29-未来のページを綴る
シエルは、名残惜しそうにテラスの方を振り返っていた。
「…もうすこし、おそとに、いたかったです。」
その言葉に、モロー先生が苦笑する。
「今日はここまでですよ。」
そう言って、椅子へ座るよう促し、手首にそっと指を添えた。
「少し脈が速くなっていますね。ですが、顔色は良いです。」
俺が見たところでも、興奮のせいか頬が赤くなっているが、ほんのり、くらいだし、日焼けのいやな赤みでもない。
モロー先生も、額へ手を当て、呼吸の様子も確かめる。
「疲れは出ていますが、熱は出ていませんね。心配するほどではありません。」
「…、」
「今日は初めてでしたから、このくらいで終えるのがちょうど良いでしょう。」
「…はい。」
少しだけ、肩を落とすシエル。
それだけ、楽しい時間だったんだね。良かった。
しゅんとしたその様子が、可哀想だけど可愛くて。天使。
「じゃあ、その代わりに。」
シエルがこちらを見る。
「『離れのお庭図鑑』を作りましょう。」
「…ずかん、ですか?」
「はい。」
テーブルの上に、庭で摘ませてもらった花をそっと並べる。
小学生夏休み研究の定番。
「今日見たお花の名前や色や形を入れて、名前を書いたり絵を描いたり標本…押し花を作って貼って、一冊の図鑑にするんです。」
「…?」
「花だけじゃなく、木や草や、庭に来る小鳥や虫の絵を描いても面白いと思いますよ。」
シエルは、花と俺の顔を交互に見比べた。
「…ずかんは、ほん、ですよね?」
「そうですね。でも、シエル様が読んでいる図鑑も、最初は誰かが作ったものなんですよ。」
「…え?」
青い瞳が丸くなる。
「誰かが見つけて、調べて、書き残したから、本になったんです。」
この世界では、まだまだ、書物の大量生産は進んでいない。だいたいが個人の記録や論文で、良いものが筆写で広まり、それが研究塔のような場所に集約され占有されている。
集会場に本が転がってるウチの村が、おかしい。
俺は笑顔で続けた。
「俺も、辺境の植物や動物を調べてまとめたものがあります。研究資料として作ったんですけど、今度お持ちしますね。」
「レインくんも、ずかんを?」
「そんなに立派なものじゃ、ありませんけど。」
シエルに、キラキラの瞳で見上げられた。
やだ、照れちゃう。
「辺境には王都にない植物も多いので、あとで見返せるように書き留めてただけです。」
「…わたしにも、つくれるでしょうか。」
「もちろん。」
俺は迷わず頷く。
「それに。」
少し身を乗り出して、わざとないしょばなしのように言う。
「シエル様が作った図鑑を、誰かに読んでもらえる日が来たら、素敵だと思いませんか。」
シエルは、庭で見つけた小さな白い花を見つめた。
「…わたしのほん。…だれかに、よんでもらう…。」
その言葉を、小さく繰り返す。
「私は辺境の花には詳しいと思いますが、王都の花には詳しくないんです。」
「…?」
「シエル様が作った『お庭図鑑』、読ませてくださいませんか?」
シエルの瞳に、光が宿る。
「もちろん、すぐに出来上がるわけではありません。」
「はい。」
「少しずつ、少しずつ、進めていくことになります。もちろん、無理をする必要もありません。」
「はい。」
「まずは、今日見つけたお花を、一つだけ記録してみましょう。」
俺はテーブルの上の小さな白い花を指差した。
「名前は、覚えていますか?。」
「はい。」
「では、それを紙の一番上に大きく書きます。次に花の特徴。色は白。花びらは五枚。葉っぱは細長くて。」
シエルも花を覗き込む。
「…いい、においがします。」
「それも立派な記録です。」
俺は嬉しくなって笑う。
シエルは、感性が豊かだ。記憶力もいいし、賢い。最高。
「図鑑って、そういう作った人の、気づいたこと、を集めて記録した本なんです。」
シエルは花を大切そうに、両手で包み込んだ。
「…わたしにも、できますか。」
「はい。できます。」
シエルは少し照れたように笑った。
その笑顔は、庭へ出る前より、ほんの少しだけ前を向いたように見える。
「わたしの、おにわずかんを、つくります。レインくん。てつだってください。」
よし。
「いつか叶うかもしれない」の一ページ目、開きましたよ。




