険性を隠すことになる。
どちらも本当だった。
「この報告が上がれば、佐々木とタマは陰陽庁に把握される」
「分かってる。だから今朝、陰陽庁へ向かってた」
「今朝までとは条件が違う」
高城は、校庭に残る深い溝へ目を向けた。
「あのときは、危険になる可能性がある二人だった。今は、実際に降霊の制御を失い、学校一つを結界で閉じなければならなかった二人だ。向こうは調査だけで済ませようとはしないかもしれない」
「拘束するって?」
「その案を出す奴はいる」
朔の表情から、わずかに軽さが消えた。
「でも、俺は今すぐ拘束する必要はないと書く。二人に悪意はなく、タマは最後まで人間を守ろうとした。佐々木も呼びかけに応じ、自分から制御を取り戻した」
「直人の立場が悪くなるよ」
「俺は管轄としての判断を書く。それ以上でも、それ以下でもない」
高城は入力した文章を最初から読み返した。
都合のよい言葉へ置き換えていないか。
必要以上に危険だと書いていないか。
守るための嘘が、かえって二人を追い詰める形になっていないか。
最後に、送信前の確認欄が現れた。
「送るぞ」
「うん」
「もう隠せないからな」
「最初から、隠し続けるつもりはなかったよ」
高城は指を触れた。
報告書が送信される。
すぐに、陰陽庁から着信が入った。
早すぎる返答に、高城と朔は同時に顔をしかめた。
「管轄担当の高城です」
相手の質問を聞き、高城は壊れた校舎へ目を向ける。
「はい。対象は水守南高校二年、佐々木優香。使い魔は、三毛猫の霊で通称タマ」
短い沈黙。
「いいえ。現時点で敵対の意思はありません。拘束にも反対します。ただし、保有する霊気と邪気の規模は、報告書に記したとおりです」
今度の沈黙は、先ほどより長かった。
「封印は一時的に閉じています。術者である久世朔がそばにいます。ですが、早急な再検査と修復が必要です」
日時を告げられる。
高城は朔を見る。
朔は一度だけ頷いた。
「分かりました。本人たちへ伝えます」
通話が切れた。
「いつ来る?」
「明日の朝。陰陽庁から、調査と封印の確認に人を出すそうだ」
「ずいぶん早いね」
「これを読んで、放っておく組織の方が怖いだろ」
遠ざかっていく救急車の音が、かすかに聞こえていた。
その中には、優香とタマがいる。
別の一台には、真帆が乗っている。
悪霊は消えた。
学校を覆っていた邪気も、もう薄れている。
それでも、事件は終わっていなかった。
今度は陰陽庁が、優香とタマを見に来る。




